「ながら運転」で狭まる「有効視野」 九州大・志堂寺教授 インタビュー

「ながら運転」の危険性や厳罰化の意義を語る志堂寺教授=福岡市、九州大伊都キャンパス

 交通心理学を専門とする志堂寺和則・九州大大学院教授(57)に「ながら運転」の危険性や厳罰化の意義を聞いた。
 
▼どうして「ながら運転」をしてしまうのか。
 初心者であれば運転に必死になるが、数年がたてば「ながら運転」をできる能力が身に付く。「考え事をする」「音楽を聴く」など危険度が低いものが、「ものを食べる」「通話をする」「スマホを見る」と発展していく。これらは連続体であるため、自分ができる「ながら」の範囲が曖昧になり、線引きが難しい。なので緊急時になれば「今日だけ」とスマホを見てしまう人もいるのだろう。

▼どんな危険があるか。
 一番の問題は画面を注視してしまうこと。スマホが浸透し、さまざまなものを読む、見ることが可能になった。スマホなどを見る時には視界自体は広く保っていても、注意を払うことができる「有効視野」は狭くなり、危険が生じる。
 また「ものを探す」「外を見る」など他の脇見は長くても1~2秒ほどだが、スマホやナビは1回にある程度の時間をかけなければ情報を得たり、操作を完了させたりできない。結果的に脇見の時間が長くなる。

▼厳罰化の意義は。
 交通事故防止の観点から法改正は良い。厳しすぎるという声もあるが、それは裏を返せば「ながら運転」の危険性が一般の人に広く認識されていないということ。今後もスマホ関連は発展して事故が増える可能性がある中、この時期の法改正は適当だと思う。

▼法改正後の展望を。
 最初は「ながら運転」の減少に効果があるが、徐々に運転者の気持ちが緩み、頻度を減らして続ける人や再びしてしまう人が出てくるだろう。ただ本来は、厳罰化されたからではなく、「危険だからやめる」と考えるのが理想だと言える。
 運転は速度や一時停止などを含め、自動車学校で習ったことを自己流に崩してしまいがち。たまたま事故が起こっていないだけで、危険に変わりはない。今回の改正が自分の運転を見つめ直す機会になればいい。

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