横浜の老舗NPO、チャリティショップの収益で途上国の自立に「民際協力」

1998年の立ち上げ以来、20年間に渡って横浜を拠点に活動するNPO法人が「WE21ジャパン」だ。国内では複数のNPOが運営する「チャリティショップ」を束ね、地域で寄付された不要品をボランティアの協力で販売。収益はアジアを中心とした途上国の貧困、人権、環境の課題の解決を目指す「民際協力」に活用する。「現地が主体。支援ではなく自立に協力する」という海田祐子理事長は「私たちも同じ問題を抱えた一員だと気付きがあった」と話す。(サステナブル・ブランド ジャパン編集局=沖本啓一)

横浜に根ざし、経済や文化を循環させている企業活動を山岡仁美 SB 2020 横浜プロデューサーがクローズアップ。
第4回は認定NPO法人WE21ジャパン 海田祐子理事長との対談。

山岡:WE21ジャパンは1998年に立ち上げられ、20年間活動しています。立ち上げの経緯はどのようなものでしたか。

海田:緒方貞子さんが「軍事の安全保障ではなく人間の安全保障」というように、貧困や社会の課題がその現場で解決しなければ平和な社会は実現しないだろうという思いがありました。1996-1998年当時、大量生産・大量消費・大量廃棄という課題が大きくクローズアップされていたので衣料中心に物品の寄付を集め、それをボランティアの方と一緒に販売し、その収益で民際協力を行うというかたちで活動を始めました。

WE21ジャパンは英国の非営利組織「オックスファム」をモデルにしています。現在では「WE21グループ」を形成する36の地域NPOで、52店舗の「チャリティショップ」を運営しています。ショップの運営と民際協力を両輪でまわしています。

主体は現地にある

フィリピン・北ルソンの山岳地帯にある村でジンジャーティーを生産。フェアトレードで調達し、WEグループのチャリティショップで販売している
フィリピン・ベンゲット州でコーヒーの品質向上と生産者組織の強化を目指す「コーヒーの森プロジェクト」

山岡:海外支援ではなく「民際協力」という言葉を使われているのは現地の皆さまの自立や自走を見据えて活動するために支援ではなく協力をしているということでしょうか。

海田:まさにそうです。現場の方々が自分で考えて実行する、私たちはその手助けのために何か協力できればいいということです。海外で貧困や人権、環境の課題に立ち向かう人を支援する活動ですが、果たして「支援」という言葉が正しいのか、議論をしました。「主体は現地にある」という考え方から「民際協力」という言葉を使っています。

山岡:海田さんご自身も現地には足を運ばれているのでしょうか。

海田:私は2004年にWEショップつづき店(横浜市都筑区)を立ち上げてマネージャーになりました。そのとき、自分のショップの売り上げが課題のある現地でどのように使われるのかを知らないと語れないと思ったんです。そこでWE21ジャパンのスタディツアーでタイを訪問しました。それから2年に一度はタイやフィリピンで現地の方と活動を共有したり、現地と日本での活動をつなげる役割をさせて頂いています。

どちらの国でも課題の現場で強く感じることは「同じようなことが日本でも起きている」ということです。だからこそWEの方にも、WEを知る皆さんにも、ぜひスタディツアーに参加し、現地の様子を見て交流してほしいと思います。特に学生さんたち、これから社会に出る方たちが参加してくれるといいなと考えています。

次回のスタディツアーは2020年2月2- 7日の5泊6日、フェアトレード ジンジャーティを生産しているフィリピンの山岳地域で村にホームステイをします。フィリピンと言えば南のセブ島のイメージが強いですが、北ルソンの山岳民族の方と交流して頂ける機会はなかなかないので多くの人に一度体験してみてほしいですね。

山岡:日本で海洋プラスチックのことが話題になりますが、海が汚れたのは私たちが大地や山や森を大事にしてこなかったからなんですよね。森や山が汚れると河川が汚れ、海が汚れます。今から元通りには戻せなくても、できる手立てはたくさんあると思うんです。まず気付いて、具体的に何を行動に起こせるのかを考えるという意味でも、現地に足を運び現実を見る、きちんと知る、学ぶということから始めるのがとても大事だと思います。

「同じ課題を抱えた一員だ」という思い

山岡:4年前に国連がSDGsを採択しましたが、採択後にお考えに変化はありましたか。

海田:MDGsの頃には、先進国が途上国の方たちをどう支援をして貧困や格差をなくすのか、という観点がやはり強かったです。SDGsが登場し、私たち自身の生活や未来を変えるということに目標や義務が出てきたことは大きなできごとでした。

対岸を見るだけでなく、自身の足下から変えるということを私たちの活動にも突き付けられました。地域ショップに集う皆さんにそれを理解してもらうよう、視点を変えて活動・広報をしなければなりません。MDGsとSDGsはまったく違うものだと認識しています。

山岡:活動の中では具体的にどういう変革がありましたか。

海田:WE21ジャパンが世界で民際協力をし、地域の自立や貧困格差の解消に力をそそぐことは変わっていません。ただ、活動を通じてより日本の問題、自分たちの周囲にも注目して、一歩ずつ踏み込んでいくことが必要になっています。常に海外にだけ注力をしても「自分たちの足下はどうか」を問われる立場になるのではないかと考えています。

決して海外だけの問題ではないんです。同じ問題を抱えている一員だという思いはここ5,6年で強くなっています。気付きのきっかけとしては東日本大震災も大きかったと思います。それはSDGsが採択される前ですが、国内と国外の活動のバランスを考えるようになった転機だったと思います。

山岡:現地での風景を見たことも東日本大震災も、現実を突き付けられたということですね。本質やあり方が揺り動かされ、経験を生かしながらこれからどうあるべきかを模索する時期だったのでないでしょうか。

「チャリティ=社会貢献」

山岡:活動を通してこれから目指す次のステップ、今後の具体的な構想はお持ちですか。

チャリティショップは「市民の皆さんが寄付をしてくれたものをボランティアの参加で販売し、収益を社会貢献に使う」

海田:ただ頑張っていいことをしているだけでは狭い社会での活動になりますので、次は広い世代や地域にこの活動を知ってもらいたいと考えています。だからこそ今まで培ってきた資産・資源がどういう価値を持っているのか、もう一度掘り出すことを来年度からやっていくつもりです。

例えばインターネットやSNSをもっと活用したいと思ったときに、自分たちの価値やキーポイントが一体どこにあるのかをもう一度きちんと洗い出したうえで、言葉にしていけるようにしたいですね。

もうひとつは、私たちは4年前、全国のチャリティショップのネットワークをつくりました。WE21だけでなくチャリティショップがもっと増えていけばいいと考えています。

山岡:実際にショップがあり、自分の不用品がどうなるとか、間接的にでも途上国での雇用や経済発展につながっているといった実感が持てるということがすごく大事ですね。

海田:そうです。ショップという拠点は来店者もボランティアの皆さんにとっても共感のあるコミュニティスペースでもあるので、そこは大切にしていきたいと思っています。通りすがりでも、たまたまリサイクルショップとして入ってきた人でも、課題があってその先に仕組みや支援があるということ、一人じゃないということに気付いてもらえる場所として、ひとつの価値が生まれています。

「チャリティショップ」は「市民の皆さんが寄付をしてくれたものをボランティアの参加で販売して収益を社会貢献に使う」という定義をしています。単なるリサイクルショップではないということを表現するため「チャリティ」という言葉を使いましたが、実は決めたときに賛否両論ありました。やっぱり「慈善事業」は少し違うと思いますが、辞書を見ても「慈善」と翻訳されていますよね。

私たちの活動を一番端的に表すとすれば、「チャリティ=社会貢献」だと思っています。チャリティという言葉が一般的にもそう受け取られるように、活動を広げていきたいと思います。

海田祐子 理事長(左)と山岡仁美 SB 2020 横浜プロデューサー

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