激務の地方産科医、フリーランス医師に転身したのちの逆転生活

前回は、東京のM医大から地方のN病院に派遣され、単身赴任で頑張ってはいたものの激務に燃え尽きてしまった産科医、津田先生について前編で紹介しました。

以前紹介した、「医師免許さえあれば誰でもできる仕事をアルバイト的に請け負う」フリーター医師とは異なり、ドラマ「ドクターX」のように「専門医のライセンスと叩き上げのスキル」で生きるというフリーランス産婦人科医に転身した後の津田先生の人生を覗いてみましょう。

※本稿は特定の個人ではなく、筆者の周囲の医師への聞き取りをもとにしたモデルケースです。


津田純也先生(仮名):54才、フリーランス産科医(前妻の元に息子二人)

【平均的な月収】
外来・手術応援 平日5~12万円×4~8回
当直手当金 平日10~15万×10~20回、
休日20~30万円×月5~8回
月収トータル(税引き前) 300~600万円(休日1~8日)
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【支出】
・住居費・光熱費・通信費:3~5万(マンション共益費など)
・食費:10~20万円
・移動費: 病院支給
・書籍・学会費:10~20万円
・養育費仕送り:30~50万円

【資産】
不動産:千葉県内に中古マンション、両親にシニア向け分譲マンション、千葉県に貸し駐車場用の土地
車:レクサス LX570
預貯金・株など:約5000万円

激務、そして仲間の過労死

2004年からの新研修医制度、2006年の産科医逮捕によって、産婦人科を志願する若手医師は大きく減りました。北関東のN病院では、74才のベテラン産科医に週一回の当直アルバイトを依頼していましたが、ある冬の朝……当直室で亡くなっているところを発見されました。

仲間の死を悼む暇もなく、管理監督者として病院やら県庁衛生局やら労基署やら多方面から津田先生は取り調べを受けて、思わず「引責辞任します」と答えた津田先生でしたが、院長はホッとした様子でした。まもなく、津田先生はM病院を去りました。

失ってわかる存在

院長は次の派遣医師をM医大に要請しましたが、「希望者がいない」という理由で拒否されました。「ウチは県立病院で福利厚生バッチリだから、希望者は他にもいるはず」と、院長は他の医大にも打診しましたが全大学から拒否。民間の医師紹介派遣業者に相談すると「地方の産婦人科一人勤務は年俸3,000万円でも見つからないかも…さんてん」という返事で、院長の給与を上回る額を提案されました。

年間200分娩を扱う産婦人科はN病院の稼ぎ頭であり、このまま産婦人科休診になると赤字転落は明らかでした。日本中が深刻な産科医不足であることに気付いた院長は、津田先生に「そろそろ戻ってもいいぞ」とメールしましたが、返信はありませんでした。

数年後、東日本大震災の被害を契機にN病院は統廃合されました。

分娩2,000例経験から見えてきたもの

津田先生が分娩2,000例を経験した頃から、不思議な第六感が働くようになりました。足が浮腫んだ妊婦を「何か変だ」と入院させたら、そのあと血圧が急上昇してけいれん発作をおこした。すれ違った時の体臭で、妊娠糖尿病を発見した……などなど。

朴訥だけど真面目で安定した津田先生の仕事ぶりは仕事仲間には広く知られており、「N病院を辞めた」噂とともに多数の病院から仕事のオファーがありました。片っ端からパート依頼を受けたところ、あっさり3か月先までの予定が埋まってしまい、研修医時代のように再びトランク一つで地方の病院を渡り歩く日々が再開しました。しかしながら、産婦人科医不足の厳しさは20年前の比ではなく、当直料金も「平日10万、休日20万、交通費別」のようなオファーは珍しくありませんでした。

次の常勤先を見つけるまでのつもりだったけど

「次の病院を見つけるまで」と考えて始めたフリーランス産科医生活ですが、かれこれ10年近く続いています。院内政治よりも現場仕事が好き、都会よりも放浪旅行が好きだった津田先生には向いていたからかもしれません。

現在では千葉県の産科クリニックをベースに、千葉・茨城・福島県の複数の病院から仕事のポートフォリオを組んでいます。予め仕事をやりくりすれば、収入は減りますが、1週間程度の休暇は取得できます。フリーランス医師仲間には「9か月働いて、3か月海外」というスタイルの先生もいます。

バツイチ、そして息子は

東京から出たがらない産婦人科パート女医の妻とは、「子供達の教育費を出す」という条件で離婚になりました。長男はすんなり医大進学したものの、浪人中の次男の成績は医大を狙うにはイマイチのようでした。千葉の病院で勤務中、バックパックを背負った次男が津田先生を訪ねてきました。「しばらく住まわせて欲しい」とのこと。とりあえず自宅マンションに滞在させて、地位巡業にも同行させるうちに「ママとじいちゃんに医大進学を強要されて全てがイヤになった」と話してくれました。

やがて息子さんは病院近所のコンビニでアルバイトを始め、津田先生が当直中に買い物に行くと、息子さんもコンビニで夜勤中……ということもありました。息子さんはコンビニ仲間のスリランカ人と仲良くなり、津田先生の不在時に家でバイト仲間の外国人を集めて宴会することもあったそうです。息子さんは友人のガイドでスリランカへバックパッカー旅行に出かけ、そこで何かを感じたようで「オレ、国際関係の勉強する!」と宣言し、受験勉強に再び励むようになりました。

広がる「フリーランス医師」というキャリアパス

ドラマ「ドクターX」が始まった2012年頃、「フリーランス医師」と言えば「麻酔科など特殊な科のみ」というのが医療業界での雰囲気でした。しかし2019年現在、「フリーランス 医師」とネット検索すれば、上位表示されるのは整形外科医が目立ちます。その他にも、放射線科医、精神科医、内科医、訪問診療など、数のみならず活躍する分野も広がっていることが伺えます。

地方の医師不足病院でも、フリーランス医師と契約するケースが増えています。2018年から「オンライン診療料」が保険適用となったので、今後はスマホなどを活用した遠隔診断でもフリーランス医師が活躍することが予想できます。

地方の産科医不足の解決法

地方の産科病院では60~80代医師が現役で現場を守っており、津田先生が若手扱いされることもよくあります。若手医師は産婦人科を選ばないか、選んでも福利厚生の整った都会の大病院を選ぶので、地方で産婦人科医をやろうとする若手医師はなかなか現れません。

先日、厚労省は「2019年の出生数が約86万人」と発表し、その急激な少子化の進行に日本中が驚愕しました。地方の産科医不足は、結局のところ少子化の進行によって解決されることになりそうです。


日本の医療界では封建的な医局制度は衰退し、インターネットを活用したフリーランスが一大勢力となって、雇用の流動化が進みつつあります。一般企業でも副業解禁、タニタの社員フリーランス制度など、医療界のみならず日本中の職場で働き方が変わりつつあり、この流れが戻ることはないでしょう。

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