柴宮夏希-貴重! フジファブリック超初期のアートワーク担当の柴宮夏希が当時のバンドやジャケットを振り返る

中毒性のある音楽に惹かれ、まずは「ライヴを観たい」と、そのカセットに書いてあった当時の志村の携帯番号に連絡したんです

──まずは柴宮さんとフジファブリックとの出会いから教えて下さい。

柴宮:最初に出会ったのは、まだ私が美術大学に通っていた頃でした。元々音楽に関するデザイナーになりたくて、高校生時代から好きなバンドを見つけては、そのデザインやアートワークをさせてもらっていたんです。そんな中、まだ地元の時のメンバー同士で、表記も「富士ファブリック」だった頃の彼らのデモカセットを手に入れて。それは「ダンス2000」と「消えるな太陽」が入っていた、世に30本程しか出回らなかったものだったらしいのですが。それを聴いたところ、“ちょっとダサいな…”と思いつつも(笑)、自分的には、その中毒性のある音楽に惹かれ、まずは「ライヴを観たい」と、そのカセットに書いてあった当時の志村の携帯番号に連絡したんです。

──で、ライヴを観て?

柴宮:一番最初に観た時は当時の女性キーボードの田所幸子さんが加入して初めてのライヴでした。そこで観た彼らに、ただならぬものを感じて。「いまデザイナーを探してたりします?」と尋ねたところ、ちょうど彼らもそのような方を探していたようで。「是非お願いします!!」となったんです。

──柴宮さん的にはフジファブリックと当時のライヴハウスシーンで活動していた数多のバンドとの違いはどの辺りだと感じていましたか?

柴宮:やはり楽曲の持つ独特さでしょう。歌詞の世界観、妙なサウンド、ちょっと湿り気のある歌声やメロディライン…あとは当時からそこはかとなく漂っていたアングラ感等ですね。あと、カッコつけてないカッコ良さもあったり…。爽やかさがなく、かといってそこまでアングラ感を漂わせてない点とか…当時こんなニッチな所を攻めていたバンドは他にはありませんでしたから(笑)。

──当時はここまで長く続けていたり、幅広く多くの人に愛されるバンドになるとの予感はありましたか?

柴宮:漠然とですが、“このバンドは絶対に一目置かれる存在になるだろう”ことは信じていました。とは言え、ここまで世間に認められるバンドになるとは…って感じで。

──ちみなに当時はデザイナーもですが、スタッフとしても物販に立っておられたりしたそうですね?

柴宮:そうなんです。それこそライヴを毎回観にいっていたこともあり、「せっかくだから手伝ってくれない?」と声をかけてもらって。“このバンドが売れる為の手伝いができる!!”と快諾しました。彼らの関西への初ツアーも一緒にハイエースに乗り連れて行ってもらいました。あれはそれこそまだ無邪気で、まるで修学旅行のようでした。

──その後、フジファブリックの初期の作品のデザインに携わるわけですが…。

柴宮:私にとっても彼らが初めてのCDジャケットのデザインでした。“いつかはやってみたい!!”との昔からの夢が一つ叶って。

私の中ではフジファブリックはこのようなイメージで見てもらいたいそれを表してみたというか

──各種かなり独特のデザインですが、「アラカルト」のデザインの際のことは覚えていますか?

柴宮:もろちん忘れもしません。当時の私の中で、そこに収録される各曲を聴いて、それらからの想起と当時のバンドの持っている雰囲気を絵にしたらこうなったというか。言い換えると、<私の中ではフジファブリックはこのようなイメージで見てもらいたい>それを表してみたというか。だからちょっとしたダサさもあえて入れてみたり…。あとは当時、志村の中で「富士山」をあからさまに押し出すのはNGだったんです。なので、当時もこのような名前ながらグッズ等には一切、富士山は落とし込んでいなくて。とは言え、富士山も彼らの背景としては重要な要素だし。あと、そうそう。確かおしゃれさもNGでした(笑)。

──このジャケットの不思議な面は昼の感覚と夜の感覚の同居でした。

柴宮:私の中ではこのようなバンドに映ってましたから(笑)。当時の私の思うフジファブリック像を丸々1枚に描いてみたというか。1stだし、ここから出会う人や知る人が沢山出てくるでしょうし。名刺代わりになるものを意識しました。いわゆる収録各曲よりも、その当時の彼ら全体をパッケージしたくて。あと、花がワーッとあるのは、花の香りに酔ってしまう。彼らの音楽性にある、ちょっとした不思議なトリップ感を表したくて。夢心地と言うか。あの世でもこの世でもない場所を表現したかったんです。かといってそれもけして綺麗なお花畑ではなく。怪しくちょっと毒々しい匂いを放つ花。あとは緻密に描いているところもあれば、凄く雑に描いているところもあって、あえてそれを混在させたんですが。もう一発OKでした。

──「アラモード」の方は?こちらは不思議なコスモ感を有している印象があります。

柴宮:実はこの他に3つ候補を提出したんです。どれも黒を基調にダークな雰囲気ではありましたが、全く違ったタイプを。こちらはより私の中のフジファブリック像を全面に出してみました。個人的にはこうだけど、さて、これを世間一般に対して出すのはどうなんだろう?と疑問に思いつつ、合わせて提出したのがこのジャケットだったんです。そうしたら今の大ちゃんや加藤さんも含め当時のメンバー全員一致でこのジャケットを推してくれて。自分としては、“まさか!?”と思った反面、非常に嬉しかったですね。

──ちなみに今、「フジファブリック観」とおっしゃってましたが、柴宮さんが想うそれは?

柴宮:当時の彼らの歌や音楽性からは、何かモヤモヤとした陰鬱さや、そんな心情を外に放てない。出口があまりよく見えない袋小路な感じを非常に受けていて。それらをなるべく封じ込めたくて。

ラムシ(志村)の世界観を最も分かっているのは夏希ちゃんだから、メジャーの作品でも是非一緒にやって欲しい

──その後、柴宮さんはフジファブリックのデザインのどの頃まで関わっておられたんですか?

柴宮:この前の『FAB BOX Ⅲ』のデザインや物販グッズのデザイン等、その後も今までちょくちょくは関わらせて頂いています。最初にガッツリジャケットまでやっていたのは、1stアルバムの『フジファブリック』までですね。当時のレコードメーカーのディレクターの方が、「ラムシ(志村)の世界観を最も分かっているのは夏希ちゃんだから、メジャーの作品でも是非一緒にやって欲しい」とおっしゃって下さって。

──メジャー1stアルバムはいかがでしたか?あれも手描きで当時のメンバーが載ったものでした。

柴宮:実はあれは志村からのリクエストだったんです。元を辿ると私がフジファブリックの一番最初にフライヤーの絵を描いた際に…それは私の思うフジファブリックや当時のメンバーを絵にしたものだったんですが。そうしたら志村が当時それを非常に気に入ってくれて。最初期の活動の際のフライヤーはしばらくそれを使っていました。それを志村もずっと、あの絵が当時のフジファブリックを上手く捉えていると気にかけていてくれていたようで。メジャーデビューの際に、「その時のメンバーであの絵を描いて欲しい」とリクエストをもらい、あれになったんです。

──そうだったんですね。『FAB BOX Ⅲ』のジャケはドローイング(手描き)でしたよね?何かあの辺りにも想いが込められていそうな。

柴宮:もちろん込めています。やはり志村も出ている作品だし、彼が居た頃はバンドの根幹でもあったので。こうしたい的な考えはありました。

──それは?

柴宮:今年15周年を迎えつつ、バンドは続いているし他のメンバーは引き続き守っている。だけど志村はもういない。でもみんなの中では生き続けているんですよね、彼は。実存的にはもうこの世にはいないでしょうが、今でも音やバンドの中では志村正彦という存在は生き続けている。それを表現するには、やはりあのような当時の彼らを想い返しながら描く絵にしたくて。

──それで想い出しながら描いたような絵にして、あえてリアルさや写実的にはしなかったんですね。

柴宮:そうです、そうです。写実的に描くのではなく、且つ写真を載せるのとも違う。記憶の中の4人というか。なので、様々な写真を参考にはしましたが、それらを各メンバー私の中で一度、「このメンバーはこうだよね…」というのを想い返しながら一人ひとり描いていったんです。

──振り返ると柴宮さんの彼らに対するデザインは、わりと一環して都度のフジファブリック像を描いてきた歴史でもあるような…。

柴宮:ですね。その絵なり、デザインなり、アートワークを観て、そのバンドのその時々を想像出来るものにしたくて。それらから想像し、頭の中で鳴り響く音楽が、結果、実際に聴いた時にも合致する。そこを目指して常に作っていた感は今振り返ると確かにありました。

柴宮夏希

nemo graph.

(アートディレクター/デザイナー)

フジファブリックをはじめ、PUFFY、宮田和弥(JUN SKY WALKER(S))、THE イナズマ戦隊など、ミュージシャンのCDやグッズ、企業などのロゴデザイン、アートディレクションを行う。

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