特異な日本の難民認定率、0・25%はG7最低

 ローマ教皇が訴えたかったもう一つのこと  

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東京カテドラル聖マリア大聖堂で、ローマ教皇フランシスコ(右)と記念撮影したラマザン・ドルスンさん=11月25日、東京都文京区(ラマザンさん提供)

 ヨハネパウロ2世以来、38年ぶりのローマ教皇来日として話題になった11月のフランシスコ訪日は、核兵器廃絶の訴えに象徴されるように、「すべてのいのちを守るため」との来日テーマに沿った倫理のあり方を問いかける旅だった。広島や長崎の訪問に比べると目立たなかったが、教皇が来日中に大切にしたイベントの一つに、日本で暮らす難民や移民たちとの交流があった。(共同通信=平野雄吾)

 ▽難民申請者4人、最前列に

 11月25日、東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京都文京区)で開かれた「青年との集い」。集まった約900人の若者の中に、母国での迫害から逃れ、日本政府に保護を求める難民申請者4人の姿があり、最前列で講話を聞く4人を意識しながら、教皇は訴えた。

東京カテドラル聖マリア大聖堂で開かれた「青年との集い」で講話するローマ教皇フランシスコ=25日午後、東京都文京区(代表撮影)

 「数人の難民がここで私たちと一緒にいます。お願いしたいのは、友情の手を広げてひどくつらい目に遭って皆さんの国に避難してきた人々を受け入れることです」。

 だが、教皇の人道的な訴えとは裏腹に、日本政府は難民の受け入れを厳しく制限、2018年に受け入れた難民はわずか42人だ。認定率は0・25%で、欧米諸国と比べ、文字通り桁違いに低い。

 多くは難民申請を認められず、在留資格のないまま不安定な立場で暮らす。4人のうちの1人で、トルコ出身のクルド人、ラマザン・ドゥルスンさん(22)が置かれた環境を見ると、この国が難民とどう向き合っているのか、その実態が浮かんでくる。

 ▽父は入管施設に、描けぬ将来

 「父と母は泣きながらしばらく抱き合っていました。父はそれから職員に連れられ、家族は離れ離れになったんです」

 ラマザンさんは2006年10月、父(46)、母(41)、当時1歳だった弟(15)と共にトルコ・イスタンブールの空港から成田空港へ到着した。だが、入国審査官は一家の上陸を拒否し、空港の入管施設に収容。3日目、父親は家族と引き離され、東日本入国管理センター(茨城県牛久市)へ移送された。当時9歳だったラマザンさんの記憶に父との別れのシーンが焼き付いている。

東日本入国管理センター

 母と弟と共にラマザンさんは在留資格のないまま埼玉県川口市に暮らすクルド人の叔父宅で日本での生活を始めた。父親が入管施設から拘束を解かれる「仮放免」の許可を得て一家に合流したのは約1年後だった。2009年には妹も生まれた。

 一家はクルド人が多く暮らす同国南部ガジアンテプ県出身。クルド人はトルコでは少数民族で、人口の約15~20%、推定約1500万人が暮らす。クルド語の使用を限定されたり、公的機関への就職が制限されたりするなど「二級市民」の扱いを受けている。

 1978年に分離独立を目指すクルド労働者党(PKK)が創設されると、以後PKKとトルコ治安部隊との武力衝突が相次ぎ、治安部隊、PKK、さらには巻き添えとなった市民ら多数が死亡。英国内務省の報告などによれば、その数4万人に上る。ラマザンさんの父も銃撃され、現在も膝に銃弾が残ったままだという。政府系民兵組織に狙われたとみられている。

日本に来てからの少年時代を振り返るラマザン・ドゥルスンさん

 ▽在留資格ないまま続く暮らし

 トルコを離れた一家は来日直後の2006年10月に難民申請した。だが「トルコで迫害の恐れはない」などとして法務省は申請を却下、以後、一家は再申請を繰り返す。

 在留資格のないまま暮らしは続き、一家の生活基盤は日本で整っていく。ラマザンさんは川口市立小学校3年に編入、約30人の学級で唯一の外国人だった。入学当初は石を投げられるなどのいじめも経験。だが、人気アニメ「NARUTO―ナルト―」を見ながら半年ほどで日本語会話を身につけると、日本人との交友関係が広がる。小学5年からは少年野球に参加、中学でも野球部に所属した。夜間高校に進学したが、問題はその先の進路だった。

 在留資格がないため一家には就労が認められておらず、ラマザンさんの進路とも密接に関係するようになった。好きだった英語の勉強を続け、通訳を目指したが、外国語の専門学校への入学は叶わない。4校は電話で断られた上、新宿区の学校からはアドミッション・オフィス(AO)入試で合格したにもかかわらず、急遽、校長との面接が設定され、最終的に不合格になった。明確な理由は伝えられなかったが、在留資格がないのが原因だとみられている。高校卒業を前にした17年秋。ラマザンさんは振り返る。

 「実は悔しくて泣きました。けれど、何に対してかは分からなかったけれど、負けたくはないという思いが沸いてきたんです」

日本での将来について語るラマザン・ドゥルスンさん

 ▽日本での将来に託す夢

 進路は決まらず、高校卒業後1年間は日本語学校で勉強した。19年春、埼玉自動車大学校(埼玉県伊奈町)に入学した。自動車整備士の資格を取り、自動車関連の職に就きたいと気持ちを切り替え、日本での将来に希望を託す。

 「母国語はクルド語ですが、日本語の方が得意です。帰国しろと言われても、今更トルコで仕事を見つけられません。それに、トルコには兵役の義務があって、トルコ軍側でクルド人に銃を向けられません。日本に暮らすクルド人で車庫証明の取り方や車検の方法を知らない人は多いから、そういう人たちを支え、これまで生活費の面倒を見てくれた叔父や両親に恩返しをする。そんな漠然とした思いが今の夢です」

 一家は18年12月、国に対し在留資格を求め東京地裁に訴訟を提起した。

 ▽教皇のルーツ

 フランシスコは1936年、南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで、祖父母がイタリア出身の移民家系の家に生まれた。本名はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。フランシスコの名前は、清貧の思想で知られる中世イタリアの聖者から自らが選んだ。

 移民家系出身というルーツも影響し、フランシスコは移民・難民問題に関心を寄せてきた。13年3月の教皇就任後、ローマ以外の初外遊として同7月、中東やアフリカから欧州を目指す人々であふれるイタリア南部ランペドゥーザ島を訪問。地中海で犠牲となった多くの移民や難民に哀悼の意を表明、「多数の兄弟姉妹への無関心への許しを請う」と述べ、移民難民問題に関心を持つよう世界に訴えた。

ギリシャのレスボス島の難民キャンプで難民らと接するローマ法王フランシスコ(中央)(AP=共同)

 16年4月には、同じく難民危機で揺れるギリシャ東部レスボス島を訪れ、シリア難民12人を教皇特別機でローマへ連れて帰った。「私たちはみな移民の子どもだ」と述べた教皇フランシスコ。同行記者団に「私のしていることは大海の一滴でしかない」と語ったという。12人は今も、バチカンの援助でローマに暮らしている。

 ▽トルコからの難民認定ゼロの日本

 一方、日本政府は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に多額の拠出をするものの、日本に逃れてきた難民の受け入れには消極的で、冷淡な対応を続ける。UNHCRによれば、日本政府は2018年、1万6596人の難民申請を処理したが、認定したのは42人、認定率は0・25%だ。先進7カ国(G7)で比較すると、カナダ56・4%、米国35・4%、英国32・5%、ドイツ23%、フランス19・2%、イタリア6・8%で、日本の特異性が際立つ。

 安倍晋三首相は15年9月、国連総会での演説後の記者会見で、難民受け入れについて尋ねられ、「人口問題として申し上げれば、われわれは移民を受け入れるよりも前にやるべきことがある。女性の活躍であり、高齢者の活躍であり、そして出生率を上げていくには、打つべき手がある」と論点をずらして回答、日本政府として難民受け入れの意思がないと公言した。

 紛争などで自宅を追われた難民や難民申請者、国内避難民は2018年末で約7080万人。過去最高を記録した。UNHCRのグランディ高等弁務官は8月、来日に合わせた都内の記者会見で難民受け入れに消極的な日本政府の姿勢に懸念を表明した。

 法務省は「我が国は欧州諸国と違い、シリアやアフガニスタンのような大量難民を生じさせる出身国からの難民申請が少ない。フィリピンやベトナムからの就労目的の乱用、誤用的な申請が相当数見受けられ、難民条約で規定する定義に申請者が該当するかどうかを適切に判断している。少ないとは認識していない」と説明する。だが、G7各国が多数難民として認定するクルド人のケースを見ると、法務省の説明には疑問が残る。

 UNHCRによれば、2018年に大半がクルド人とみられるトルコ出身者の難民認定率はカナダ89・4%、米国74・5%、英国50・5%、ドイツ41・6%、イタリア30・8%、フランス26・1%。だが、日本は1010人の申請を処理し、1人も認定しなかった。

 さらに、ラマザンさんのように、幼少時に両親と共に来日し、日本で教育を受けてきた難民申請者に対しても、在留資格がないという理由で退去を迫っているのが日本政府の姿勢だ。

 ▽多様な人間が社会に貢献すれば…

 トランプ米政権は排外主義政策で注目を集めるが、米国には16歳未満で入国した非正規滞在の若者の強制送還を猶予する救済措置(DACA、Defered Action for Childhood Arrivals)が存在する。就労も認められているのが特徴だ。

トランプ大統領(ロイター=共同)

 トランプ氏は、オバマ前米大統領が始めたこの制度の廃止を求めるが、連邦最高裁が現在、存廃の是非を審議している。米ロサンゼルス在住で、移民支援に携わるリサ・オカモト弁護士が解説する。「幼少時から長期間暮らす若者にとって米国は母国だし、滞在する権利があるというのがDACAの発想の根底にあります。自分の意思で米国に来たわけではない子どもに責任はないと考える米国人は多く、日本も少なくともそうした若者には、滞在を認めるべきではないでしょうか」

 約900人が傾聴する大聖堂で教皇フランシスコは社会の多様性の大切さを訴えた。「文化的、宗教的な多様性こそが未来へとつなげるべき美しさでもあります。他者の不安に寄り添い、異なった経験や視野に敬意を払うことこそが私たちに求められています。多様な一人一人がそれぞれ社会に貢献すれば、未来はモノトーンではなく、美しくなるでしょう。難民の受け入れは、よそ者である人たちが実は兄弟姉妹なのだという証しでもあるのです」

 大聖堂で個別にフランシスコと会話を交わし、一緒に写真撮影したと話すラマザンさん。「教皇に『どこから来たの?』(Where are you from?)と英語で聞かれて、トルコと答えたけれど、緊張した」とはにかんだ。

 「日本人であったり、外国人や難民であったり…。そんなことは関係なくみんな命は同じで、たくさんの人がいて社会は成り立っている。教皇の話からはそんな多様性の大切さを学びました」。ラマザンさんは「青年との集い」に参加した後、そう語った。

 「自分が日本で働けるようになれば、同じように在留資格がなくて苦労している外国人の子どもも将来を描けるようになります。だから、がんばりたいと思うんです。トルコで楽に暮らせるのならばもうとっくに帰っています。仕事をしながら結婚して子どもを育てたい。日本でそういう普通の暮らしをしたいだけなんです」