陰陽座が掲げる“妖怪ヘヴィメタル”とは?その真髄はアルバム『魑魅魍魎』にあり

『魑魅魍魎』('08)/陰陽座

1999年結成。即ち、今年結成20周年を迎えたバンド、陰陽座が12月4日にふたつのボックスセット『廿魂大全(にゅうこんたいぜん)』と『単盤大全(たんばんたいぜん)』を同時リリースした。前者は全オリジナルスタジオアルバム15作品に、初期の代表曲10曲を新録した特典ディスクが付いた全16枚組の豪華セット。後者は全シングル16作品にボーナストラックとして「甲賀忍法帖」(20周年記念新録版)を収録(シングル「甲賀忍法帖」に併録)した、こちらも全16枚組と、いずれもファン垂涎のアイテムと言える。当コラムでは、『廿魂大全』にも収められている、彼らが初めてチャートベスト10入りを果たした作品、9thアルバム『魑魅魍魎』をピックアップ。

“妖怪ヘヴィメタル”なる 独自のジャンル

久しぶりに陰陽座の『魑魅魍魎』を聴いて何とも不思議な気持ちになった。本作のテーマが“妖怪”だから摩訶不思議な雰囲気に包まれた…というのも幾分あるが、聴く前と聴いたあとの印象が大分異なるというか、こういう言い方が適切かどうか分からないけれども、聴いているこちらが懐柔されるような感覚があった。これは10数年前に彼らの音源を聴いてライヴを観た時にも薄々感じていたような気もするので、今回その気持ちを新たにした…というのが正解かもしれない。パッと見て『魑魅魍魎』はとても分かりやすい作品だとは思えない。そもそもタイトルからして読みづらいし、“ちみもうりょう”と読めるにしても、この四字熟語をさらさらと書ける人はそうそういないだろう。

さらに“そもそも”の話をすれば、陰陽座は“妖怪ヘヴィメタル”を自らのキャッチフレーズとしている。この惹句もまた決してストレートに分かりやすいものではない。ヘヴィメタル…特に日本での“ジャパメタ”と言われるジャンルは、好きな人は限りなく好きだが、それ故にか一般層にはなかなか浸透しないという冬の時代があったこともあり、どこか特異な、孤高な音楽ジャンルと見る向きもある。それだけでも人によってはハードルの高さを感じるだろうに、陰陽座の場合はそこに“妖怪”が乗っている。妖怪とは[日本で伝承される民間信仰において、人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを起こす、不可思議な力を持つ非日常的・非科学的な存在のこと]である([]はWikipediaから引用)。人間の理解を超える存在であるから元来分からない…という屁理屈はともかくとしても、そのキャッチフレーズだけで明確な音楽スタイルを受け取るのは困難であるのは言うを待たないであろう。

さらに言えば、陰陽座の歌詞も難解であると言わざるを得ない。いや、その意味うんぬん以前に、読みづらい。ていうか、読めない。アルバムタイトル同様、ルビがなかったら読めないと断言できる言葉がふんだんに使われている。参考までにM1「酒呑童子」の歌詞の一部を、振り仮名を抜いて以下に記す。

《赤るも 倫護り 私慝を 咎められど/等閑午睡の余花/解け合う 故抔亡く/刻を 遺す 鬼の名 彩み 孳尾の儘に》(M1「酒呑童子」)。

この全歌詞を何のガイドもないまま、すらすらと読めるとしたら、その人は国文学の学者かクイズ王だろう。振り仮名を頼りに読めたとしても、たぶんその意味がはっきりと分かる人もこれまた多くはないはずだ。

何もそれが悪いと言いたいのではないので、その辺は誤解のないようにお願いしたい。意味も読みも分からない楽曲を聴くことがおかしいわけでも何でもないし(そんなことを言ったら、所謂洋楽は聴けないことになるし)、日常的に親しんでいる言語以外を楽曲に使ってはいけない法もない。陰陽座の『魑魅魍魎』は外見的にそう捉えられるということであることをお示ししたいだけである。また、そのことについて“別に何とも思いません”という人もいるだろうし、それを否定したいわけでもないので、その辺もご理解いただきたい。

ただ、これは個人的な見解として正直に言わせてもらう。本作を聴くにあたって、未知なるものへの興味があったことは否めないけれども、事前に“何だか面倒臭いな”と思ったことは確かだ。正確に言うと10年前に同作を聴いてそう思ったことを今回思い出した。予断に満ち満ちたものであったことを反省もするし、関係者各位に謝罪もしたいくらいだが、結論から言ってしまえば、『魑魅魍魎』を聴き進めていくに従って、その事前の感想が覆されていったというか、雲散霧消していくようなところがあったのである。それはこんな感じだ。

ヘヴィメタルを超越した陰陽座らしさ

オープニングM1「酒呑童子」は、唸りのような、叫びのような声が乗ったノイジーなSEから始まる。テンポはミドル~スロー。ユニゾンのツインギターでのリフが鳴り、イントロだけならヘヴィメタルというよりはプログレといった雰囲気で、事前の“難解”という見立てからそう遠くない印象ではある。瞬火(Ba&Vo;)の歌が入ると、パッと耳に飛び込んで来る歌詞は即その意味を理解できるものではないが、メロディは決して難しい感じはなく、むしろ親しみやすい印象だ。それは黒猫(Vo)のパートが加わると余計に鮮明になり、ドラマチックな展開と相俟って耳を惹き付ける。途中からテンポがアップする辺りはいかにもHR/HM然とした感じではあるものの、やはり黒猫の声が聴こえてくると、先に彼女の歌を耳にしたことで耳慣れもあってか、妙な安心感がある。サビメロは極めてキャッチーで、極端に聴き手を選ばないタイプであることも分かる。また、ギターリフはHR/HM然ではあるものの、単音弾きを見せる箇所であったり、全体的な音色であったりはニューウエイブ以降…誤解を恐れずに言えば、若干、布袋寅泰や本田毅を彷彿させなくもなく、このバンドは伝統的なヘヴィメタルだけを継承しているのではないのかな…と思いも沸いてくる。

続くM2「蘭」はテンポ、ギターリフの雰囲気もM1後半からつながっている感じ。随所で見せるハンマリングや、間奏でのギターソロはヘヴィメタルのマナーに則た感じではあるが、やはりサビの歌メロはキャッチーであって、その部分のバンドサウンドが必要以上に前に出ていないところにこのバンドの基本姿勢のようなものが見出せるのだろうか。…と、そんなことを考えていると、CDはM3「がしゃ髑髏」へ。こちらはベースがしっかりと土台を支え、その上に乗るギターリフと相俟って楽曲全体をグイグイと引っ張るアップチューン。スラッシュメタルだ。全体的にはダークな楽曲と言えると思うが、ポップじゃないかと言えばそんなこともない。所謂J-POPのそれとは少し違うかもしれないけれど、相当ロックに抵抗がある人は別にしても、多くの人にとって決して聴きづらいものではないだろう。それは続くM4「野衾忍法帖」も同様だ。この楽曲は陰陽座のアルバムには毎回収録されていて、ファンにはお馴染みと言える“忍法帖”シリーズのひとつで、これまた特有のギターリフで攻めるスラッシュメタル。冒頭では“M3よりもゴリゴリしているのかな”と思いきや、“一見さんお断り”的なマニアックさは感じられない。特にサビ後半の歌メロの抑揚は特筆すべきで、聴き手を選ばない汎用性の高さがあるように思う。

『魑魅魍魎』をここまで聴いて感じるのは、彼らのサウンド、バンドアンサンブルはヘヴィメタルではあることは間違いないのだが、それは決して難解なものではないということだ。意識的にやっているか否かは分からないけれど、ヘヴィメタルが苦手だという人が感じる“壁”みたいなものは、少なくとも低くなっていると思われる。M5「紅葉」でその思いは確信に変わる。これはもう万人がイメージする所謂ヘヴィメタルではなかろう。いや、ギターのアプローチであったり、サビでハイトーンに突き抜ける歌の旋律であったりにHR/HMの片鱗は感じるだけに、ヘヴィメタルを超越したという言い方がいいのだろうか。イントロのアルペジオの入り方からしてどこかメランコリック。その空気感もさることながら、とにかく歌がメロディアスで、その立ち方が半端ないのだ。誤解を恐れずに言えば、ヘヴィメタルもJ-POPも通り越して、昭和の優れた歌手の持ち歌のようである(褒めてます!)。かと思えば、間奏で聴かせる招鬼(Gu)、狩姦(Gu)の絡みはツインギターを擁するバンドの矜持とでも言うべき素晴らしさがあって、このバンドの懐の深さを知るところである。彼らの言う“妖怪ヘヴィメタル”とは、トラディショナルなヘヴィメタルとは少し性格を異にしていることがよく分かって、この辺りから陰陽座への興味がさらに増していく。続くミディアムのロッカバラードタイプM6「青坊主」は間奏のギターソロでブルージーな匂いがしたり、そのあとのM7「魃」では所謂“様式美”を感じさせたりと、中盤ではベーシックなヘヴィメタルを想起させなくもないが、いずれもそれほど類型的に聴こえない気がするのは、それ以前までに陰陽座らしさをたっぷりと浴びているからではないかと想像する。

コンポーザーとしての確かな才能

ファンキーでダンサブルなM8「しょうけら」は陰陽座が器用なバンドである何よりの証拠。アルバム中最速のM9「鬼一口」は静と動とがくっきりと分かれた構成も面白く、これを聴けば余計に彼らのライヴを観たくなるような楽曲だと思う。11分を超える大作であるM10「道成寺蛇ノ獄」は、男女ツインヴォーカルというこのバンドの最大の特性を活かしたものだ。“どこぞのプログレバンドを模しました”というような悪戯な長尺ではなく、男女の愛憎劇という物語をバンドでシアトリカルに描くにはこれだけのボリュームが必要だろうし、必然性のある長さではあると言えるだろう。

このM10が本作のクライマックスであることは間違いないが、個人的に注目したのはM11「鎮魂の歌」とM12「にょろにょろ」である。M11「鎮魂の歌」はギターソロは完全に様式美ではあるものの、本作で唯一、黒猫が作詞作曲したミッドバラードだけあって明らかに他とは質感が違う。アコギのストロークなどもさることながら、何と言っても歌メロの違いが耳を引く。どこか童謡っぽい。はっきり言うと、ジブリ映画の主題歌としてそのエンディングで流れても違和感がないようなメロデーィだと思う。M12「にょろにょろ」も歌が際立っている。これもずばり言ってしまうが、アニソン的である。サビ頭という構成もおそらく意識的であろう。メロディーのキャッチーさを最大限に活かすにはベターなアレンジである。こちらはM1~11同様に瞬火が手掛けたものであるが、“この人はこういうタイプも書けるのか!?”と、最後の最後で陰陽座の懐の深さをダメ押しされたところだ。生粋のHR/HMファンの中には、M12「にょろにょろ」を敬遠気味な態度を取る人もいたようだが、それを逆に見れば、コンポーザーとして瞬火が多才である証明に他ならない。筆者は圧倒的に支持するし、それはM11「鎮魂の歌」の黒猫とても同じである。

アルバム冒頭で感じた“このバンドは伝統的なヘヴィメタルだけを継承しているのではない”という思いは、本作最終盤に至って、完全に成就し(?)、事前に陰陽座に感じていた難解さも綺麗に晴れていく。もっとも、歌詞の意味に関しては、自信を持って言うことではないけれども、今もその意味を理解しているかと言えば明らかに“否”だ。それは、その意味を理解できないことがあまり気にならなくなって来るというか、歌詞の意味をがっちりと受け止めなくても十分に楽曲が楽しめるからだろう。かと言って、この歌詞じゃなくてもいいかと言ったら、そうではない。この歌詞だからこそ、このメロディが活きているのである。好例は以下であろうか。

《乱人(らんにん) 勢人(せいにん) 業人(ごうにん)/奪って 一つ 鬼の頚(くび) 濫飲(らんいん) 声韻(せいいん) 強引/威張(いば)っちゃ居(お)らぬ 世迷(よま)いの句(く)》(《穏座(おんざ)も 頓挫(とんざ)も せざる》(M6「青坊主」)。

《超えて 超えて 堪(こた)える為 燃えて 燃えて 悶(もだ)える程/異端(いたん)の鎖(くさり) 飛び散る頃に 肥えて 肥えて 応える為/萌えて 萌えて 貰わずとも 渾(すべ)て終わりて 飛び去る様に》(M7「魃」)。

《(座(わ)す 座(わ)す 座(わ)す) 驀然(ばくぜん)/(座す 座す 座す)独行(どっこう)/(座す 座す 座す)辣腕(らつわん)/(座す 座す 座す)べっかっこう》《戦(おのの)く 刹那(せつな)に 鬼が嗤(わら)う 響動(どよ)めく/間も無く 鬼が屠(ほふ)る》(M9「鬼一口」)。

リフレインではあるが、単純なそれではないし、どこか英語的な言葉をチョイスしているように思える箇所もある。この歌詞であるから独特のポップさを醸し出していると言えると思う。しかも、しっかり意味を追えばそこに内包されたメッセージ性を掴むこともできる。その点でも陰陽座は奥深く、高度な楽曲構造を持ったバンドであることが分かる。

TEXT:帆苅智之

アルバム『魑魅魍魎』

2008年発表作品

<収録曲>
1.酒呑童子
2.蘭
3.がしゃ髑髏
4.野衾忍法帖
5.紅葉
6.青坊主
7.魃
8.しょうけら
9.鬼一口
10.道成寺蛇ノ獄
11.鎮魂の歌
12.にょろにょろ

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