【明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年】

No.204

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▲大村益次郎遭難の碑(京都市)

(11月27日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

攘夷派の兇徒

 益次郎を襲った兇徒は、団伸次郎、金輪五郎の他に、軍曹・伊藤源助、長州藩士・太田光太郎、三河吉田藩士・宮和田進、長州藩士・神代直人、越後国府兵居之隊中・五十嵐伊織、信州国伊奈郡名古熊村郷士・関島金一郎がいた。

 彼らは、益次郎が進める近代的な軍制改革に対し、強く反発していた。益次郎を斬らないと日本は西洋化し、攘夷の精神に反すると考えていたのである。

移送

 襲撃の際、風呂桶の中に潜んでいた益次郎は、兇徒が去った後、集まって来た見舞客に対し次のような冗談を言ったと伝えられている。

 「皆さん、ご心配くださって有難うございます。私もしばらくサザエのまねをしました」

 額や右膝関節など6カ所の刀創を負った益次郎は、その場で応急手当てを受けた。

 その後、木屋町の旅宿は手狭で警備に不安があったことから、9月7日、河原町の長州藩邸に移った。ところが、右膝関節の傷が化膿し高熱が続いたため、20日、大阪医学校病院よりボードウィンと緒方惟準が来診し、益次郎を大阪に移送することになった。

(続く。次回は12月11日付に掲載します)