ウルトラマン、怪獣よりも手ごわい「著作権」20年闘争

1966年の誕生から50年以上経っても、今なお新シリーズが制作され続けている「ウルトラマン」シリーズ。海外でもテレビ版が放送され、映画も公開されている、日本発のグローバルコンテンツの1つです。来年1月11日からは新シリーズ「ウルトラマンクロニクル」のアニメ放送が始まります。

そんな人気コンテンツに、新たな動きがありました。同シリーズの著作権を保有する円谷プロダクションが12月10日、「米国訴訟(控訴審)の勝訴判決に関するお知らせ」というリリースを公表したのです。

日本が誇る人気コンテンツが、なぜ訴訟沙汰に巻き込まれているのでしょうか。ウルトラマンシリーズを生んだ円谷プロダクションという会社は、実に数奇な運命をたどってきました。


大ヒットの裏側で会社は火の車

シリーズ初期の3作品である「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」は、特撮の神様・円谷英二氏が制作指揮を執り、そのスタッフの多くも後に名監督、名脚本家となっています。

子供向けの番組でありながら、人生の不条理や社会問題に正面から向き合う、放送当時から親世代をうならせる作りでしたので、リアルタイムで見ていた子供たちが大人になって見直し、あらためて惚れ直す作品でもあります。

円谷プロダクションは、初期3作品が爆発的にヒットしたにもかかわらず、その経営は常に苦況にあえいでいたということを、英二氏の孫である円谷英明氏が自著『ウルトラマンが泣いている』で明らかにしています。

英二氏は納得するまで何度でも撮影を繰り返し、納得しなければ完成済みであってもお蔵入りにするほどのこだわりを持っていたそうです。このため、番組制作費が膨らみ、テレビ局から支払われる制作費をはるかに超え、番組を作れば作るほど赤字が累積していったそうです。

3代目社長の死去2年後から始まった法廷闘争

1970年に英二氏が急逝。2代目社長には英二氏の長男の一(はじめ)氏が就きますが、わずか3年で急逝。3代目社長に就任したのは、英二氏の次男・皐(のぼる)氏です。

一氏が社長に就任した時には、会社はすでに火の車。その後多少のデコボコはあったようですが、資金繰りは一貫して苦しく、円谷一族は株式を手放さざるを得なかったようです。現在はパチンコメーカーのフィールズが51%、バンダイナムコが49%を保有しています。

皐氏が1995年に亡くなって以降、6代目までと、8代目の社長は円谷一族が務めましたが、経営陣から円谷一族の名前が消えて、かれこれ10年になります。

その皐氏が1995年に亡くなった翌年、円谷プロにやっかいな問題が勃発します。生前の皐氏と交流のあったタイの実業家で、チャイヨー・プロダクションを経営するサンゲンチャイ・ソンポテ氏が、1976年に皐氏が署名したとする文書のコピーを持って会社に現れます。

その主張は「日本を除く、全世界におけるウルトラマンの初期シリーズ(ウルトラQからウルトラマンタロウまでの6シリーズ)の利用権を、6,000万円で譲り受けた」というものです。

ソンポテ氏は、英二氏の特撮技術を学ぶために日本に研修に来ていた人。だから、円谷一族の人たちとの付き合いも昨日今日のものではなく、皐氏はタイでソンポテ氏と共同で劇場用の映画も制作したほど。その人が牙を剥いたのです。

<写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ>

事態のカギを握る『76年書面』

そんな文書に皐氏が署名していたなどという話は誰も知りません。コピーではなく原本を見せろと言っても、応じなかったといいます。

第一、ソンポテ氏は書面を受け取ってから20年間、まったく何の主張もしていません。円谷プロはこの間に世界展開をしていますが、ソンポテ氏はこの書面の存在を口にしたことは一度もなく、ソンポテ氏自身、海外でコンテンツを利用したビジネスを展開したことは一度もなかったそうです。

そもそも書面は社名や作品名、作品本数が違っているなど、皐氏なら間違うはずもない記載が随所にあったうえ、ライセンス料やライセンスの期限の定めもないなど、ライセンス契約に通常盛り込む項目も入っていませんでした。

ソンポテ氏が6,000万円で譲り受けたというのは、あくまで口頭ベースでの話です。そればかりか、皐氏のサインを複数の専門家に筆跡鑑定してもらった結果、すべて偽造と判断されました。

普通に考えれば、訴訟で決着を付け、ソンポテ氏によるコンテンツ利用を辞めさせれば済む話です。ところが、この通称『76年書面』をめぐる法廷闘争は、複雑な経緯・経過をたどり、20年以上が経過した今も続いているのです。

タイで勝訴も、日本と中国では…

最初の法廷闘争が始まったのは1997年。アジアでソンポテ氏がウルトラマン関連のキャラクター商品を販売し始めたため、円谷プロがタイと日本、両方の裁判所で著作権侵害による損害賠償と、ソンポテ氏側にウルトラマンの海外利用権がないことの確認を求めた訴訟を起こしました。

この裁判、1997年に提訴したタイでは、筆跡鑑定がちゃんと行われ、『76年書面』が偽造であることが認められ、円谷プロが完勝しています。ただし、完勝したのは2008年。10年かかったのです。

日本では1999年に提訴しています。タイでのことを日本で争いたいという訴えを裁判所が受け入れたのですが、円谷プロ側が提出した筆跡鑑定だけでは書面が偽造されたものとは認定できないという判断を下されました。裁判所が筆跡鑑定をすることもないまま、2004年に円谷プロの敗訴が確定してしまいます。

日本での勝訴を受け、ソンポテ氏側は2004年、中国で円谷プロを訴えます。今度は被告としてではなく、原告として、円谷プロが中国で展開しているウルトラマンシリーズ商品の製造販売の中止と、損害賠償を求めて提訴してきたわけです。

この裁判は1審では円谷プロが勝っていましたが、上告審で円谷プロは逆転敗訴しています。裁判も10年近くかかっており、円谷プロの敗訴が確定したのは2013年です。

ただ、タイはもちろん、敗訴した日本と中国でも、ソンポテ氏側の利用権を認めただけで、著作権自体が円谷プロにあることは認められています。

中国については、さらに後日談があります。中国での勝訴を受け、ソンポテ氏から権利を譲られたというUMという日本の会社が、2015年に円谷プロを訴えます。中国で円谷プロが初期シリーズ以外のウルトラマンシリーズを展開したことに対するもので、新シリーズにも初期シリーズのキャラクターが登場するからです。

中国の裁判で負けたのは初期6作品についてだけですので、訴えられた円谷プロ側としては全面勝訴を確信していたのですが、判決直前の今年3月、UM側が訴訟を取り下げて、この裁判は終結しています。

新たな訴訟の舞台は米国に

UM社が2015年に訴訟を起こした国は中国だけではありませんでした。米国でも円谷プロを訴え、米国での円谷プロによるウルトラマンシリーズの展開によって、損害を受けたと主張。『76年書面』の有効性の確認も求めました。これには円谷プロ側も反訴し、『76年書面』がニセモノであることの確認と、損害賠償を求めました。

米国の裁判制度は独特で、「ディスカバリー」という制度があります。互いに持っている証拠を裁判所から求められたら提出しなければならず、持っているのに持っていないとウソをついたり、提出を拒絶したり、提出を求められている書類を改ざんしたりすれば、それ自体が重い罪に問われます。

また、法廷に呼ばれているのに出廷しなければ、法廷侮辱罪に問われます。ソンポテ氏は結局出廷せず、『76書面』の原本も未だに提出していません。

昨年4月に円谷プロ全面勝訴の1審判決が出ていたのですが、12月5日、2審でも円谷プロ全面勝訴の判決が出ています。UM社には最高裁に上告する権利がありますので、円谷プロの勝訴が確定したわけではありませんが、覆ることはまずないと円谷プロ側は考えています。

米国訴訟2審勝訴が意味するもの

法律が適用される範囲は、一部の例外を除けば基本的にその国の中だけです。したがって、今後UM社がタイや米国以外の国でキャラクター商品の販売を大々的に始めれば、円谷プロは、またその国で訴訟を起こし、『76年書面』の真贋を争わなければなりません。

ただ、米国で訴訟をしたことによって、他の国の訴訟では絶対に出てこない、膨大な量の貴重な証拠書類を、円谷プロは入手できたに違いありません。今後も起きる可能性がある訴訟で、それは必ず生きるはずです。

グローバルコンテンツを持つ会社はその権利を守るため、強靱な体制を敷いています。円谷プロも旧バンダイが資本参加し、訴訟のバックアップをするようになってから、訴訟の形勢が改善したようにみえます。

権利を守る強靱な体制作りには、お金も時間もかかります。製品の価格にはそのコストも乗っているのだということに、思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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