父を日本兵に殺された元米兵が語る「和解の旅」  ベトナム反戦運動率いたスーザン・シュノールさん

スーザン・シュノールさん

 日本ではあまり知られていないが、1960年代後半から70年代にかけて米国で大規模に繰り広げられたベトナム反戦運動には、多数の現役軍人が参加していた。当時20代半ばで海軍看護兵だったスーザン・シュノールさん(76)はその中心人物。サンフランシスコの米軍基地上空から民間機で反戦ビラを撒き、軍服を着て平和運動に参加したことで、軍法会議にかけられ有罪判決を受けた。それから約50年。スーザンさんは、平和を求める退役軍人団体「ベテランズ・フォー・ピース(VFP)」ニューヨーク支部代表としてこのほど来日した。「広島・長崎への原爆投下と、東京にナパーム弾を落とし10万人を死に追いやった事に、米国VFPを代表して謝罪します」。各地で行った講演や記者会見はこの言葉で始まったが、日本はスーザンさんの父を奪った国でもあった。(ジャーナリスト=舟越美夏)

反戦デモに参加するスーザン・シュノールさん

 ▽父は戦争に殺された

—20代から現在まで、一貫して反戦の姿勢を貫かれています。

 「振り返ってみれば、『戦争と死』に常に向かい合ってきた人生でした。父は1944年7月22日にグアムで日本兵に殺され、私は(当時乳児だったために)数枚の写真と手紙でしか父を知りません。母は父を思いよく泣いていましたが、私にとって父は永遠に不在なのです。そのことは私の娘にも影響を及ぼしています。しかし父は戦争に殺されたのであり、真の敵は戦争なのです。今回の旅では加害者として、また被害者として日本の皆さんと和解し、語り合いたかったのです。」

—米海軍に属しながらなぜ、反戦運動を始めたのですか?

 「1967年から69年までカリフォルニア州オークランドの海軍病院で看護兵として勤務しましたが、武力で平和は築けないという事実を決定付ける経験でした。搬送される兵士は17歳から20歳が大半で、手足を失い痛みに泣き叫ぶ、凄まじい光景でした。

 軍人としてやるべきなのはこの戦争を終わらせることだと思ったのです。68年当時、月に3万5千人もが徴兵され、一般市民は戦々恐々としていたました。何千マイルも離れた遠いベトナムで起きている『自由を求める内乱』に米国がなぜ介入するのか、若者達は意味の分からない戦争に命を捧げるのは嫌だと感じていたのです。

 現役の軍人も反対していると表明しようと、少数の同僚らで平和行進を企画し参加を呼びかけるために、パイロットの友人の操縦で、海軍航空基地などサンフランシスコの5つの軍関係施設の上空からビラを撒きました」

 ▽「上官の命令に従っただけ」

—軍の反応は怖くなかったのですか。

 「最初はね。職場ではいつも見張られている感じがしたし、反発する市民もいて『自分の国に帰れ』なんて手紙も来ました。私は米国人なんですけれどね。でも私の患者たちは支持してくれ、『一緒にやりたい』という人たちも集まって来たのです。大胆な行動を起こす人を待っている「大勢の人々」が必ずいるのです。68年10月の平和行進には、現役と退役の軍人が何千人も参加しました。あるベトナム人兵士が「戦う相手は米国政府。市民は敵ではない」と言いましたが、この言葉は、市民が自国政府の方針に賛成できない場合、「私たちは望んでいない」と声を上げることが大事だと教えてくれます」

—兵士は軍の方針に反対できるのですか?

 「(ナチスドイツの戦争犯罪を裁く)ニュルンベルク裁判で、元幹部たちが『上官の命令に従っただけ』と繰り返したことを教訓に、米国の統一軍事裁判法は、違法な命令には従わなくて良い、としています。

 私は自分の軍法会議で「ジェノサイド(一定の集団を計画的に破壊すること)が起きている」とベトナム戦争の違法性を反戦行動の理由として挙げました。でも判決は懲役6カ月だったのですから、法律は生かされなかったということです。

 志が高い人も、軍では上官の命令に従うだけの人間に変わっていきます。ベトナム戦争とイラク戦争の帰還兵たちをテーマにしたドキュメンタリー映画では、兵士たちが命令に従い行った惨い行為について赤裸々に語っています。人道に反する命令に従ってしまった兵士は心に傷を負ってしまうのです」

ベトナム戦争当時、枯れ葉剤を散布する米軍機(戦争証跡博物館提供・共同)

 ▽破壊の責任は戦争を起こした側が取るべき

—トランプ政権になって、運動への政府の対応に変化はありましたか。

 「デモで逮捕者が出たり、嫌がらせのメールが来たりしますが、運動をやる上では予測の範囲内のことです。ジョンソン、ケネディ、ニクソンら大統領は、ベトナム戦争を選挙に利用しました。現在の大統領がまた同じことをやるかもしれないと考えると、ぞっとします。

 米軍は在外基地では日本に最も多くの武力を投入していますが、これは戦争の準備ができているというメッセージにしかなりません。さらに米国は軍事行動に自衛隊を引き込もうとしています。要求に応じて、自衛隊が米軍と同じように人殺しをする時代が来るのではと危惧しています。米軍を日本本土と沖縄から一掃するために日本の人々と連携したいと思っています」

—ベトナムに米軍が散布した枯葉剤による被害者救済活動に力を入れていますね。

 「米軍の撒いた2100万ガロン(7900万リットル以上)の枯葉剤で340万人以上が被害を受けました。米政府は元米兵には補償をしていますがベトナム人にはしていません。

 私たちはベトナム、米両国の被害者を救済する法案を米下院議会に提出しています。戦争を起こした側が破壊の責任を取るべきだというのが私の基本的な考え方です。ドローン攻撃など新たなテクノロジーで、どんな被害が出ているかを攻撃側が実感できにくくなっていますが、戦争の現実を軍にいた者として伝えなければなりません。私たちの世代の責任はきちんと取る行動をしたいのです」

© 一般社団法人共同通信社