高井保弘氏が残した偉大な功績とは… 代打本塁打27発は未踏のプロ野球記録

高井保弘氏は通算27本の代打本塁打記録を樹立している

1964年に名古屋日産モーターから阪急に入団した高井氏

 阪急ブレーブスで通算27本の代打本塁打記録を樹立した高井保弘氏が12月13日、死去した。74歳だった。

 高井氏は1945年2月1日、愛媛県今治市に生まれた。同学年には大杉勝男、大下剛史、安仁屋宗八などがいる。地元の今治西高時代から強打者として知られ、名古屋日産モーターを経て1964年に阪急ブレーブスに入団した。

 右打ちの一塁手だった高井氏だったが、入団時、阪急には石井晶という正一塁手がいたうえに、二塁が本職のダリル・スペンサーも一塁を守ったため出番がなかった。170センチ93キロという体型でもあり、守備でも難があった。

 しかし、2軍では圧倒的な打棒を見せたため、次第に注目され1966年に1軍初出場。1967年9月2日、日生球場の近鉄戦で決勝3ランを放ち、これがプロ入り初ホームラン。そして代打本塁打1号でもあった。1968年は1軍出場なし。69年も9試合の出場にとどまった。

 1970年に高井は5本塁打を放つが、このうち3本が代打本塁打だった。投手の癖を見抜くのがうまく、球種を絞り込んで一振りで決める勝負強さに定評があった。

 高井が注目を集めたのは1974年だった。当時のNPBの通算代打本塁打記録は中西太と穴吹義雄の13本。開幕前の段階で通算代打本塁打が10本だった高井は4月17日の日本ハム戦、4月24日の太平洋戦、5月19日の日本ハム戦と代打本塁打を打ち、中西、穴吹の記録に並んだ。

 そして6月28日、平和台球場の太平洋戦で東尾修から代打本塁打を打ち、NPBの通算代打本塁打記録を更新。高井の名前は全国的に知られるようになった。この年のオールスター戦にも選出され、第1戦で松岡弘からオールスター史上初となる代打逆転サヨナラ本塁打を打った。

1974年に当時の代打本塁打記録を更新、オールスターで史上初の代打逆転サヨナラ本塁打

 この年、高井はシーズン代打本塁打6本のNPB記録も作った(1976年に中日大島康徳が7本を打ってこれを更新)。「代打男高井保弘」の名前は一気に上がった。翌1975年にパ・リーグは指名打者制(DH)を導入。守備に就く必要のないDH制によって高井の活躍の機会は増えると思われたが、阪急は主としてDHには長池徳二を起用。高井はDHと代打を兼ねるようになる。

 この年の8月27日に行われたロッテとのダブルヘッダー第2試合で高井は金田留広から通算19本塁打目となる代打本塁打。これでパイレーツ、レッズなどでプレーしたジェリー・リンチの通算18本のMLB代打本塁打記録も抜いた。

 1977年、高井はようやくDHとして規定打席に到達。打率.277、11本塁打56打点でDHのベストナインを獲得した。1978、79年と2年連続で打率3割をマーク。高井は投手の球種を読むのがうまく、ミート力もあったので、レギュラーになってからはアベレージヒッターとなった。三振数は50前後と少なかった。

 1980年から再び代打での起用が中心に。代打本塁打は1976年4月8日の日本ハム戦から途絶えていたが、6月12日の南海戦(投手金城基泰)で、ほぼ4年ぶりに代打本塁打を打つ。1982年に引退するまで、通算27本の代打本塁打を記録。これは今も破られていないプロ野球記録となっている。

通算成績は1135試合に出場して2476打数665安打130本塁打446打点、打率.269。ベストナイン1回、オールスター出場1回を誇る。通算代打本塁打記録は断トツのトップ。高井の代打本塁打記録はアンタッチャブルと言える。プロ野球に「代打」という役割があることを広く知らしめた功績は大きい。

NPBの代打本塁打5傑
1高井保弘 27本
2大島康徳 20本
2町田康二郎 20本
4淡口憲治 17本
5川又米利 16本(広尾晃 / Koh Hiroo)

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