到着は1時間以上遅れました 晩夏鉄道旅顛末記32【50代から始めた鉄道趣味】178

※2014年7月撮影

トップ画像は2014年(平成26年)7月東能代駅3番線の能代駅行五能線キハ40 546。右の2番線は奥羽本線の下り弘前・青森方面です。

能代駅から3.9kmで東能代駅。奥羽本線との接続駅です。大雨による遅れで時刻表では16:19着予定が1時間以上遅れて17時半をだいぶ過ぎて到着しました。

奥羽本線は、シーサス・クロッシング手前右側の電化単線です。奥羽本線は複線区間と単線区間、おまけに三線軌条の区間もあってひじょうに複雑です。東能代駅のある森岳駅~鶴形駅間は単線区間。

左(北)側手前には広大なJR東日本東能代運輸区があって転車台もあります。島式ホームの左側にたくさんの側線があるのも運輸区があり、JR貨物の駅でもあるからです。ただし1998年(平成10年)にトラック代行輸送に転換され2006年(平成18年)にはオフレールステーションになりました。2013年(平成25年)にはトラック便も廃止され、JR貨物東能代駅は定期便の無い臨時取扱駅です。

島式ホーム3番線が五能線ホームです。架線が張られています。

晩夏鉄道旅顛末記8に登場した「五能線終点駅147km137m」の「起点」が置いてあります。何故か奥羽本線の2番線側ですが・・・。

駅名標を撮影し忘れました。何度も来ているので気の緩みでしょうか。2005年(平成17年)1月の駅名標。これから能代の友人を訪ねるという時に撮った夜景です。キヤノンのコンデジを使用していました。SONYの比べて夜景がキレイに撮れました。

※2005年1月撮影

東能代駅は、1901年(明治34年)国鉄の能代駅(初代)として開業。1908年(明治41年)能代町貨物取扱所まで延伸。1909年(明治42年)機織(はたおり)駅に改称。同時に能代町駅が能代駅(二代目・現在の能代駅)に改称。

34年後、1943年(昭和18年)東能代駅に改称されました。JR貨物東能代駅については上に書きました。

駅舎正面。2009年(平成21年)9月。秋晴れです。

※2009年9月撮影

こちらは今回の撮影。駅名の看板が換わっていますね。10年間であまり変化はありません。

2009年9月、午前中の東能代駅。陽光が反射して見難いのですが、2012年(平成24年)のダイヤ改正で定期運転が終了した大阪発青森行の寝台特急「日本海」が停車していました。もうこのブルートレインを見ることもありません。

※2009年9月撮影

青森行です。かつては青函トンネルを通って函館まで行く便もありました。

※2009年9月撮影

こちらも東能代駅。2005年1月に撮影した特急「かもしか」です。JR東日本が1997年(平成9年)に盛岡駅~秋田駅~青森駅間で運転を開始した特急「たざわ」が秋田新幹線開業で秋田駅~青森駅間に運転区間を短縮し列車名を「かもしか」に改称したものです。2010年(平成22年)東北新幹線が新青森まで開業、ダイヤ改正で秋田駅~青森駅間の特急は「つがる」に統一されたので「かもしか」の名称はなくなりました。

※2005年1月撮影

懐かしい写真をご覧いただきました。さて晩夏の鉄道旅はこの後、秋田駅に移動。秋田に泊まって翌日は非電化路線の旅、陸羽西線で余目駅から新庄駅、陸羽東線に乗り継いで小牛田駅、更に東北本線で郡山駅まで移動しました。その後水郡線で水戸駅まで行って、いったん洗濯物を自自宅で新しい衣類に交換して、あらためて銚子電鉄、水郡線の全駅をレンタカーで回り撮影しました。

「箸休め」とか言って始めましたが32回も続いたら長いですよね~。

次回は、レンタカーで回った雨の銚子電鉄をご覧いただきます。

(写真・記事/住田至朗)

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