ミャンマーの仏教遺跡「バガン」をむしばむ「がん」とは 世界遺産登録でにぎわう観光地の実態【世界から】

〝改修〟されたタラバー門を描いた作品。連作「バガンのがん」の一作だ=板坂真季撮影

 崩れかけたレンガの建物にのしかかる黒々とした分厚い雲。それを、押しとどめるようにわき上がる白い月―。

 この油彩画は、今年66歳となったミャンマーを代表する画家M・P・P・イェイ・ミンがここ数年取り組んでいる連作シリーズ「バガンのがん」の1作だ。

 カンボジアの「アンコール・ワット」、インドネシアの「ボロブドゥール」とともに世界三大仏教遺跡に数えられる世界遺産の「バガン」。ミャンマー中部、首都ネピドーを含む「マンダレー地方域」に位置する。その場所は、同国を南北に縦断する大河・エーヤワディー川東側に広がる平野部にあたる。三千を超えるとされる大小のパゴダ(仏塔)の遺跡群は、初めてミャンマーを統一した「バガン王朝」の歴代王たちが11~13世紀にかけて建立した。赤茶けた草原にパゴタが林立する光景は何とも壮大で、世界中の観光客を魅了している。

 しかし、世界遺産登録への道のりは容易ではなかった。

 ▽四半世紀もかかった世界遺産登録

 1994年にミャンマーが世界遺産条約に批准すると、バガン遺跡はすぐに登録候補となった。ところが、当時の軍事政権と国連教育科学文化機関(ユネスコ)が決裂したため、登録にこぎつけたのは、アウン・サン・スー・チー率いる文民政権の誕生を経た2019年7月だった。実に四半世紀もかかったことになる。

バガンで、夕日を眺める外国人観光客ら=5月(共同)

 ミャンマーの人々にとって念願とも言えるこの登録を手放しで喜べない―。M・P・P・イェイ・ミンはそう考えている。観光地化に伴い、バガンは仏教の聖地としての意味合いや歴史的建造物の価値が急速に損なわれようとしている。彼の「バガンのがん」シリーズは、現在の問題点を浮き彫りにすることを狙いとしている。

 世界遺産登録を記念し、バガンの考古学博物館は来年1月7~11日に有名画家たちがバガンを描いた作品を集めた展覧会を予定している。だが、M・P・P・イェイ・ミンはそれに参加せず、あえて同じ日程でバガンをテーマにした個展を旧首都のヤンゴンで開く。それは誰よりもバガンを愛し、20年以上もの長きにわたってバガンにアトリエを構えて絵を描き続けてきた、彼なりの抵抗だ。

 ▽「黒く分厚い雲」と「白い三日月」の意味

 冒頭で紹介した絵は、遺跡が集中することから考古学保護区に指定されている「オードルバガン」にある「タラバー門」。ミャンマーの土着神を祭ったものだ。前面にある階段はもともと「3段」だったが、軍事政権時代に昇り降りしやすいよう「8段」に増やされた。これに、M・P・P・イェイ・ミンは憤る。「歴史的建造物は、オリジナルから勝手に改変すべきではない。ましてや、ここは宗教施設ではないか」

 いずれも巨大な3体の座像と1体の涅槃像を安置している「マヌーハ寺院」。ここにある、胴部分を袈裟(けさ)で覆われた高さ14メートルの大仏を描いた作品でも、彼の〝嘆き〟が描かれている。ちなみに、奈良・東大寺の大仏は高さ約14・7メートルなのでいかに大きいかが分かる。初めて目にした人にとっては当たり前のように映るだろうが、この袈裟は最近になって取り付けられたものだ。M・P・P・イェイ・ミンはそこを問題視する。

 「人びとが見たいのは、金持ちが寄進した袈裟ではなく仏像そのものの姿。功徳を積みたいのかもしれないが、それなら他にいくらでも方法があるはず」

車両進入を止めるゲートを設置したタビニュ寺院=板坂真季撮影

 語気を強めてそう語るM・P・P・イェイ・ミンはユネスコにも批判の矛先を向ける。バガンの中でも最も高い60メートル超の「タビュニュ寺院」を正面に臨む場所にユネスコが設けた車の進入を禁じるためのゲートについてはこう断じた。

 「景観を著しく損なう醜い柵だ」と。

 M・P・P・イェイ・ミンが描く「バガンのがん」シリーズの作品には必ず、黒く分厚い雲と白い三日月が登場する。「雲」はバガンをむしばむ「がん」を意味し、信仰の場としての神聖さを浸食していく観光地化していく現状を、「三日月」は「がん」からバガンを守ろうとする地元の人びとの良心を象徴させているという。

 ▽政府批判が許される意味

 それにしても、民主化運動に参加したせいで軍事政権時代には長い獄中生活を送ったM・P・P・イェイ・ミンが、このようにあからさまな政府批判を口にすることができるのだ。およそ半世紀にわたって続いた軍事政権に終止符が打たれ、民政移管を果たした2011年からわずか8年。曲折はあるものの、ミャンマーの民主化が確実に進んでいることを心の底から実感せざるをえない。

 そんな今だからこそ、M・P・P・イェイ・ミンが紡ぐ言葉に耳を傾ける時なのではないか。(ヤンゴン在住ジャーナリスト、板坂真季=共同通信特約)

バガンにあるアトリエで取材に応じるM・P・P・イェイ・ミン=板崎真季撮影

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