女子プロ野球を退団する24歳の次なる舞台 「今後は楽しいと思える野球が…」

始球式を務めた只埜榛奈【写真:高橋昌江】

埼玉アストライアの只埜榛奈内野手が地元で始球式

 先月1日にリーグに所属する選手71人のうち、36人が退団すると発表した女子プロ野球。退団選手の1人である、宮城県出身の只埜榛奈内野手(埼玉アストライア)が1日、宮城県東松島市で開催された「宮城県知事杯・只埜榛奈旗争奪 第9回東北小学生女子野球交流大会」で始球式を務めた。来年からはクラブチームで野球を続ける予定で、「6年間、プロでやってきたことは無駄にしたくない。今後も女子野球に携わっていけたら」と女子野球の発展に思いを馳せた。

 東北各県に北海道や東京、新潟からも集った“只埜榛奈旗”は今年、大会史上最多の23チームが出場した。約350人の選手たちが見つめる中、開会式後にマウンドへ向かった只埜。キーンと冷える中、手に息を吹きかけて軟球を投げ込んだ。大役を終え、「始球式はあまりやる機会がなく、軟球を投げるというのも緊張しました。ちゃんと真ん中に投げられるか不安でしたが、楽しかったですね」と笑顔を見せた。

 宮城県大崎市出身の只埜は兄の影響で小学5年の冬から「松山シャークス」で野球を始めた。松山中でも野球部に所属し、遊撃手で宮城県選抜入りも果たした。聖和学園高ではソフトボールに転向し、卒業後もソフトボールを続ける選択肢があったが、女子プロ野球の存在から野球への思いが再燃。ソフトボール引退後に1か月間、硬式野球を練習してトライアウトを受験し、合格を勝ち取った。「家族が一番、喜んでくれた。私以上に周りの方が喜んでくださった」と、宮城から初めてプロの世界に飛び込んだ。

 14、15年はレイアに所属し、投手と三塁手でプレー。その後は内野手としてフローラ、アストライア、ディオーネと毎年のように所属チームが変わり、今季はアストライアでプレーした。6年間で通算220試合に出場。打率.261の成績を残し、18年にはゴールデングラブ賞も受賞した。プロ生活を振り返り、「上手くいかないことの方が多かったなと思います。でも、プロになって初めて硬式野球をやりましたが、練習でできたことが試合でもできた時は嬉しかった。1年ごとに移籍したことでいろんなところで野球ができ、いろんな人と出会えたことは財産です」と話した。

来年はクラブチームで現役を続行予定「プロは結果がすべて。野球のことで精一杯だったので」

 女子プロ野球は先月1日、リーグに所属する選手の半数以上となる36人が退団すると発表した。その中に只埜も含まれており、今季でプロを引退することになった。だが、まだ24歳。「まだやりたい」との思いが本音。来年はクラブチームで現役選手として続ける予定だという。「プロは結果がすべて。野球のことで精一杯だったので、今後は楽しいと思える野球ができたら嬉しいですね」と希望を見出しており、まずは選手としての現役をまっとうするつもりだ。

 その上で、女子野球の環境も考えていく。只埜が小学生の頃は女子選手が「他のチームにいるかいないかのレベルで、1チームに1人いたら目立つレベルでした」という。少子化の影響から今では1チームの半分が女子選手というチームもあるほど。その良し悪しは置いておいても、以前と比べれば女子が野球をすることへの門戸は広がっており、女子の硬式野球部を創部する高校も全国的に増えている。東北地方では昨年、クラーク記念国際高仙台キャンパスで初めて創部され、来年は花巻東高(岩手)でも創部されるという話がある。

「東北にこんなにチームができているのが嬉しいですね。子どもたちが大人になっても野球ができる環境を作っていかないといけない。子どもも親も(生活や待遇、環境など)野球以外のことを不安に思わないで上に進める環境が今後、できていけたらいいなと思います。野球を続けて少しでもそういう力になれれば。6年間、プロでやってきたことは無駄にしたくない。今後も女子野球に携わっていけたらなと思います」

 寒風を物ともせず、元気にグラウンドを駆け回る小学生女子球児たちの姿を目にしてその思いは強まった様子だった。なお、大会はステップアップを目指すオープンの部では初参加の盛岡女子フレンズ(岩手)、オープンの部交流戦ではこまちガールズ(秋田)、野球を楽しむチャレンジの部では黒川レインボーガールズ(宮城)がそれぞれ優勝した。(高橋昌江 / Masae Takahashi)

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