開戦受け入れた表現者たち 踏みとどまる方途は

By 江刺昭子

1941年12月7日(日本時間8日)、ハワイの真珠湾で日本軍の攻撃を受け炎上、沈没する米戦艦アリゾナ(ゲッティ=共同)

 その日の朝は晴れあがって寒かったという。今年の12月8日もひんやりと青い空が広がっていた。後に苛酷な被害をもたらすことになる1941年12月8日、開戦の日を人びとはどんな思いで迎えたのだろうか。

 地域女性史を編纂するために、女性たちのライフヒストリーを聞き書きしてきた。明治・大正生まれの人の場合は、問わずがたりに戦争中の話題になった。だが、乏しい食糧、父や夫の出征、疎開、勤労動員、空襲、引き揚げといった被害体験がほとんどで、開戦の日についてははっきり覚えていない人が多かった。当時の記録にあたってみた。

 高知県在住の裁判官の妻坂本たねは当時41歳で、毎日のできごとを几帳面に日記につけていた。12月8日は「午前六時 臨時ニュースに西太平洋に於て帝国海軍は英米と戦闘状態に入れりと愈々戦争は開始される事になり 午前十一時には宣戦の大詔煥発せられ 刻々とラジオにて報道ありて終日落ち着かず」(小寺幸生編『戦時の日常 ある裁判官夫人の日記』)と書き始めている。

 「愈々(いよいよ)」とあるから、この日を予期していたことが分かる。

 やはり開戦をラジオで知り、道行く人びとの緊張した表情を短歌で表現しているのは、20代の横浜の小学校教師、森玉江(「森玉江日記」『横浜の空襲と戦災2』)。

 <冷やゝけき朝の空気をふるはしてラヂオは告げぬ英米撃つと>

 <この朝のゆききの人の面わにも国のさだめを負ひし色見ゆ>

 戦後、原爆作家として活躍する大田洋子は38歳で、東京に住んでいた。

 「八日、米英に対して聖なる宣戦が布告されたのだつた。この開戦はびつくりしたり、驚愕の念を抱かせられたものではなく、かくあるべきことが鮮明に具体化されたのだつた。八日は新聞やラジオにくつついてゆき、涙を流し、眼ざめるやうな思ひがし、新鮮な焔を感じた」(「十二月八日の夜」『暁は美しく』)とあって、来るべきものがきたという認識である。

大田洋子(1957年ごろ)

 当日は座談会に出席している。その様子をこう描写する。

 「覚悟はとつくに出来てゐて、今夜とくべつ声を大きくして叫ぶことももうない思ひからか、どの人も言葉が少い。いままでの覚悟をやや強く、しかも蛇足的にいふだけのことであった」

 予想したことであっても大国米英と戦端を開いたことで覚悟を新たにしたというのだ。

 戦争に協力しなかった作家として知られる野上弥生子は、戦後公開された日記に、日中戦争について、「この日本のやり方など強盗、押込み以上の行動で、考へると憤りをかんじさせられる」(36年11月22日)と厳しく批判している。しかし、太平洋戦争開始後、雑誌に寄稿した文章はニュアンスが違う(「ただ子供たちを」『婦人公論』42年2月)。

 

1984年5月、長寿のお祝いの会の野上弥生子

「もう一度新しい覚悟をもつて戦はなければならない日がやつて来た。日支事変の際にははじめから不拡大を声明した政府当局が、今度は長い辛抱が要ることを宣戦布告とともに語るのだから、私たちの気構へにもぐつと違ふものがある。味方の飛行機、軍隊はいち早くも敵地の到るところに輝やかしい戦果をあげて突入してゐるのに、私たちが空襲の警報に一夜の夢も破られず安らかに眠り、昼はそれぞれの仕事に平常通り就けるのはなんと云ふ幸福であらう」

 公然と戦争に反対するのは無理な時代だが、開戦を肯定していると読める。多くの作家や歌人が戦争賛美の文章を量産しているのに比べれば控えめではあるが。

 与謝野晶子(63歳)は、40年春の関西旅行後に脳溢血で倒れて療養中だが、投歌は欠かしていない。『短歌研究』42年1月号掲載のうちの2首。

 <日の本の大宰相も病むわれも同じ涙す大き詔書に>

 <水軍の大尉となりてわが四郎み軍(いくさ)に往く猛(たけ)く戦へ>

 日露戦争のさなかに発表した詩「君死にたまふことなかれ」で「すめらみことは、戦ひに/おほみづからは出(い)でまさね」とうたって物議をかもしたが、今は開戦の詔書に感涙し、海軍大尉として出陣した4男昱(いく)を病の床から鼓舞する晶子である。

 ここに文章を引用した人びとは、声高に戦争を賛美しているわけではないが、やむを得ない成り行きとして受けいれ、戦勝を願って体制に協力する覚悟を示している。それまでの中国との戦いと違い、世界最大の強敵と戦う自衛の戦争という刷り込みが、気持ちを昂揚させたのだろうか。自立してものを考えてきたはずの作家たちが翼賛に傾いている。

 既に言論の自由は完全に奪われていた。同じような立場にいたら、わたしも流されたに違いない。踏みとどまるにはどうしたらいいのだろうか。その問いはいま、決して遠くにあるものとは思えない。自問自答しながら一日を過ごした。(女性史研究者・江刺昭子)

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