松田聖子「Pearl-White Eve」松本隆と大江千里による憧れのクリスマスソング 1987年 11月6日 松田聖子のシングル「Pearl-White Eve」がリリースされた日

80年代の音楽がうたったロマンティックなクリスマス

ロマンティックというのは、70パーセントの切なさと、30パーセントの甘さでできている。センチメンタルな気持ちが、ぬくもりと反応を起こした時に現れるのが「ロマンティック」なのだと思う。そう、私にとってクリスマスとはそういうものだ。子供の時から耳にしてきた80年代の音楽たちは、クリスマスを最高にロマンあふれるものとして歌っていた。

その時代を生きてきた父と母の娘として生まれた私は、クリスマスに対する意識が高い。我が家ではちゃんとチキンを焼いたし(りんごとセロリと人参をつめる)、ケーキも食べた。大きなツリーも出す。

両親の友人を招いてパーティをした年は部屋にイルミネーションを飾って、シャンパンを開けて、母特製のティラミスを食べた。ささやかなホームパーティだったけど、そこにはまだほんのり、バブルを過ごした人たちの空気が残っていた。

私は今でもその幸せのにおいを探してる。だから、クリスマスへの夢が醒めない。時代錯誤だと言われても、甘くてとろけるイヴの夜をあきらめきれずにいる。

憧れのクリスマスソング、松本隆と大江千里による「Pearl-White Eve」

松田聖子の「Pearl-White Eve」は私の憧れのクリスマスソングで、センチメンタルなイントロと、優美なサウンドに胸が苦しくなる。

 赤いキャンドルが燃え尽きるまで
 抱きしめて折れるほど
 誰も愛さないそう決めたのに
 もう誓いを破ってる

「♪ 赤いキャンドル」という単語だけで、ゆらめく炎が思い浮かぶ。一言目から情緒的だ。

「♪ 抱きしめて折れるほど」というのは聖子ちゃんの細い身体と、キャンドルを重ねたような描写に思える。

「♪ 誰も愛さないそう決めたのに もう誓いを破ってる」この一行は聞くたびにずるいと思う。“愛してる” を言うのにこんなに回りくどく、いじらしい言い方があるだろうか。

「Pearl-White Eve」の作詞は松本隆、作曲は大江千里。大江千里の紡ぐメロディが天才的だ。私の思うクリスマスの魅力を “これでもか!” と詰め込んでいる。賛美歌のような上品で切ない旋律。それに合わさる松本隆の詞。聖子ちゃんの曲の中でも、私はこれは群を抜いて本当に好きな曲なのだ。

ロマンティックの黄金比、それは切なさと甘さ7:3の比率

先で述べた「切なさと甘さ7:3の比率こそロマンティックだ」という自説を証明してくれる2番を紹介したい。

 暖炉の炎が消えそうだから
 温めて体ごと
 不幸な恋なら前にしたけど
 もう一度信じたい
 氷の張った池の上を
 歩くようだわ
 勇気をだしてあなたの胸に
 飛び込みたいの粉雪の夜(イヴ)

冷たい表現がほとんどなのに、それがロマンを際立たせている。スイカに塩をかけると美味しいのと似ていると思う。

そして、私がこの曲で最も好きな部分。大サビ前のCメロ。一度しか出てこないメロディにも関わらず印象深い。過去の恋愛の傷から閉ざしていた心が開いて行く、場面切り替えの役割も上手に担っている。

クリスマスの朝の特別な気持ち、イヴの夜に存在するかけがえのない奇跡

 目覚める頃はプラチナの朝
 汚れひとつない世界

息が苦しいほどに幻想的なクリスマスの魔法。サンタクロースを信じたことはなかったけど(ユーミンが恋人だと言っていたので)、それでも、目覚めるとプレゼントがあるという魔法は存在した。子どもの頃に感じたクリスマスの朝の特別な気持ち-- そう、愛しくて、かけがえのない奇跡がイヴの夜には存在する。

80年代よりもだいぶ熱が冷めたように思える最近のクリスマスだけど(ツリーなんて人の家で見かけない)、私はイヴの奇跡とかクリスマスの魔法とかそういうものを信じている。だから「クリスマスなんて……」と言われたらすごく悲しくなる。赤プリの予約を取れだとか、ティファニーは茶色の袋の方で頼むとかは言わないから、好きな人とツリーを飾り、ケーキを食べてみたいなと思う。そんなクリスマスの夢を見ている。

カタリベ: みやじさいか

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