元農水次官に懲役6年、相場通りでいいのか 1回の暴行で強固な殺意、長男をめった刺し

By 竹田昌弘

 東京都練馬区の自宅で6月、引きこもりがちだった長男=当時(44)=を刺殺したとして、殺人罪に問われた元農林水産事務次官、熊沢英昭被告(76)の判決で、東京地裁の裁判員6人、裁判官3人の合議体は16日、懲役6年(求刑懲役8年)の刑を選択した。確かに「判決は求刑の七~八掛け」という裁判官だけの時代から続く量刑の相場通りで、同じような事件の判決との公平性も確保されている。しかし、被告は長男が長期の別居から同居に転じた直後、暴力を1回振るわれただけで、殺害を決意し、首や胸を中心に少なくとも36カ所の傷を負わせるほど、包丁で長男をめった刺しにした。非常に強固な殺意は明らかであり、刑事責任はもっと重いのではないか。(共同通信編集委員=竹田昌弘) 

送検のため警視庁練馬署を出る熊沢英昭被告=6月3日

■ネットで「殺人」「執行猶予」を検索

 被告は判決で、6月1日午後3時15分ごろ、自宅で長男に対し、殺意をもって、その頸部(けいぶ)などを包丁(刃体の長さ17・5センチ)で多数回突き刺し、同4時47分ごろ、搬送先の病院で、頸動脈損傷などによる失血死で死亡させ、殺害したと犯罪事実を認定された。 

 有罪認定後の刑は①犯行態様、結果、動機、計画性などの「犯情(犯罪行為に直接関わる事情)」にまず着目する、②続いて、例えば殺人罪であれば、口封じ目的で同僚を毒殺、生活苦から母親が乳児の首を素手で絞めて殺害といった「社会的類型」に当てはめ、裁判所のデータベースで検索した過去の量刑を参考にして「(刑事)責任の枠」をイメージする、③その後に被害者側の事情(被害感情、落ち度など)と被告側の事情(年齢、前科、反省など)も考慮して刑を決める―という「行為責任主義」の手順で決める。 

 判決によると、①の犯情について、まず長男の傷が多いことなどから「強固な殺意に基づく危険な行為」と認めた。被告は長男が同居を再開した翌日の5月26日、長男から暴行(髪の毛を引っ張ってサイドボードに頭を打ち付けるなど)を受けると、殺害を考えるようになり、妻に心中をほのめかす手紙(これまで尽くしてくれてありがとう。感謝しています。これしかほかに方法がないと思います。死に場所を探します。見つかったら散骨してください。長男も散骨してくださいなどと書かれている)を渡し、インターネットで「殺人」「執行猶予」などのキーワードで検索。(アスペルガー症候群を患う長男の)主治医や警察に相談することなく、殺害を実行したのは「短絡的な面がある」などと指摘した。 

長男が刺殺された熊沢英昭被告の自宅=6月28日、東京都練馬区

 ②に進み、同様の事件(殺人、単独犯、罪名一つ、被害者が子ども、前科などなし)の量刑をデータベースから検索し、責任の枠をイメージしたとみられる。その上で、被告が長年の別居中も長男に薬を届け、長男宅のごみを片付けるなど、適度な距離感を保ちつつ、安定した関係を築く努力をしてきたことや、暴行を受けて恐怖と不安を感じる状況になったことは、③の事情として、判決では「相応にしん酌すべきである」としている。そして量刑の傾向を見ると、(弁護人が求めた)執行猶予は付けるべきではないが、実刑の重い部類に属するともいえないとして、懲役6年を導き出した。 

■評議で「判断する道筋」

 裁判員たちは記者会見で「(評議では)判断する道筋を作ってくれたというか、理解しやすくしてくれたところがありがたかった」「熟練の方々が時間配分や裁判員の意見を考えて配慮してくれた」などと語り、裁判官が①~③の手順と量刑の相場を説明し、裁判員から意見を引き出しつつ、評議をまとめたことがうかがえる。裁判員によると、評議は6時間(休憩時間は不明)だったという。 

熊沢英昭被告の判決を終え、記者会見する裁判員(左)と補充裁判員=12月16日、東京都千代田区

 この量刑を検討するため、「引きこもり」「殺人」「判決」などのキーワードで、共同通信の記事データベースを検索すると、次のような事件が見つかった。 

 【1】大阪府東大阪市の自宅で2001年11月30日夜、無職の男性=事件当時(66)=が長男=同(38)=の胸などを刺して殺害した。長男は1989年ごろから自宅に引きこもり、男性が「仕事をしないといけない」と説教すると、長男と口論になることがあった。この日は、長男が新品の電気ポットを壊したことなどから腹を立て、「我慢の限界」としてホームセンターで刺し身包丁を購入し、自宅に戻って刺した。懲役10年の求刑に対し、大阪地裁の判決(02年5月)は懲役7年だった。 

 【2】盛岡市の自宅で2002年11月10日夜、元小学校長で無職の男性=同(69)=が就寝中の長女=同(35)=の頭などを金づちで数十回殴り、殺害した。長女は自宅に引きこもる一方、男性と病気で寝たきりの妻への暴力と暴言がひどく、この日も男性は長女と口論となった後、犯行に及んだ。懲役8年の求刑に対し、盛岡地裁は「自己本位で短絡的だが、長女の常軌を逸した暴言や暴力に加え、寝たきりの妻の介護で心労は大きく、酌量の余地がある」として、懲役4年の判決(03年4月)を言い渡した。 

 【3】鹿児島県出水市の自宅で09年1月27日早朝、運転手の男性=同(68)=が寝ていた長男=同(32)=の首を包丁で切りつけ、殺害した。鹿児島地裁は判決(09年5月)で「無防備な長男に切りつけ、押さえつけてそのまま絶命させ、残虐で悪質だ。引きこもりの長男のため、借金を重ねて心理的に追い詰められた経緯には、同情の余地があるものの、望む物を買い与え、親として問題があった」として、求刑懲役8年に対し、懲役6年を宣告した。 

■殺害以外の選択肢あったのでは 

 【1】~【3】はいずれも裁判員裁判の開始前で、裁判官3人による判断。裁判員裁判がスタート後は、病気で寝たきりの夫=同(77)=と引きこもりの長女=同(50)=を絞殺したとして、夫に対する殺人と長女への承諾殺人の罪に問われた女性=同(77)=に対し、札幌地裁が13年1月、懲役8年(懲役10年)を宣告した事件があった。女性も刃物で手首を切り、自殺を図った。判決では「つらい事情は分かるが、心中するしかないほど、精神的に追い詰められていたとはいえず、人命軽視で身勝手だ」と指摘した。 

 熊沢被告の事件と比較すると、【1】以外は被害者の引きこもり期間が判然としないものの、被告が長男と長く別居し、同居を再開した翌日の1回の暴力で殺害を決意、実行したことは【1】~【3】と犯情が大きく異なっている。被告には、殺害以外の選択肢があったのではないか。被告と同じ求刑、判決の【3】のように借金を重ねたわけでもなく、【2】のように妻の介護と暴力が重なったわけでもなく、札幌の事件のように自ら自殺を図ったわけでもない。長男の態度に怒り、ホームセンターに行って包丁を購入して刺殺した【1】とは、安直さが共通しているといえばいえるかもしれない。 

熊沢英昭被告の長男が同居を再開する前、1人で暮らしていた住宅=6月14日、東京都豊島区

■被告は恵まれた環境なのに

 被告の妻の公判証言によると、同居を再開した長男は被告に暴力を振る前「お父さんはいいよね、何でも思い通りになって。それに比べて自分の人生は何なんだ」と机に突っ伏して泣いていた。その後、帰宅した被告が落ち込む長男に対し、直前まで住んでいた家のごみの片付け方について口にすると、長男は激高して暴行した。それ以降は「殺すぞ」以外の言葉を発さなくなり、怖くなった被告と妻は2階の部屋にこもって生活したという。こうした経緯から長男の殺害を考えたのは、検察官の論告で指摘されているように「極端に過ぎる」のではないか。 

 また被告は、引きこもりや家庭内暴力で悩んでいる人たちの中では、経済的にも、中央官庁の元事務次官、元大使という社会的立場にも恵まれた環境にあり、行政機関や専門家に相談しようと思えば、できたはずだ。プライドや世間体がじゃましたのか、他人に相談することなく、殺害を決意すると、ネットで殺人罪の量刑を検索し、どのくらいの刑が科されるかを調べるなどして、数日後には、36カ所も傷が残るほど、包丁を長男に何度も何度も突き刺した。せめて検察官の求刑ぐらいの刑ではないのか。ただ検察官が量刑不当を理由に控訴しない限り、被告に懲役6年より重い刑を科されることは、もうない。

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