イカ天「いかすバンド天国」80年代の終わりに番組から放たれた有り余る熱量 1989年 2月11日 TBS系音楽オーディション番組「三宅裕司のいかすバンド天国」の放送が始まった日

様々なベクトルのバンドが登場した平成名物TV「三宅裕司のいかすバンド天国」

平成のはじまり、土曜の深夜。あなたは何をしていましたか?

僕はブラウン管にかじりつきながら、80年代の総括とも言うべき音楽の多様性を楽しんでいました。昭和が終わり、元号が平成に変わったばかりの89年2月11日。つまり80年代の終わり――『平成名物TV』のワンコーナーとしてイカ天こと『三宅裕司のいかすバンド天国』がスタート。

この番組に夢中になった理由は、自分と音楽的趣向の合ったロックンロールに根差したバンド、ジッタリン・ジンやブランキー・ジェット・シティに出会えたというのもあった―― でも、それと同じぐらい、それまでまったく意識していなかった想定外のバンドに心を奪われてしまうことが楽しかった。

初代イカ天キングであり、ソウルミュージックのしなやかさとエロさを兼ね備え、音楽の深みを教えてくれたフライングキッズ。人間椅子は、ベース、ボーカルの鈴木研一が、ねずみ男のような衣装で登場し、人間の業ともいうべきおどろおどろしさを内包した文学性を、超絶したテクニックで具現化… 観る者を圧倒した。

そして、有頂天のケラ(現在は劇作家のケラリーノ・サンドロヴィッチ)が主催していたナゴムレコードの演劇性を踏襲し、浮世と現世の狭間を行くような独自の世界観を見せつけてくれたマサ子さんや、たま。意外なところでは、みうらじゅん、喜国雅彦という二人の漫画家先生を擁したロックンロールバンド、大島渚… シニカルに観客を突き放したヨコノリの正統派ロックンロールに度肝を抜かれた。

たとえ自分の守備範囲でなくても、様々なベクトルのバンドを楽しむということが80年代に音楽を聴き続けてきた僕らに与えられた福音であったと思う。

インディーズブームと BOØWY のブレイク、誰もがリスナーから演者になれる時代

80年代に日本の音楽シーンはどう変革されていったのか―― 誤解を恐れずに言ってしまえば、それは誰もが、リスナーから演者へなれるようになったその時代性だろう。言うなれば、なんでもアリの DIY 精神が音楽業界の根源を変えていったのだ。

起点は、83年ぐらいから活性化していったインディーズブーム。その立役者になったのが、ラフィンノーズ、ウイラード、有頂天のインディーズ御三家だ。この三つバンドは、パンク、ニューウェイヴをベースにしながらも三者三様ベクトルが全く違っていた。しかし、自分たちでお金を出して、自分たちでレコードを作り、自分たちで売る。というスタイルは共通し、これを定着させていった。

彼らの活動を目の当たりにした僕らは、レコード会社がイニシアチブを握り多くの制約の中、大きなパイに浸透させることを目論むというそれまで当たり前だったアーティストのデビュー戦略が、なんだかカッコ悪いもののように思えた。

また、BOØWY のブレイクもリスナー側による音楽的改革の大きな要因のひとつだ。当時、十代の多くの若者たちが彼らのスタイリッシュなステージングに惚れ込み、楽器を手にした。上手い、下手は全く問題ではなかった。たとえ文化祭で行われる体育館のステージであっても、楽器を手にそこに立っているだけで衝動は完結された。

共通することは DIY精神―― そして、「カッコ悪くたっていいよ」と言い放ち、これまでのロックの様式美をぶち壊したブルーハーツの登場。そして、原宿の歩行者天国にはアマチュアバンドが早朝から楽器を担ぎ、場所を陣取り、路上にアンプを積み重ねていた。

ここから JUN SKY WALKER(S) や THE BOOM が輩出された。様々な現象が重なり、バンドブームはパイを広げていった。

そんな時期に楽器を手にしてバンドを始めた者の多くは、甲本ヒロトがかつてコメントしていたように「ロックは始めた時点でみんな成功している。教室の隅でホウキを抱え、ギターを弾く真似をした瞬間がゴールなんだ」というところに帰結していたと思う。

つまり、バンドを組んで、デビューして、CD セールスを重ねることは、その延長に過ぎないのだ。

番組が発する熱量、自らの存在感を十二分にアピールしたイカ天バンドたち

バブル真っ只中の80年代の終わり、メジャーデビューからのサクセスストーリーを望む者は以前より少なくなった。その反面、多くのバンドが世間に媚びることなく、自分の表現手段を模索するようになっていく。このような状況から、80年代の音楽シーンは多様性を極めた。そんな時代を総括する意味で必然ともいうべきタイミングでスタートしたのが『イカ天』だった。

番組では、審査員によってイカ天キングが選ばれ、5週勝ち抜きでメジャーデビューという筋書きがあったが、多くの出場バンドの目標はそこではなかった。それよりも自らの存在感を十二分にアピールするためにカメラの前に立つことが重要だった。たとえ一瞬であっても、そこで彼らが放つ熱量が大きければ大きいほど、ブラウン管の向こうの視聴者の琴線を刺激することができた。それを審査員も十分に理解していたと思う。

テクニック、ルックス、流行、音楽に対する造形の深さ、音楽はこうでなくちゃいけないという一般論なんて大した意味はないと教えてくれたのが『イカ天』だった。だから、観る側の僕らも構えることなく、またジャンルで音楽を選り好みするのではなく、全ての出場バンドを楽しむことができたのだ。

80年代の終わり、世紀末と呼ばれた時代… イカ天が発する熱量から、様々なバンドがくっきりと華々しい軌跡を残していった―― そこから、現在に至るまで多くのファンを沸かせているバンドもいるし、90年代の音楽シーンに強烈な足跡を残したバンドもいる。一回きりの出場であっても、強烈なインパクトを残し、今尚語り草になっているバンドもいる。

次回は、そんなイカ天が紡いだバンドの物語に触れてみたい。

編集部註:
2019年12月15日に、令和初のイカ天イベント『にしあらイカ天 Xmas スペシャル』が開催されます。初代イカ天キング、フライングキッズをはじめ豪華ゲストが大集結するイカ天イベントです!ギャラクシティ(西新井文化ホール)で一緒に盛り上がりましょう!

※2018年9月23日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 本田隆

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