映画『台湾、街かどの人形劇』楊力州(ヤン・リージョウ)- 台湾の歴史に翻弄されながら生き続ける大衆芸能・布袋戯を追った貴重な記録

ドキュメンタリーの持つ影響力

──映画という大衆芸術にとって、布袋戯のような伝統的な文化をテーマにするのはなかなか難しいと思うのですが、今回なぜ布袋戯を被写体にしようと思ったのですか?

楊:まず美術的な観点から、あの素晴らしい人形劇がどういう風にできているかを解き明かそうと思ったのが始まりでした。生命のない人形が、なぜあのようにいきいきと生命力にあふれた芝居を見せるのか。そして映画にすることで、小さな人形劇を大きなスクリーンに映して、遠くからでは見えないような部分を見せることができる、そういう貴重な機会になるのではないかと。

商業的な部分で言うと、私はドキュメンタリー映画を作る前に、観客動員や興行成績といったことを考えません。それを考えたら作品はできないと思っています。以前、私は災害やアルツハイマーのドキュメンタリーを撮影しましたが、この時も市場のことは考えずにただ自分の撮りたいものを撮りました。ドキュメンタリーにとって一番大事なのは影響力です。影響力とは、被災した町や災害に注目が集まることです。

学生時代の私は、ドキュメンタリーはじっくり観察することだと思っていましたが、次第に観察するだけでなく、そこに自分も積極的に関わり、それを観客に見せるようになりました。賛否両論ありますが、私にとってドキュメンタリー作品は、他人の人生を記録するだけでなく、観客に影響を与えることが重要だからです。

──今作は台湾で昨年の興行収入12位を記録し、ドキュメンタリーとしては大ヒットとなりましたが、観客に対してどんな影響があったと思いますか。

楊:この映画を撮る最初の目的は伝統を継承することの重要性を訴えることでした。ただ撮っている途中で気づいたのは、私は伝統の継承ではなく、崩壊の過程を撮っているのではないかということです。だとしたら、長い歴史のある人形劇が消滅していく記録を撮ることで、布袋戯とサヨナラしようという気持ちになりました。しかし、私の予想に反し、この映画が上映されると布袋戯が生き返ってきたのです。これこそが私が望んでいた影響だったと思います。

──この人形劇を消滅させたくないという監督自身の思いが伝わったということなんでしょうか。

楊:そうかもしれません。映画の制作中、私はずっと怒りを感じていました。こんなに美しいものが消滅すべきではないと。この映画を観た台湾の文化部長(日本では文部科学大臣にあたる)からの「あなたはどうしてこの映画を撮ったのか?」という問いかけに対し、私は怒りを込めて「僕は、映画という最も華麗なメディアで、伝統的な布袋戯と世の中をサヨナラさせたかった」と答えたんです。すると、その大臣は突然号泣し「そのような事態にならないように一緒に努力しましょう!」と言ってきました。

父と子の奇妙で複雑な関係

──この映画の英語のタイトルは『Father』ですが、タイトル通り、主人公のチェン・シーホァンさんと、厳格な父親であり、布袋戯の師でもあるリ・ティエンルーさんとの関係が大きなテーマになっています。

楊:この映画は布袋戯と共に、英語のタイトルにもなっているように父と子が重要なテーマです。いかに自分自身であるべきか、ということも繰り返し出てきています。チェンさんは、偉大な父の存在の影で生きてきました。しかし、影ではなく自分が自分であることを保持するのはたいへんな困難を伴います。同時に弟子にとってもチェンさんが巨大な存在であって、そこでどう自分を保ち続けていくかが大きなテーマです。

──撮影は10年をかけたそうですが、その間、ヤン監督と被写体のチェンさんの関係も変化しましたか?

楊:12年前に初めて会った時、私にとってチェンさんは雲の上の存在でした。しかし映画制作の途中で彼に対する印象が変わっていきました。彼はとても寂しいお年寄りであると同時に、8歳の子供のようでもあり、今では同じ地点に立つ同志だと感じています。それは私が成長したからでもありますね。

──日本だと厳格な父親像は近年かなり薄れていますが、台湾ではどうなんでしょう?

楊:私は現在50歳ですが、私の世代では父親は厳しい存在だったと思います。でも今の30代ぐらいにとって父親は、それほど厳しい存在ではないでしょう。私と父親との間にはあまり会話がありません。しかしこの映画を撮ったことで、私は自分の息子ともっと話そうと思いました(笑)。

実は、映画の編集で悩んでいる時に、ちょうど(台湾出身の世界的な映画監督である)アン・リー監督がプロモーションのために台湾に戻っていたので、私は彼に会いに行って「あなたは父親とどういう関係でしたか?」と訊いてみました。そうしたらこんなエピソードを話してくれたんです。

リー監督がオスカー賞を受賞した時に、トロフィーを持って家に帰ったところ、家にはメディアの人達や政治家などがたくさん来ていた。その後、彼らが帰り、二人きりになった時に父親からこう言われたそうです。「おまえはこんな立派な賞を獲ったんだから、そろそろ真面目な仕事に就いたらどうだ?」と(笑)。私も最初は冗談だと思ったんですが、その時のリー監督は真面目な顔で「そう言われた時はとてもつらかった」と。父と子の関係は、本当に奇妙で複雑なものだと思いました。

芸術の核心は自由であること

──この映画のもう1つの重要なテーマは、布袋劇が常に台湾の歴史に翻弄されてきたことです。もともと大衆娯楽だった布袋劇は、時の政権によってある時はプロパガンダに利用され、ある時は禁止されたりしました。実は日本でも芸術と政府との関係が今、大きな議論になっているのですが、ヤン監督は、映画や芸術に対し国家が介入してくることをどう思いますか?

楊:国は芸術をコントロールしてはならない。なぜなら芸術の核心は自由であることだからです。今の台湾では表現の自由が国に管理されている状況はありません。しかし、映画制作者が中国大陸での興行成績をよくしようと、自ら内容を規制してしまうことはあると思います。実は何年か前、私の中国の友人が私のドキュメンタリー映画を中国のテレビで放映したいと言ってきたので、もちろん私はいいですよと言いました。それでその友人は作品を中央政府に持って行き、審査を受けました。その映画は特に政治的な内容ではなかったのですが、審査は通りませんでした。その理由はなんと「太真実」という3文字だけ。つまり、真実過ぎるということです。ドキュメンタリー映画が真実を描いちゃいけないって随分おかしな話ですよね。

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