マンモスの行方は

 〈世界最新鋭の“マンモス”が力強く第一歩を踏み出した〉と、1972年10月22日の式典の様子を本紙が伝えている。マンモスとは、その日に落成式があった三菱重工業長崎造船所の香焼工場(長崎市)の巨大ドックを指し、長さは1キロほどに及ぶ▲〈120万トン級のタンカーも建造可能という世界一のドック〉〈造船史の新しい一ページが開かれた〉。当時の記事は熱を帯びている。それから47年、マンモス工場は岐路に立つ▲三菱重工は、香焼工場を大島造船所(西海市)に譲渡する検討に入った。売却も視野にある。中国、韓国との競争に苦戦し、これからは立神工場(長崎市)で収益を上げられる船の建造、修繕に力を入れるという▲長崎造船所は「造船の灯は消さない」としているが、三菱重工の「創業の地」での重い決断に、時の流れを思う人も少なくあるまい。香焼工場の従業員は600人ほどで、最も多かった頃の5分の1に減っている▲造船に関わる企業は県内に数多く、マンモス工場は地域経済と強く結ばれてきた。ドックの規模に限らず、工場は地域でも巨大な存在だったが、再編の時を迎えたのだろう▲話し合う相手が同じ県内の大島造船所であることに、いくらか安堵(あんど)を覚える。マンモス出現から半世紀、「造船史」のページがまた1枚繰られる。(徹)

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