【やまゆり園 事件考】 公判に向けて(8) 虐殺 ヘイトと地続き

 今春の相模原市議選で極右政治団体「日本第一党」の候補者の落選運動に取り組んだ。第一党は差別扇動団体「在日特権を許さない市民の会」から生まれたレイシストグループ。市民団体「反差別相模原市民ネットワーク」の杉浦幹さん(60)=同市南区=には「やまゆり園事件があったこの地でヘイトスピーチを野放しにし、ヘイトクライム(差別を動機とした犯罪)を再び起こさせるわけにいかない」との思いがあった。

 事件についてはさまざまな立場の人々に考えてもらおうと対話の場を設ける活動を続けてきた。だが、それぞれに問題意識を持っている人でも、在日外国人を排除するヘイトスピーチと障害者を殺害するヘイトクライムが同一線上に起きたものだとどれだけ認識できているか、実は心もとない。

 生きるべき命とそうではない命を選別する。それが差別の本質であり、種類の違いや線引きがあるわけではない。だが、特殊な人間による特殊な言動、あるいは事件という見方が問題を遠くに追いやってきた。

 植松聖被告の弁護団は心神喪失を理由に無罪を主張するとも聞くが、事件を人ごととみなす風潮に拍車が掛からないか心配だ。精神障害者が起こした事件という認識が加わり、やはり障害者は野放しにしておくわけにいかないという強制収容論が強まる恐れもある。

 事件は、グローバル化に伴い弱者切り捨ての政策を進めたい政治家によって憎悪と分断のかけらがばらまかれ、拾い集めた人物によって起こされたと私は考えてきた。7月、米マイクロソフトが開発した人工知能(AI)がヒトラーを肯定し、人種差別発言をするようになり、実験が中止になったが、なるほど善悪の判断という歯止めを欠けば、思考はヘイトに吸い寄せられ、虐殺に行き着くということを示している。

 混同してはならないのは、多様性とは差別の思想まで認めるということではない。人を傷つける差別は何かの意見でも主張でもない。だが、自己責任論に代表されるように政治が率先して人権をないがしろにし、人々が抑圧される状況が社会に広がっているいま、人権を守るという理念がきちんと働くような仕組みを設ける必要がある。

 その意味で、差別を犯罪と規定し、ヘイトスピーチに最高50万円の罰金を科す川崎市の条例は尊い。やまゆり園事件について政権や首長からは事件と差別を明確に結びつけた非難が依然ないが、それは差別を扇動しているようなものだ。

 私の兄には知的障害があり、子どもの頃には、なぜ兄のような人間が存在してよいのか、明快な答えを探し求めた時期もあった。本来、人権が守られるのに理由など必要ない。例えば生産性を物差しにした途端、排除の刃は自分に跳ね返ってくるだろう。全ての人はいつか役立たずになるからだ。

 在日外国人を守るだけでも、川崎だけの問題でもない。まずは相模原市がさらに進んだ条例で続くことができれば、事件を引き起こした差別をわが事と捉える理解を広めることにもなる。

 すぎうら・もとき 2018年10月発足の「反差別相模原市民ネットワーク」のメンバー。同団体は現在、川崎市に続くヘイト規制条例の制定を相模原市に求めている。「津久井やまゆり園事件を考え続ける会」の世話人。横浜市瀬谷区生活支援センターの職員として生活困窮者に向き合う。

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