「選挙は人生そのもの」

中村喜四郎衆院議員インタビュー(下)

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西野 秀

共同通信社編集局デジタル編成部編集委員

西野 秀

共同通信社編集局デジタル編成部編集委員

47newsに、プレミアムインタビュー(仮称)を掲載する予定です。ストーリーズPLUSもやっています

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 ゼネコン汚職で逮捕され「地獄を見た」と言われる一方、強い後援会をバックに衆院当選14回という長い政治経歴を持つ中村氏。選挙の戦い方、後援会の作り方、安倍首相への注文など、幅広く聞きました。

■自民党はたいしたことない

 ―小選挙区制が入ってから、地道に積み上げて選挙運動をしていく人が少なくなっていませんか。

 「選挙っていうのは、ヒーローなんかいらないんですよ。ヒーローが出るってのは、うそなんですよ。風を起こした男みたいな。そんなのはインチキな話。やっぱり選挙というのは、努力した対価として、成果が得られないと。そりゃ力になりませんよ」

 「今の野党の人たちは、自民党のことを非常に強いと思っている。だから勝てないと思っているんです。最初からそんな考え方は全然駄目。気持ちが強くないと。自民党の支持基盤なんてのは、朽ち果ててきてるんですよ、もう。ただ群れているだけ。群れているのに対して、向かっていかないから、何となく、どこに行っても『自民党、自民党』って言っているだけで」

 「『自民党が何だ。たいしたことない』って、選挙区で大見え切って向かっていく候補者が茨城にいる。『じゃあちょっと距離を置いて、興味を持ってみよう』と思っていたら、『また中村喜四郎が勝った』と。『自民党、ずいぶん大きなこと言っているけど、何だって』と言う話になってくるわけですよ」

衆院選で当選を決め万歳する中村氏。2014年12月

  「だから、そういう面では、皆で、気持ちは一つでね。向かっていこうと。向かって行かなけりゃ、怖がってたんじゃ、彼らの思うつぼ。政治は劣化する。日本は壊されちゃう。向かっていこう、っていうのは、単純な話ですよ」 

■衆院1回生は「良いところ吸収しろ」

 ―野党統一会派のベテラン議員が、会派所属で当選1回の衆院議員を対象に政治塾を開いていますね。

  「既に、野田佳彦さん、玉木雄一郎さん、長妻昭さん、菊田真紀子さんが講師に立たれた。私なんかにするとね、『お金を出しても聴きたいな』なんて思う話ですよ。ところが残念だけど、今の当選1回生の国会議員には、その価値がよく分からない」

船橋市内で街頭に立つ野田佳彦前首相

 「野田さんは、船橋駅前に立って3千枚ビラを渡すまで帰らない。前の首相がですよ。ビデオで見たんだけど、すげえなあと。年金支給日には、銀行の前に行って渡している。さらに、ボランティア部隊みたいなのが50人くらいいて、その中には80歳のおじいさんもいて、その人が50枚くらいずつ、住宅行って配ってくれる。合わせると、1週間に2万枚も2万5千枚も配る」

 「玉木さんは、党代表であっても、名刺をもらったらすぐ、その日のうちにお礼状を出す。菊田さんは、自民党の金子恵美さんとの衆院新潟4区をめぐるせめぎ合いを、まなじり決して戦ってきた」

 ―そういう話は、なかなか、平場では聴けない話ですよね。

 「ああいう話を深く聴けるようになったら、野党の議員も変わるんですけど、一番聴いてもらいたい人が来ない。それで私なんか比較的長くやってる人間は、お金を出しても聴きたいなって。『こんな話、昔はしゃべってくれないよ』と。企業秘密をこんなにしゃべってくれる、良い話なのになと残念に思う」

 「皆で、自分で経験するだけじゃなくて、良いところは吸収しなきゃ。選挙に強い人は、野党だってみな、執念を燃やしてるんですよ。だから、執念を燃やさなくちゃ。選挙が強くならないのに、風が来れば勝っちゃうみたいなね、間違って勝った人は悲劇ですよ。政治家でね、間違って勝った人ほど悲劇なのはないですよ」

■人間性を磨かないと

―それにしても、衆院当選14回はすごい。その秘訣は。

  「私は1976年に初当選して、同期当選は51人いたけど、もう残ってる人は誰もいません。やっぱり、『政治家っぽい動きをしたい』っていう人が先に消えていきますよ。あんな素人っぽいこと言っていていいの、と思うような人が生き残ってくる。それが、選挙への取り組み方が全部物語る」

  「『新年会だから、皆、うちに集まってくれ』、そんなことをやっているような人は、先に消えていく。私なんか、今まで1回も新年会、自分のうちで集まってくださいなんて言ったことない。自分で元旦からマイクを持って『おめでとうございます』って歩いているから」

  「それがものすごく大切だ。有権者は、偉い人になんか興味ない。有権者にとって、手柄話ほどうさんくさいものはない。変わらないってことが、一番喜ばれる。『中村喜四郎って変わらないよな、何があっても変わらないよな、あれいいよな』と思ってくれている」

 ―1994年、ゼネコン汚職事件に連座したこともありました。

公判出席のため東京地裁に入る中村氏。1994年11月

 「あの時は、1千万円もらって中村はゼネコンのために利益誘導したという報道だった。後援会の人たちは『うそだろう』と。ゼネコンのためにやっているのだったならば、茨城県の建設会社は、中村の選挙をやってなくちゃいけないけど、中村をやっている建設会社なんかどこにもない」

 「私、自慢じゃないけど、建設会社の応援は絶対に受けない。建設大臣の時も政務次官の時も、建設会社は一切来ないでくれって。建設会社に来られるようになったらおしまいだ。人数だけ集まって、『頑張れ、頑張れ』って言ってくれるが、心はどこにもないような人たちはいらない」

 ―後援会の作り方が大切なのですね。

 「やっぱり自分のことを信じてくれる人たちを結集したい。業界団体なんかは、一切求めないでやってきた。あの事件の時にも逃げていく人が一部いたが、後援会『喜友会』の方々の大部分は残ってくれた」

  「そういうことを考えるとやっぱり、選挙っていうのは人生そのものだし、人間性が出ちゃうんですよ。人間性を磨かないと、有権者は絶対に何回も入れてくれない。そのためには熱心さ。野田さんのように、3時間、駅頭に立ち続け、ビラを配り続ける。『すげえなあ』って。首相までやった人に、あの努力ができるかなあって。そういうところを学んでいけば、自民党に勝てる。まだまだですね、そこまで行くのには」

 ―自民党の地方組織は、全国的にはまだまだ強いのでは。

 「自民党の組織というのは、市会議員とか町会議員だ。この連中が『自民党だったら安心だ』『長いものに巻かれる』『ついていく』と言っているだけだ。その人たちが皆で徒党を組んでいると、『おっかない』と思って、皆がすくむ。だから、誰もやる人はいないから、自民党が強いことになっているだけ。私の場合は、そういう連中を入れないで自分の後援会を作っている。自民党ってのは、はったりで成り立っている政党だから、『戦うぞ』と言われた瞬間に、『たいしたことない』って話になっちゃうわけですよ」

■支えてくれるのは女性

 ―とはいえ、地元茨城でも、自民党がとても強い。

 「私の選挙区の茨城7区は、首長はみんな自民党だ。市会議員も町会議員も、7割、8割、自民党だ。でも、ふたを開ければ、負けない。ということは、向かっていけば、たいしたことないということです」

 ―それでは、どんな人と一緒に選挙をすればいいのでしょうか。

 「既存の力のあると称する人、俺は票を持っていると称する人、そういう人を当てにしちゃ駄目だ。そういう人ほど変わるし、いいかげんな人はいないから。『俺は力がない。たいしたことない』よと、いくら訪ねても、なかなかやってくれないような、そういう人を、1人ずつ丁寧に支持者にできるかどうか。そして、その後は、その人の奥さん達にやってもらっているんですよ。女の人が出てくると強い。私は、女の人は男ほど格差社会になっていないと思う」

 「そうすると、『あんな人が何だ』、『私たちは別に、あの人の尻にしかれたくない』という話になってくる。権威主義に反発する。私の後援会の主力部隊はもう、7割は女性だ。男性が後についてくるような形。女性が表に出てくるようになると、自民党なんか蹴っ飛ばしちゃいますよ」

 「だけど、そこまで行くのには急にはできないから。ある程度男性がやっていたところに女性が来るんだったら乗りやすい。だけど、男性がいないところに女性が、といっても、なかなかできないことが多いのも現実です。だけど、私の場合はおかげさまで、女性たちが今、支えてくれている」

 ―11月末から、野党の小選挙区での調整が始まっています。野党党首、野党幹部が会食を重ねるようになりました。

会食後、取材に応じる立憲民主党の枝野代表(中央左)と共産党の志位委員長(同右)ら=12月15日夜

 「代表者同士の手探りが進んでいる。高知県知事選が終わって、どう総括するか。『あれは良かったんじゃないの』となると、じゃあ今度は、選挙に応援に行ったような人たちが集まって、皆で共有できるかどうかということになってくる。それが、何十人かになるかもしれない」

 「良かったって言う人が20人も30人も出たということになれば、その上で幹事長・書記局長がどう動くかということになった時に、じゃあ、どこの政党の幹事長の動きが鈍いとか、どこが良いかっていう話を、誰かがうまくリードすれば、話し合いのテーブルはできあがってくる」

 ―小選挙区の候補者をどうやって決めていくのでしょうか。

 「先に代表者が集まった時に私は『二つを譲って一つ取るべきだ』と言った。そんなの常識だ。『俺が、俺が』って、自分のことばっかり言ってたらね、絶対にうまくいくわけないんだから。組合の条件闘争じゃあるまいし、政党の中で『正しい、正しい』なんて言い張るのは、何の価値もない」

  「政治ってのは、やっぱり妥協しなくちゃいけないんだから。だから二つ譲って一つ取ると、そのことをルール化できないかってことを提案していきたいと思う。それが合意できれば、『じゃあ、あなたの言っていることは譲る方だよね』と。で、『その代わりこっちは通るよね』というような話で。そういうのをやるのは、本当は、都道府県でやるべきですよ。事情の分からない人が、政党の段階でやりとりしようとするから、おかしくなる」

 ■できるところから選挙区調整

 ―地元茨城では、どういう段取りで進めていくのですか。

前参院副議長でもある郡司彰参院議員

 「茨城県の場合は、参院副議長をやった郡司彰参院議員が野党の国会議員の代表になってもらった。郡司さんの下で野党の国会議員が集まってどうするかを話し合っていく。そして、残りの三つが空いているところをどうするかということも、われわれが相談して、その結果を中央に報告する」

  「自民党だって、普通は全部、県連で決めたことを上に上げていた。野党は東京の党本部で決めたことを地方に下ろそうとする。大して下に組織もないのに、上から決めちゃって消化不良になっちゃうから、とてもとてもまともな選挙はできない」

 ―それを全国にどうやって広げていくのでしょうか。

 「全部はできないにしても、北海道はできる、岩手はできる、宮城はできる、福島もできる、山形もできる、茨城もできる、というような、できるところからまず先発して地元で話し合いをして候補者をどうするかを議論していく。となれば、けんかなんか起こりようがないでしょうよ。『俺の方をこうしてくれれば、そっちはやる』『じゃあこうしましょうよ』と話し合う。お互いに生き残っていくためには、けんかなんかできないという話にしないといけないんじゃないか」

  「そういうことを、幹事長・書記局長たちに共有してもらえれば、別に問題はそんな難しくない。意地の張り合いになると、収拾がつかなくなっちゃう。そんなことで、時間切れとなり、2019年夏の参院選に突入しちゃった。だから今度は、『こういう選挙をやってきたんで、少しみんなで知恵を出そう』となればいいんじゃないか」

  ―まずは考え方を共有するところから始めるということですか。

 「考え方を共有するだけじゃなくて、酒でも飲もうと。幹事長・書記局長が、朝飯や、昼間に集まっても、堅い話だけで終わってしまう。やっぱり堅い話だけじゃなくて、酒を飲んで飯を食うというのは大切なんですよ。そうするとね、許せるんですよ。自分の至らないところも恥ずかしいと思うし、人の至らないところも許せる。

 「酒も飲まないでやってちゃ駄目なんです。昔の政治はそういう面ではちゃんと理にかなっていたんですよ。宴会政治なんてばかにされたけど、それはそれなりに意味があった。まともな議論ばっかりしていると、けんかになっちゃうから。ちょっと休戦って言って、やってるところに人を許す文化が生まれて」

 ■憎めない角栄氏、立派だった晋太郎氏

 ―師と仰ぐ田中角栄さんは、ロッキード事件で失脚しました。

 「昔は野党をものすごく大切にしましたよ、田中角栄さんや、竹下登さんなんかも、非常に敬意を表してね。上から目線なんか絶対にやらなかった。『そんなことやったら恥ずかしい』って。『上から目線をやったらおしまいだよね』って。『みんなをどうやって気持ち良くまとめるかっていうことが政治だからね』って。ということをやってきた」

  「田中角栄さんが問題を起こしたのは事実なんだけど、田中さんがみんなから好かれたのは、あの人はああいう形にしながらも、みんなのために本当に汗もかくし、危ない橋も渡って、お金もくれたよねと。だから何か憎めないよねと。かわいそうだよねと、ある面であそこまでやってあんな事件になっちゃったのは、その人間性が田中角栄をしてそうさせた」

日中国交正常化を果たし帰国した田中角栄首相。1972年9月

 「他方、竹下さんは全く違って、気配り専門でやっていた人ですよ。小渕恵三さんは人柄が良いから、とことん小渕のためだったら、と思わせたしね。そういう風に人間性にほれて、政治をやり抜いたんだ」

 ―安倍晋三首相の人柄をどうみていますか。

 「もちろん安倍さんにほれている人もいるんでしょうけど。私が遠い距離で見ているからかもしれないけど、あんまり昔の政治家と類似するようなものを感じない。それはちょっと残念だな。安倍晋太郎先生は全然違った。親子でもこうも違うのかなと。晋太郎先生なんか、竹下さんにいいようにやられちゃった。人が良くて、いつも損ばかり引いていたけど、でも森喜朗さんや小泉純一郎さんなんかみんな、晋太郎さんを大好きで、みんなついていったわけでしょ」

自民党幹事長時代の安倍晋太郎氏

  ―首相は祖父の岸信介さんを信奉しているようです。

 「岸さんのこともいいけど、晋太郎先生の政治を学んでもらいたかった。政治家の姿勢を学ぶ対象は、晋太郎さんの方がずっと魅力的な大政治家だったのになと思う。晋太郎先生と岸さんを比較して、何で岸さんなのか。そっちの方が不自然だな。普通はおじいさんよりもお父さんを尊敬するのに。 安倍家の複雑な政治の考え方があるのかどうか知りませんが」

 「私は安倍晋太郎さんのことが、もう少し首相の政治行動の大きな力になっていれば、今の安倍さんとは全然違う総理大臣になって、それこそ長いだけじゃなくて、立派な大総理大臣になれたんじゃないかなって思う。『お父さんは尊敬できる立派な政治家だった』と、そう中村喜四郎は言っていた、ということだけは書いてください」

 ―安倍首相は、敵と味方をはっきり区別しています。

 「1回目は短期間で終わっても、首相を2度もできたんだから、すごいじゃないかと、おおらかに受け止めていった方が、人生見えるものが違うと思うけどね。2度も首相をやれたんだから、日本国のトップに立って、縦横無尽に働けているんだから、これ以上の幸せはないですよ」

  「これは当然だなんて思ってたら、苦しくなっちゃうと思いますよ。やっぱり感謝力を磨かないとね。そうしないと、良い政治はできませんよ」 

諸先輩について語る中村氏

(終わり)

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