幻が現実に! 『PANTAと仲間たち ヤルタ★クリミア探訪記』が出る!

「いったいいつ出版されるんだ?」

「もう1年以上経ったから、出ないんじゃないの!?」

PANTAファンの多くが諦めていた幻の旅行記が、やっと出版される! 題して『PANTAと仲間たち ヤルタ★クリミア探訪記』。

実は本と言うより、写真集に近い。もっと正確に言うと、編集人のシミズヒトシ(後述)は「旅行した各人のインスタグラムを綴じたような本がコンセプト」と語る。その言葉通り、A5判、160ページのほとんどがカラーという豪華本だ。そこに溢れるのは、PANTAの唄う姿はもちろん、白亜のリバーディア宮殿、へんてこなジェットホテル、スーパー、ビーチで上半身を裸にして背中をやく美女(顔は見えないがw)、住宅街に停められた車、理解に苦しむ道路標識……書き出したらきりがないので、ぜひ実物を買ってください。12月24日発売だから、クリスマスプレゼントに最適!

と、前ふりしておいて、なぜPANTAがヤルタ★クリミアに行ったのか、少し説明しておこう。

ヤルタ市制180周年記念・国際音楽祭

2018年8月、この本の著者になっている“PANTAと仲間たち”は、クリミアの中心都市・ヤルタに乗り込んだ。それは、新右翼団体・一水会の木村三浩代表の呼びかけに応じたものだった。

この年、ヤルタは市制180周年を迎えた。明治維新よりも30年も前に、すでに市制を敷いていたわけだ。その180周年を記念して、国際音楽祭が開かれた。木村三浩代表はロシアとは非常に友好的な関係にある。2014年のクリミアのロシア帰属以来、すでに6回、この地へ渡航している。そんな関係で、国際音楽祭へ日本の音楽家を呼べないか、クリミア政府から頼まれた。そこで木村が白羽の矢を立てたのが、かねてから知り合いのPANTAだった。もう一組、尺八とバイオリンのデュオ(き乃はち、竹内純)と共に、「日本の伝統と現代」を送り込もうという算段だった。

出演を打診されたPANTAは無類の歴史好き、かつ“防衛装備品”マニア。断る理由はどこを探してもなかった。

そんなわけで、ミュージシャン3人に、筆者(椎野礼仁)、シミズヒトシ、末永賢ら一行が、成田から機上の人となった。後ろの3人について説明しておくと、レイニン椎野(筆者です)は2003年2月のイラク・バグダッド訪問記『PANTAとレイニンの反戦放浪記』以来のPANTAの盟友、というよりパシリ。ヒトシは1979年に結成されたPANTA & HALのファンクラブの首謀者。本人曰く「ファン歴は40年に過ぎない」。末永賢は撮影班だ。折しもPANTAが相棒TOSHIと組んで結成した頭脳警察は、今年が結成50周年。そのドキュメンタリーを撮影中だった末永賢ももちろん訪問団に参加した。

▲ヤルタの海岸で発見!

聴衆は7,000人!

いきさつはどうでもいい。話はいきなりヤルタ音楽祭に飛ぶ。8月11日の暑い日、ヤルタ港に隣接した巨大な広場に組まれた巨大なステージで、音楽祭の幕は切って落とされた。人々が、半円を描いて5重にも6重にもステージを取り囲む。惜しげもなく脚線美をさらすミニスカートに胸もあらわなタンクトップの若い女性たち、むき出しの肩や二の腕にタトゥーを入れた大男たち……。そんな面々が多いように感じる。ここは本当にロシアなのか?

もっともクリミアは、帝政ロシアの昔には皇帝や貴族が競って別荘を建てた土地柄。いかにもリゾートな人々で溢れかえるのもむべなるかなだ。木村光浩代表によれば、クリミア当局から聞かされた想定観客数はなんと7,000人だ!

出演者がまたすごい。ロシア黒海艦隊(多分)のブラスバンド。バレエを優雅に踊る女性グループ。まるで日本のアイドルグループのような若い女性3人が踊り唄ったかと思うと、オペラのアリアを朗々と唄い上げる男女の歌手も。かと思うと一見組体操のように、だがもっと華麗&優雅に、曲芸(のように見える)を見せる女の子たち10人余り……。出るグループ、出るアーティストのどれもが、恐ろしくプロフェッショナルな芸を見せる。国際音楽祭というから、各地の選りすぐりなのだろう。

▲ヤルタの港の広場に建つレーニン像の前で。左=末永賢、中=シミズヒトシ、右=椎野礼仁

「恋のバカンス」で大合唱!

日も落ちかかる頃、「さあいよいよ、日本から来たミュージシャンの登場!」と呼ばれて(多分)、まず尺八デュオの2人が舞台に上がった。浴衣に鉢巻。伝統の姿がぷんぷん! ステージ幅いっぱいの巨大モニターには、サイケデリックな彼らのオリジナル映像が流れ、尺八とバイオリンのスピーディな掛け合い。やってる音楽は現代そのものだった。

30分の演奏が終わると、入れ替わって、ギター1本を携えたPANTAが登場。PANTAの楽曲は、題材にしている事柄が複雑で、歌詞が大事。そんなわけで、あらかじめ詞を送ってあった。だからロシア通訳が、まず歌詞の紹介をして、おもむろにPANTAが唄い出すというスタイル。セットリストは以下の通りだ。

1. R★E★D

2. BACK IN THE FEDERATION

3. ナハトムジーク

4. 7月のムスターファ

5. 恋のバカンス

6. さようなら世界夫人よ

イラクのフセイン大統領の14歳の孫の最期を唄った「7月のムスターファ」の時も、歌詞が丁寧に伝えられていたためだろう、盛んな拍手と歓声が上がる。

そして、思わぬ事態が起きたのが、「恋のバカンス」に入った時だ。1960年代に双子の姉妹、ザ・ピーナッツが大ヒットさせたこの曲。もちろん日本の歌だ。でも、でも、でも、PANTAがやり始めたら、聴いていたロシアの人々がみんな、PANTAのギターに合わせて唄い出した。あっちからこっちから、澎湃(ほうはい)と巻き起こるロシア語の「恋のバカンス」の大合唱。

実はこの曲、ロシアでも大ヒットし、しかもその後、ロシアの歌手がアルバムを作る時にこぞってこの曲のカバーをしたため、すっかりスタンダードナンバーとして人々の間に定着した。

PANTA、そこは心得たもので、曲の最後のほうのリフレイン「あーあー、こーいのよろこびにー」のところで一拍間を取って、ロシア人たちが慌てて歌を止めたところで、「ばらいろのつーきひをー」とまた合わせさせるという演出。曲が終わる。万雷の拍手。その中に、「アリガト、アリガト」という黄色い声が大きく聞こえた。振り返ってみると、3人のロシア娘が、私に向かって顔中ニコニコで手を振る。それまで、日本語の「アリガト、アリガト」という声は聞こえてこなかった。そこで気がついた。彼女たちは、遠方から来た日本人が、わざわざロシアの歌を唄ってくれたのだと思ったに違いない。だからお礼のサービスのつもりで、日本語で「アリガト」と叫んだ。

後日、ロシア語通訳に聞いてみた。「ロシアの人は『恋のバカンス』はロシアの歌と思ってるんですね?」。通訳曰く「はい、そうです。日本人が『百万本のバラ』を日本の歌と思っているようにね」

見ると聞くとは大違い。日本の外務省はクリミアを「渡航中止勧告」地域にしているが、ヤルタや軍港セベストポリ、空港のあるインフェローポリ等々、訪れた街々は明るくて開放的なリゾート地そのものだった。PANTAや尺八に群がるファン、報道陣も日本と変わらない。もちろん、たかだか1週間の訪問客に、そんなに多くのものが見えたはずはない。ただ、皮膚感覚がそうだったと、それ以上でもないが、それ以下でもない。

まぁ、理屈抜きで、このドタバタ(いろいろあった!)訪問記を楽しんでほしい。

▲ステージ後ろの巨大モニターにはさまざまなCGが

文:椎野礼仁(編集者)

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