石橋政嗣さん逝く

 〈…頼まれれば買い物に行き、スーパーの袋を提げて帰る。週2回のゴミ出しも私の仕事。家族が役所の用事に手間取り「私が行けばなんとかなるだろう」と市役所に赴くと、窓口の職員は「運転免許証か何か、本人であることを証明するものを」と…〉▲政界を去って「ただの人」に戻った日々が楽しげに綴(つづ)られている。亡くなった石橋政嗣さんが引退の9年後、ちょうど20年前に著した回想録「五五年体制-内側からの証言」から▲長崎弁の「のぼすんな」「腹かくな」が信条だったという。威張らない方はなんとか貫いたが、怒らない方はさっぱり守れず…と同書に▲確かに社会党中央でご活躍の頃、まだ子どもだった筆者が記憶しているのは、国会や討論番組で首相や大臣に語気鋭く詰め寄っているおっかない姿ばかりだ。ただ、父か母かに「この人、長崎の人なんだよ」と教わった時には何だか誇らしく感じた覚えも▲国会の議事録と戦後の政治史に鋭い爪痕を残した「野党の論客」は徹底した“庶民派”でもあった。特権意識を持つなと妻や子も戒め、党の書記長になっても長く銭湯通いを続けた▲回想録の奥付に「8月15日 第1刷発行」の文字を見つけた。平和と護憲を強く熱く訴え続けた足跡の最後にこの日付を刻んだ思いを改めて想像してみる。(智)

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