清原氏が激白! 「俺の背番号の日に死ぬかな…」愛する母の死が引き寄せた家族の絆

ワールドトライアウトで監督を務めた清原和博氏【写真:編集部】

PL学園の後輩、片岡篤史氏のYouTubeチャンネルで対談

 元阪神の片岡篤史氏のYouTubeチャンネルに元プロ野球選手の清原和博氏が出演した動画が話題になっている。すでに80万回再生されており、PL学園の2学年下の片岡氏が聞き手となり、清原氏が赤裸々に語っている。今回、制作側の許可を得て、インタビューの様子を記事で紹介。前回は逮捕の瞬間や勾留中の生活などについて告白。今回は大切な家族、野球について語った。

 清原氏は保釈後、しばらくは自宅から出ない日が続いていた。野球を始めた息子にも会えないでいた。事件から3年が経った今年、変化があった。

「あの事件以降、息子と会われへんかってん。今年、俺のお母ちゃん(弘子さん)が死んだんやけど、3月5日に。また3と5で。俺の背番号の日に死ぬかな、と。それで母が亡くなったあと、息子と突然会えた。息子も野球やっているし、長男はまた違うスポーツやっているけれど、野球を通じて『教えてほしい』と」

 母の死が導いてくれた再会だったのかもしれない。清原氏は愛息と対面に涙が止まらなかった。

「もう、この子たちにあんな思いをさせたくないというのがある。あの時は一生会われへんのちゃうかなと。そんなん思ってたから、もっと頑張らなと」

 12月1日に東京・八王子市で開催された野球教室「レジェンドベースボールフェス」に清原氏は出席した。その最後に2人の子どもからの直筆メッセージが書かれたTシャツを身に着け、涙を流した。野球をしてきたことを後悔したこともあった。恨んだこともあった。もしも、野球をやっていなかったら、こんなことにはならなかったかもしれない――。自問自答の日々が続いた。しかし、自分を輝かせるのは野球しかないと思えた。沖縄で野球教室を開催したり、ワールドトライアウトの監督も務め、ユニホーム姿の清原が帰ってきた。

第100回大会の夏の甲子園を見て、当時の記憶を呼び起こした

 やはり、清原にはグラウンドがよく似合う。

 昨年、第100回大会の夏の甲子園を観戦した。その様子は大きく報道された。清原氏を語る上、欠かせない場所だ。

「俺も甲子園って(高校で)25試合くらい。圧倒的に巨人、阪神戦の方が多いわけ。あの15歳、16歳、17歳でやった甲子園って全然違うやん。甲子園は2つの顔がある。俺はこんなところで野球やってたんだな……と」

 高校生離れした打撃で、甲子園を沸かせたスーパースターが、再び聖地でパワーをもらった。もう1度、輝くために。

「ずっと戦っていかなあかん病気やから。今まで俺、勝負事って負けたことなかったけど。まぁ、野球の勝負事とクスリと比べるのはおかしなことやけど、初めてなんか敗北感を味わったから。今回だけはもう負けたくないという気持ちで毎日過ごしているから」

 最後は、片岡氏から「清原さんらしい姿に戻ってほしい」とエールを送られると、「これからやね」と返した。(Full-Count編集部)

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