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戦国武将の軌跡篇 明智光秀大垣市上石津町生誕説

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国道365号線通称牧田川ヤマザクラ街道から少し道を外れ西に向かうと城跡のような石垣群があり、その敷地には城門のような古い建造物「旗本西高木家陣屋跡」が建っています。

この辺りには、明智光秀の誕生とされる多羅城があったと言われています。

高木陣屋跡

明智光秀の出自については謎が多く、岐阜県の中でもいくつかの町が「我が町こそ明智光秀の誕生の地」と名乗り出ているが、大垣市上石津町もその一つです。

東京大学史料編纂所にある明智一族宮城家相伝系図書によると光秀は1528年8月17日石津郡多羅に生まれで、多羅城主山岸(進士)信周と信周の下に嫁に来た明智家当主明智光綱の妹の間に生まれたとあります。

明智家当主光綱に子供が無かったため、養子として光秀が明智城に入り、これが後の明智光秀とするものです。

多羅城は、築城時期は時16世紀後半、関一政が築いたとされていますが、それ以前は、明智光秀の生家、進士家の居城ではなかったか言われています。

慶長5年(1600)、関ケ原の戦いの後は、高木貞利がこの地に転封され旗本となりました。そして、石津町には、西高木家・東高木家・北高木家三家それぞれで陣屋を構えました。

現在、幕末まで続いた西高木家の陣屋跡が国指定史跡として残っています。

多羅城西高木家陣屋跡

【住所】大垣市上石津町宮236番地1