無給労働に謝罪の手紙 一世風靡のダンス創った振付師の辛酸

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Mr.Childrenや桑田佳祐(63)のコンサートや、ジャニーズの舞台の振付などでも活躍してきたダンサーで振付師の川崎悦子さん(63)。彼女が世に知られるようになったきっかけは、哀川翔(58)や柳葉敏郎(58)らを輩出した一世風靡セピアのダンスだった。だが、その裏には知られざるドラマがあったーー。

「歌って、踊って、演じる。ミュージカルざんまいで過ごせたら、最高だと思いました」

高校時代、テレビでミュージカル『雨に唄えば』を見てそう思った川崎さん。女優になりたいという強い意志と夢が生まれた。その思いを胸に、オーディションを受けまくっていた頃。「受かる秘訣は特技だよ」とアドバイスをもらった。幼少期からやっていたバレエのおかげで、得意だったダンスを磨こうと訪ねたスタジオで『ウチで教えない?』と逆スカウトされたという。

夢を追いかけて三畳一間の生活を送っていた20代の川崎さんにとって、ダンス講師の仕事は1つの収入源となった。そんなときだった。ダンス仲間のひとりが『役者の集団が振付師を探しているんだけど、見に行かない?』と、誘ってくれたのだ。

団地の集会所で稽古しているという。最寄り駅まで迎えにきてくれた男性は、アロハシャツに髪はアフロ。ヤンキーにしか見えない。

「第一印象は『この人たち、汚い』だったんです(笑)。でも彼らの芝居を見た瞬間、『面白い、吸収したい』って直感しました」

それが、劇男一世風靡の前身、「劇男零心会」だった。

川崎さんに託されたのは、強面の男たちへのダンス指導だ。だが、全員がダンスを踊ることに納得していた訳ではなく、稽古の途中で椅子を蹴るなどの妨害をしてきたメンバーもいたという。川崎さんはそんな“不良たち”が輝ける振付を考えた。メンチを切ったり不良のポーズを入れ込むなど、彼らが輝ける振付を考えたのだ。今でも川崎さんを「先生」と呼ぶ哀川翔は、こう振り返る。

「先生は、俺らが何が嫌なのかをいつも考えてくれました。すごく熱くて、覇気がある。この人にぶつけると、形になって返ってくる。指導者としての確固たる存在感があったからこそ、俺らも信頼するようになったのです」

その後、選抜メンバーは一世風靡セピアとして『前略、道の上より』でシングルデビュー。一気に有名になっていった彼らと対照的に、当時の川崎さんはノーギャラ。しかも、スタッフによって、彼女の存在は隠されたという。

「毎日のようにお稽古に通うのが楽しくて、お金をもらおうという発想がそもそもなかったんです。でも影どころか、形も無いような扱いは屈辱だった。はしごを外されたような気がしました」

一世風靡は、素人の男たちがどこからともなく集まって週に一度路上パフォーマンスをするというコンセプト。「プロのダンサーで、女性の私の存在は、違和感となったんでしょう」と川崎さんは振り返る。これまで「川崎先生」と呼んでいたスタッフが「川崎さん」と呼び方を改め、取材時には席をはずすよう促される。そんな扱いを受け、川崎さんは一世風靡から離れたーー。

すると、メンバーから電話が入ったのだ。

「もう失礼なことは俺たちがさせないから、これからも振付をやってもらえないかな」

彼らは『先生が辞めたら僕らも辞めます』という内容の文章にそれぞれの名前とハンコを押した、まるで小学生の作文のような手紙を持ってきたという。一世風靡メンバーから手紙をもらったとき、少しぶっきらぼうに「じゃあ、やってもいいけど」と応じた。けれど内心では、踊り出しそうなほどに嬉しかった。この騒動の後から、仕事に応じて振付料が支払われていくように。

一世風靡セピアの振付がきっかけで、広く知られるようになった川崎さん。大好きだった演劇の世界からもオファーが殺到するように。さらに“武富士ダンス”をはじめとするCMや、「ドラマ女王の教室」でのエンディングのダンスなど、ジャンルを選ばず、幅広い世界で活躍する日本を代表する振付師として知られるようになった。

それでも、戦友である一世風靡セピアの元メンバーたちは特別だ。いまも集えば、昔話に花を咲かせる仲だという。