【佐々木淳コラム】納得できる「死」などあるのか(2)

そもそもACPとは何なのか?

会田薫子先生作成資料より佐々木作成

ACPは「人生の最終段階の医療やケアを選択すること」ではない。
また、特に「事前指示書」と混同されることも多い。この議論にはさまざまなタームが出てくるので、ここで改めて整理しておきたい。

●パターナリズム(父権主義):Paternalism
かつての医療は、医者に逆らうことは許されない世界だった。
文句があるなら退院しろ、二度と俺の外来に来るな、そんな脅し文句を使う医者はいまでも存在する。このような方針決定の形は「パターナリズム」という。

●患者の自己決定:Self-Determination
それから時代は流れ、患者の権利意識が高まってきた。
自分の身体、自分の命のことは自分で決めたい。そんな「患者の自己決定」という考え方が広がってきた。実際、「私は延命治療を受けません」「私はがんになっても放射線や抗癌剤は拒否します」、医療の現場でそんな患者さんたちにもよく出会うようになった。

●共同意思決定:Shared Decision Making
しかし、医療は進化していく。これまでになかった選択肢も出現してくる。
これまでは延命とされていた医療処置で、自分の人生を取り戻し、何十年も社会の中で活躍している難病の患者さんたちがいる。強い副作用が恐れられていた放射線治療や抗癌剤も安全性や治療成績が向上、がんの10年生存率は6割を超えるまでになった。
適切な情報がなければ、適切な自己決定は難しい。選択肢が増えていく中で、あなたにとって本当に最善の選択は何なのか。医療専門家も含めて話し合って考えよう、というのが「共同意思決定」だ。

治療すれば治る病気の方針決定はそんなに難しくない。
しかし、在宅医療を受けている患者さんのように、治らない病気や障害とともに、人生の最終段階の近いところを生きている人たちにとって、この「共同意思決定」は、納得のできる選択をするために非常に重要なプロセスだ。

「患者の自己決定」も「共同意思決定」も、本人が意思決定に参加できる、という前提に基づいている。

では、本人の判断能力が失われてしまった時、どのように本人の思いを担保すればいいのだろうか。

そこで出てくるのが、事前指示書だ。

 

●事前指示書:Advance Directive
「父権主義」の時代には、すべて医者が決めるわけだから、そんなものはそもそも必要ない。
「患者の自己決定」においては、「事前指示書(アドバンスディレクティブ)」がそれにあたる。本人が自分の決定内容を文書に書き留めておくのだ。それによって、本人が、意思表示ができなくなったとしても、周囲はその文書に従えばよい、ということになる。尊厳死協会の会員などはそれぞれ宣言書を作っているし、エホバの証人の信者の方々も輸血を希望しないことについて意思表示をしている。

しかし、事前指示書には問題がある。書かれていることしかわからないのだ。

延命治療を希望しない、とあるが、この人にとっては、どこまでが延命治療なのか?
点滴をしてほしくない、とあるが、治る病気であっても、点滴をすべきでないのか?
輸血を希望しない、とあるが、血液製剤はどこまで許容されるのか?

人生、想定外のことが起こるもの。自分が予想した通りの経過にならなかった場合、当然、事前指示は書かれておらず、現場では判断できない。また、最後、こんなはずじゃなかった、と本人が思っても、文書を書き換える能力が担保されていないと判断されれば、否応なしにその文書に従わされることになる。

そこで重要になってくるのが、ACP、通称「人生会議」だ。

 

●アドバンスケアプランニング:Advance Care Planning
ACPは何かを決めておく、ということを必ずしも目的としていない。

とにかく、話し合いを重ねていく。その中で、その人の人生観や価値観を理解・共有している人がまわりに生まれてくる。そうなれば、もし、本人が状況判断が難しい状況になっても、まわりの人たちが、本人の人生観や価値観、すなわち優先順位や判断基準に基づいて代理意思決定をすることができる。

医療やケアの選択にあたっては、もちろん専門家の情報提供が必要不可欠だ。
ここから先、どのように体調や病状が推移していくのか、具体的に変化がおこるのか、その時にどんな対処法や選択肢があるのか、それをするために何が必要なのか、今から準備しておけるものは何か、このようなことを一緒に考えていく。

もちろん、決められるのであれば、決めておいてもよい。
しかし、気持ちは状況によって変わる。体調が悪化した時、人生が最終段階に近づいてきたとき、当然、気持ちも変化する。揺らぐ、と表現されることもあるが、新しい情報が入ることで、状況判断が変わることは当然に起こる。

人生、最終段階に近づけば近づくほど、徐々にそこから先の視界も明確になってくる。
状況判断も、おのずとよりリアリティを伴うものになっていく。
これは「揺らぎ」でもなんでもない。意思決定の更新だ。

変化が起こりうるからこそ、対話を続けることが大切なのだ。

決めてもいい、文書に何かを書いてもいい、だけど、それはあくまでその時の気持ちのメモに過ぎない。変わることが当然、という前提で、話し合いを重ねていく。

大切なのは、その対話を通じて、その人の優先順位や判断基準を理解することなのだ。だからこそ、人生会議は人生決議であってはならない。

もし文書を書いて、それが何物にも優先する、というのであれば、父権主義の時代に医師が問答無用で方針決定していた時と何も変わらない。
あくまで本人の本当の気持ちをみんなで考え続けることが大切なのだと思う。

僕は、訪問診療の中で毎回、患者さんとたわいもない話をしている。
その中で少しずつこれまでの人生のこと、これからやっておきたいこと、やらなければいけないと思っていることを少しずつ教えてもらう。その対話の中から、本人の人となりをみんなで少しずつ理解しようとしている。

その繰り返し、積み重ねが、少しでも納得のできる選択に近づく唯一の方法だと思うからだ。

次ページ:いい最期、納得できる死などあるのか?に続く

佐々木 淳

医療法人社団 悠翔会 理事長・診療部長 1998年筑波大学卒業後、三井記念病院に勤務。2003年東京大学大学院医学系研究科博士課程入学。東京大学医学部附属病院消化器内科、医療法人社団 哲仁会 井口病院 副院長、金町中央透析センター長等を経て、2006年MRCビルクリニックを設立。2008年東京大学大学院医学系研究科博士課程を中退、医療法人社団 悠翔会 理事長に就任し、24時間対応の在宅総合診療を展開している。

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