長崎スポーツ この1年(1) MHPSニューイヤー駅伝2位 首位と4秒差の快走

2位でゴールした岩田を迎えるMHPSの選手たち=群馬県庁前

 壮絶なデッドヒートを、テレビにかじりついて見た県民も多いだろう。元日の全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)で、MHPSが県勢過去最高となる2位と大健闘した。首位争いは最後の最後まで白熱。わずか4秒及ばなかったものの、新春早々から明るいニュースが紙面を飾った。
 17年に初入賞(4位)、18年は8位。西の果てにあるチームは年々その存在感を増していった。そして今年。手応えを確かなものにするため、絶対に“勝ちたい”レースだった。
 チーム状態は申し分なかった。5カ月前に行われたジャカルタ・アジア大会マラソンで井上大仁が金メダルを獲得。エースに引っ張られるように2、3番手の選手たちも力をつけていた。
 迎えた本番。7人のランナーたちは、予想を上回る走りを見せる。
 3区終了時点で9位と好位置につけると、22.4キロの最長4区を任された井上は期待通りの区間賞で首位に浮上。その後、旭化成も盛り返し、ほぼ同時にアンカーへ。長い並走の末、旭化成がV3のゴールテープを切った。
 この時、MHPSの選手たちは過去最高順位を喜ぶよりも先に、優勝を逃した悔しさをあらわにしていた。アンカー岩田勇治はゴールとともに泣き崩れ、黒木純監督は「王者と、たすきの重みが違った」と無念の表情を浮かべた。本気で日本一を目指していたからこその悔しさ…。だからこそ手にすることができた全国2位でもあった。
 レースから8カ月後の9月。選び抜かれたトップランナーしか挑戦を許されない東京五輪のマラソン代表選考会(MGC)に、MHPSから井上、木滑良、岩田の3人が出場した。4人を送り出したトヨタ自動車に次ぐ一大勢力。いずれも不本意な結果に終わったが、名実ともに一流の仲間入りを果たしたチームの姿がそこにはあった。
 息つく間もなく、また新しい年がやってくる。20年元日。1年前の悔しさを晴らす日は、目前に迫っている。

© 株式会社長崎新聞社