2018年の夏。最高気温が35度を超える日だった。午前8時半ごろ、自宅の電話が鳴った。
「旦那さんが職場で亡くなりました」。警察官の声が受話器に響く。
信じられなかった。居眠り運転による事故? それとも突発的な病気? 県央在住、アルバイト伊藤広美(いとうひろみ)さん(40代)=仮名=は、とっさにそう頭に浮かべた。しかし、その後の電話で予想もしていなかった死因を、夫の男性上司から告げられる。
夫の信二(しんじ)さん=仮名=は、職場で自ら命を絶っていた。41歳だった。
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夫は県内の広告代理店で、広告のデザインを担当していた。繁忙期もあったが一時的で、健康診断でも、検査が必要ということはなかった。
状況が変わったのは亡くなる1年半ほど前から。紙媒体の仕事が減り、インターネット関連の広告が増えた。ホームページや動画の作成など経験してこなかった業務の影響で、帰宅時間が徐々に遅くなった。
午前8時半から仕事を始め、帰ってくるのは深夜が当たり前。帰宅せず、泊まりがけで翌日の仕事に移ることも珍しくなかった。男性上司の叱責(しっせき)が一日数時間に及ぶこともあったという。
亡くなる2日前の夕方。信二さんは休日出勤するため自宅を出て行った。「何も言わず、すっと行っちゃった」。夫の生前の姿を見たのは、それが最後になった。
信二さんの死は労災に認定された。15年12月に広告大手電通の女性社員が過労自殺し、17年10月にはNHKの女性記者の過労死が発覚。過重労働が社会問題化した。夫の死は、こうした問題が明らかになった後の出来事だった。
信二さんが過労自殺のニュースを目にしたとき「何で逃げないんだろうね」と話したことを覚えている。
だが、当事者になった夫も、仕事を辞めたり医療機関などに相談したりしてSOSの声を出すことはできなかった。
職場環境が健康に与える影響に詳しい自治医大名誉教授の加藤敏(かとうさとし)医師(精神医学)は「過労による気分障害には、うつ状態とそう状態が入り交じるケースが多く、本人も周囲も病気と気づきにくい」と指摘する。
広美さんは信二さんの変化を感じてはいた。不規則な生活で体重が増えた。気分が落ち込み「病院に行けばうつと診断されると思う」と話したこともある。
「助けを求められればよかった。せめて早く病院に行っていれば…」
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今でも広美さんは、無料通信アプリLINE(ライン)で信二さんに娘の成長の記録を送っている。写真や動画を付け、信二さんのスマートフォンを操作して「既読」にする。
「仕事が忙しいとき、送ってくれと頼まれていたんです。今でも伝わる気がして。会いたいって、ずっと思ってる」
【ズーム】労働の影響 世界保健機関(WHO)が挙げる健康に影響を及ぼす要因「ソリッド・ファクツ(確かな事実)」の一つ。仕事上のストレスが健康状態を大きく左右し「病気や死の重要な原因になる」と指摘。仕事上の裁量の自由が少ないと「心血管系疾患などの増加を引き起こす」としている。