不思議発見!不思議こんなところにこんなものが・・。(岐阜県山県市)

戦国武将の軌跡篇 関ヶ原の合戦まで生き延びという明智光秀の墓「桔梗塚」

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岐阜県山県市を走る国道418号線通称ヤマボウシ街道から国道256号線通常アジサイ街道に入ると中洞白山神社があり、そこには明智光秀の墓があります。

光秀の墓(桔梗塚)

2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公にもなっている明智光秀と言えば、
本能寺の変で、織田信長を倒し、直後に中国大返しにより戻った羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れ落ちていく途中、小栗栖(現・京都府京都市伏見区小栗栖)において落ち武者狩りで殺害されたとされています。

何故こんなところに光秀の墓があるんだろう。

中堂白山神社

光秀の出生については謎に包まれています。

通説では清和源氏の土岐氏支流である明智氏に生ま、父は江戸時代の諸系図などでは明智光綱、明智光国、明智光隆、明智頼明など諸説がありますが、父親の名前も伝わらない低い身分の土岐支流とも言われています。

 

光秀産湯の井戸

岐阜県山県市に残る伝承によれば、光秀の父は土岐元頼(美濃守護土岐成頼の四男)と言われています。

元頼は地元の豪族中洞源左衛門の娘お佐多(後の松枝)を妻に迎え、1526年8月15日に長男の十兵衛(明智光秀)を生みます。

中洞白山神社の前には産湯の井戸もあります。

そして、光秀が7歳の時に父は没し、父の遺言に従い祖父の中洞源左衛門にともなわれ可児の明智城へ行き、明智光綱の養子となったと言われています。

さらに伝承によれば、小栗栖で討ち取られて死んだのは、光秀の影武者 荒木山城守行信と言う人物で、光秀は荒深小五郎と名を変えて、生みの母の故里、美濃国美山町中洞(現在の山県市)に隠れ住み、関ヶ原の合戦の頃まで生き延び、関ヶ原の合戦が起きると東軍に味方せんと村を出発するが、その道中で藪川(根尾川)の洪水に流され命を落とし、この地で埋葬されたと言われています。

【住所】岐阜県山県市中堂1020中堂白山神社