「政党の離合集散」その歴史を振り返ってみた 第5回選挙ドットコムちゃんねる#3

「希望の党」に「れいわ新選組」、「NHKから国民を守る党」など、新しい党が続々と生まれる一方で、既ある政党同士がくっついたり離れたりして新名称を名乗ることも多く、数年前の政党のラインナップを聞かれても、さっぱり思い出せません。

今回の選挙ドットコムちゃんねるでは、このややこしい政党の離合集散の歴史について、選挙プランナーの松田さんがエピソードを交えて解説。

言葉は知っているけれど中身はよくわからない「55年体制」や「第三極」についてもおさらいできて、ちょっと得した気分になれる内容です。

早速、番組の見どころをダイジェストで振り返っていきましょう。

とにかくややこしい戦後の政党の流れ。まずは55年体制からひもとくと

千葉 「今回のテーマは、政党の離合集散の歴史を振り返る、です」

乙武 「これはややこしそうですね、前回ここ2,3年の動きの図を見たけど、あれだけでめちゃくちゃややこしかったのに、半世紀近くを振り返るわけでしょ? いよいよややこしいぞ!」

千葉 「こちらは東京法令出版さんにご提供いただいた戦後の離合集散の流れを図にまとめた資料なんですが、見ていただくとわかる通り、すごいんですよこれが!」

松田 「敗戦後の日本の政党の歴史ということなんですが、最初の方はいわゆる『55年体制』というやつですね」

*編集部注 「55年体制」とは
1955年に成立した戦後日本の政党・政治構図のこと。
1955年10月に左右両派に分裂していた日本社会党が統一。11月には保守政党の自由党と民主党が合同して、自由民主党を発足させた。
これにより、国会の議席を自民党と社会党が分け合う自・社の2大政党制となった。

松田 「社会党には右派と左派という存在があったんですがこれが合同して日本社会党ができました。その直後に保守の自由党と民主党が合併して自由民主党に。今の自民党は、実は合併で出来上がった党なんですね。

こうした大きな流れの中で自民党が与党に。単独で過半数を取れるくらい強くて、野党第一党に社会党が占めるという状況ができました。
自民党と社会党の議席割合は、だいたい2:1くらい。

で、日本共産党(※成立:1922年、戦後の合法化/再結党:1945年)は戦後間もなくからずっと変わらず今まで存在し続けていますね。

この体制が固まったのが1955年だったので『55年体制』と言われているわけです」

90年代の大きな動きは、日本新党を中心とする非自民での政権奪取

松田 「この体制はかなり長い間続いたんですが、与党の自由民主党がいろいろな政治腐敗とか汚職事件などを起こす中で支持率がどんどん下がっていきまして。

新たな小さな党がいっぱいできました。自民党の中からも、党を割って出る勢力が現れたりとか。その中から細川護熙さんが党首の日本新党も誕生したんです」

乙武 「一大ブームでしたね」

松田 「連立していたわけではないんですが非自民で一緒になって政権取っちゃったというね。
これが1990年代ごろの大きな動きです」

ここで松田氏より、ひとつクイズを出題。
この非自民の小さい党が合体してできた党の名称は?」

答えは、動画でご確認ください。

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