One’s Home ふるさとへの思い

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森田薫(かおる)さん(80)
東京中田会副会長
中田町(沼畑)出身

◆「故郷への感謝の思い」
「薫ちゃんは『僕ね、今の汽車で来たんだよ』と息を切らしながら、走って浅水に来たんだよ」と、中田に住むいとこは70年以上たった今も、懐かしそうに話してくれます。東京立川飛行場のそばに住んでいた昭和
19年の秋、頻繁にあった米軍の空襲から子どもを守るため、母が浅水の実家に私と妹を預けに来た時の話です。
戦後は、父母も自宅を焼き出され、家族みんなでお世話になっていましたが、数年後、父は戦時の負傷がもとで亡くなり、以来、母の実家で高校に入るまで暮らしていました。
戦後初の小学生として、小学校に入学。教科書は1学期の終わり頃にはボロボロに、ノート代わりの石板に先生か
らもらった丸印は、家に着く頃には、ほとんど消えて見えなくなっていました。そんな中でも、みんなで仲良くあぜ道を駆けたり、線路の土手を滑ったりしながら通学しました。同級生や近所の子どもたちとは、そり滑り、堀や小川での魚捕りや水遊び、田んぼで野球などをして遊びました。
ふと思い出す田舎の生活は懐かしく、心地よいものが数多くあります。「お茶っこしさえ」と声を掛けると、近所の人たちが集まり、縁先で楽しそうに語らっていた光景は心から離れません。
ほかにも、農作業の手伝い、共同の道路や水路の手入れ、冠婚葬祭の役割分担、寄り合いというミーティング、暮らしの中での助け合い。みそ、しょうゆ、納豆、麦芽で作るあめ、豆腐、干し柿、冬場はしみ豆腐、しみ大根などの暮らしに根付いた食材。牛や鶏を飼い、魚介は農産物との物々交換。季節の山菜や漬物、保存食、祭りのごちそうなど、全てが昔から伝えられた素晴らしい財産だったのでしょう。
浅水で過ごした時に得た、助け合いながらみんなで共に生きる素晴らしさは、私の財産になっています。