面影消えてまっさら、大宮機関区のいま

東北線・高崎線・京浜東北線・埼京線の電車に乗って都心方から大宮駅に入るとき、みえてくるのがさいたま新都心。

この土地にはもともと、大宮操車場という広大な鉄道ヤードが広がっていて、蒸気機関車、ディーゼル機関車、電気機関車とけん引機が移りながらも、1980年代まではその存在感は変わらずにあった。

この大宮操車場を出入りする機関車たちが休む場が、大宮機関区。大宮操車場と大宮駅の間、本線の西側にあった。

D51形機関車をはじめ、9600形、EF15形電気機関車、EF58といったかまがぎゅっと押し込まれてた。

東北へ、上越・信越・羽越・北陸へと行く貨物列車たちのやり繰り場として、機関車も貨車もガチャンがちゃん騒がしい地だった。

1990年代に入ると再開発計画が動き出し、大宮操車場が跡形もなくなくなり、いまのビルが建ち始める。

操車場がなくなれば、機関車も用なしって流れで、大宮機関区も名ばかりの地と化し、ついにはレールもはがされることに。

いま、むかしとは違った角度から大宮機関区を眺めると、ここに機関車がぎゅーっといっぱい詰まった時代が、もはや思い出せないぐらい、まっさら。この角度からは、電気機関車屋根上へと昇降する作業ステップがまだあった。

正面玄関に動輪が置いてあるけど、もう汽笛も油のにおいもない。

(大宮に仕事に行ったとき、見たまま)

写真 記事:鉄道チャンネル編集部

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