クリスチャン・デス、ヨーロッパ的退廃を身に纏ったデスロックの異端バンド 1985年 7月18日 クリスチャン・デスのアルバム「遺骸者達(Ashes)」がリリースされた日

語り尽くせない暗黒音楽の深み。UKゴスロックと USデスロックは独自のカルチャーを形成

つい最近『ゴシック・カルチャー入門』(Pヴァイン)という本を上梓しました(出版社の付けた帯文では “暗黒美学の全貌” があらわにされている、らしい)。当然ながらゴスロックにもかなりのページを割いていて、幸運なことに比較的好評だったのですが、語りきれなかったバンドが数え切れぬほどあって、個人的には忸怩たる思いでした。よってしばらくこのコラム連載では、その埋め合わせも兼ねて暗黒音楽をディグってこうと思います。

バウハウス、スージー&ザ・バンシーズ、ジョイ・ディヴィジョン、ザ・キュアーが “UKゴスロック四天王” と言ってよいかと思います。このうち JD は過去のコラム『ブラックミュージックとしてのジョイ・ディヴィジョン、ブルー・マンデーを超えて』で、キュアーは『ザ・キュアー「ポルノグラフィー」が放つゴシックの炎』で、それぞれ取り上げています。この “ゴスロック” は、大西洋の向こうのアメリカでは “デスロック” などと呼ばれ、独自のゴスカルチャーを形成してきました。

“UKゴス” と “USデス” の違いは、大雑把に言ってしまえば、前者はヨーロッパ的耽美であり、後者はアメリカ的ジャンクであるということ。実際にミスフィッツやザ・クランプスのような USバンドは、エド・ウッドやロジャー・コーマンのB級カルト映画や ECコミックスといったものを、従来のゴスの世界観をぶち壊すように(?)混ぜ混ぜしていて、ヨーロッパの古城などとはてんで無縁な雰囲気です。

USデスでも例外的な存在だったクリスチャン・デス

しかし、そのアメリカ勢の中で例外的だったのがクリスチャン・デス。大鴉のような漆黒の長髪、シルバーのアクセサリー、網タイツ、黒いイヴニング・ガウンを身に纏ったヴォーカルのロズ・ウィリアムズはバンドの顔ともいえる存在で、ヨーロッパ的退廃を身に纏っていました(実際、バンドの瀆聖的な歌詞は、デカダン詩人シャルル・ボードレールの影響が明らか)。デビュー作『オンリー・シアター・オブ・ペイン』は中世教会の鐘の音のような響きで始まるのですが、これはブラック・サバスのデビューアルバムを想起させます(実際、メタルの元祖とされるサバスはゴスの元祖とも崇められている)。

僕がとりわけプッシュしたい一枚は、フランスのインヴィタシオン・オウ・スウィサイド(L'invitation au suicide・自殺への招待の意)レーベルからリリースされた『遺骸者達(Ashes)』というアルバム。ロズ・ウィリアムズが脱退する前の最後の一枚で、彼らのピークを記録した作品だと思います。

ウィリアムズのボードレール的残酷趣味と、ヴァラァ・カンドの神秘主義的側面が類まれな化学反応を起こしています。血で染めたような赤い衣装を纏い赤子を抱えたジャケットの男は、幼児虐殺魔ジル・ド・レを思わせるというのもあり、ゴシック美学にもっとも必要な「雰囲気」もばっちりです。

ロック・マガジン主筆 田中浩一のレヴューから読み解く、クリスチャン・デスの音楽性

ところでこのアルバムに関しては、以前のコラム『充ち溢れる「精神」の歓喜 ― レアグルーヴ、田中浩一』でも取り上げた『ロック・マガジン』主筆(ついでに申せば歌人 塚本邦雄の弟子!)の田中浩一が「闇――フランス・インディーズ」というレヴューで触れています。素晴らしい分析なので少しばかり引用させていただきます。

インヴィタシオン・オウ・スウィサイド・レーベルの代表的アーティストである、「クリスチャン・デス」(神教徒の死)は、既に同レーベルから三枚のアルバムをリリースしています。彼等は徹底して暗黒、終末、死、消滅、それらの中に生じる恍惚を謳い続けています。『神教徒の死』『カタストロフィ・バレー』『遺骸者達』それらのアルバム・タイトルに顕著に示されているものは何でしょうか。その音は70年代暗黒呪術思考を伴ったハード・ロック・バンド、「ブルー・オイスター・カルト」や「ブラック・サバス」そして80年代初頭ネオ・サイケ、ポジティヴ・パンクの源流を形成し今は既に解散した「バウハウス」の影響の濃い、重厚な闇を塗り込め、地を這う音です。巷に氾濫する生理的恐怖、血や内臓の気持ち悪さに終始する映像が、カルト・ムービーになってしまった現在こそ、その根底に神を喪い、人間の精神の所在を喪ってしまった者の危機があり、神話や宇宙学を通して「もう一つの世界」を創造するラヴクラフトを認識すべきです。(『幻想文学』13号「特集:フランス幻想文学必携」1985年所収)

まず、ブルー・オイスター・カルトに触れているのがいいですね(ゴスバンドにカバーされることも多い)。そしてジル・ド・レがジャケットにあしらわれているにも関わらず血や内臓をぶちまけるアリス・クーパー的なグラン・ギニョール演出を退け “霊妙なる” 音楽=「もう一つの世界」をそこに聴きだす姿勢。

田中氏は、神秘思想家ルドルフ・シュタイナーの神智学にも凝っていた人ですから、言わんとしているのはエーテル体(Etheric Body)としての音楽のことでしょう。引用した田中氏の文章が「サイキック・ミュージック講座」というタイトルの連載だというのもありますね。

なにやら怪しげな話(?)になってきましたが、実際、エーテルウェーヴ(Ethereal Wave・霊妙なる音楽)というアンビエント(環境音楽)寄りのゴスロックのサブジャンルもあるほどでして、“ゴシック的” なるものは、大気のなかに漂っている妖精のようなものかもしれません。

…… といった具合に、悪趣味デスロック勢のなかにありながら “霊妙なる” 音楽に身を捧げたロズ・ウィリアムズは、明らかにフランス世紀末に生まれるべきだったアメリカ文壇の異端、エドガー・アラン・ポーを想起させる、などと思うのは僕だけでしょうか?

カタリベ: 後藤護

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