【佐々木淳コラム】納得できる「死」などあるのか(1)

最近100歳になったばかりのSさん。
老人ホームで暮らしている。
そんな彼女は診察のたびに口癖のようにこう言うのだ。

「長生きしても何にもいいことない。もう早く逝きたい。」

一昨年、そんな彼女が本当に死にそうになった。
肺炎から心不全が悪化。かなり厳しい状況となった。
積極的治療は望まないと事前指示書に書かれている。家族も、もう充分頑張りましたから、あとはできるだけ苦しまないようにお願いします、と看取りの方針に同意。居室の荷物の片づけを始めた。

しかし、彼女は僕に「先生、死にたくない・・」と消え入るような声で訴えた。
ケアをしていたホームの看護師たちも、彼女の生きたいという意欲を見逃さなかった。
抗菌薬の投与を開始すると、肺炎は徐々に改善。心機能も少しずつ回復し、現在は、在宅酸素療法も卒業している。食堂への移動は車いすだが、食事は全量食べている。
そして、彼女は少し顔をしかめながら今日もこういうのだ。

「長生きしても何にもいいことない。先生、もう早く逝かせて。」

厚労省の「家族会議ポスター」が物議を醸している。

厚労省が吉本芸人を起用して作成した人生会議の普及啓発ポスター。個人的にはデザイン的にもコンテンツ的にも、少しインパクトが強すぎると思った。人生会議(本稿ではACPと表記する)をしなければ、思うように死ぬことすらできない。そんなニュアンスだ。

これは違うのではないか。

そんな意見が専門職や当事者の間で広がり、結局、厚労省はこのポスターの配布を中止した。

一連の騒動の中で、多くの専門職や当事者が次のような趣旨の発言している。

●ACPとは、何かをあらかじめ決めておくものではない。
●ACPとは、死に方を考えるのではなく、最後までどう生きるかを考えるものだ。
●ACPなど、人の生死に関する議論を国がリードしようとするのがおかしい。
●ACPをしたからといって、納得できる人生の最期が送れるわけではない。
●ACPを十分にできずに患者を見送った家族が、この文言によって傷つく。

厚労省作成のポスター(Twitterアカウントより。現在は削除)

また、このような専門職や当事者の反応に対し、主に非専門職からこのような意見も寄せられた。

●ポスター自体は面白いし、この文章の何が悪いの?
●ACPを知らない人に対するアピールとしては有効なのではないか。
●実際にこのように話題になった時点で、このポスターは成功だ。
●専門職や当事者はもう少し表現に寛容になるべきではないか。

その後、「私の人生会議」というキャンペーンが自発的に始まり、医療介護領域のオピニオンリーダーたちが自らの考えるACPを言葉にし始めている。
ACPとは何なのか、みんなが考えるきっかけになったことは確かだ。

次ページ:そもそもACPとは何なのか?に続く

佐々木 淳

医療法人社団 悠翔会 理事長・診療部長 1998年筑波大学卒業後、三井記念病院に勤務。2003年東京大学大学院医学系研究科博士課程入学。東京大学医学部附属病院消化器内科、医療法人社団 哲仁会 井口病院 副院長、金町中央透析センター長等を経て、2006年MRCビルクリニックを設立。2008年東京大学大学院医学系研究科博士課程を中退、医療法人社団 悠翔会 理事長に就任し、24時間対応の在宅総合診療を展開している。

© 合同会社ソシオタンク