長崎原爆で倒壊 山王神社「三の鳥居」部材発見 「境内の重要性示す資料」 

山王神社の境内の地中から見つかった石造物の一部(市被爆継承課提供)

 山王神社(長崎市坂本2丁目)の境内の地中から見つかった石造物が、長崎原爆で倒壊したとみられる「三の鳥居」の部材の一部であることが分かった。「三の鳥居」の部材が確認されたのは初めて。23日、市内で開かれた国指定史跡「長崎原爆遺跡」の調査検討委員会(会長・下川達彌活水女子大学術研究所特別教授)の会合で、市が明らかにした。市は「貴重な(被爆)資料が残る山王神社境内の重要性を示す新たな発見」としている。
 同神社は爆心地から約800メートルの場所にある。市や同神社によると、参道にはかつて四つの鳥居があったが、「一本柱鳥居」として知られる「二の鳥居」以外は被爆などで倒壊したとされる。「山王神社二の鳥居」は「長崎原爆遺跡」の構成遺跡として国の指定を受けている。
 原爆の威力を伝える同神社について、市は2013年度、被爆遺構としての適切な保存につなげることを目的に、調査に着手。18年度から本年度にかけて初めて発掘調査も実施し、「三の鳥居」が立っていた場所のそばの地中(地下約10センチ)から、最大約1.4メートルの石造物13点が見つかった。これらの部材が被爆後、自然に埋まったのか人為的な作業によるものかは現時点では不明という。
 市は、被爆の実相を伝える活動を続けている市民団体「ピースバトン・ナガサキ」から提供を受けた戦前の「三の鳥居」の古写真と、石造物とを照合。柱に掘られている文字や見た目の特徴などから、石造物が「三の鳥居」の柱や笠木、基礎の一部であることを確認した。今後、市は「三の鳥居」の部材がほかに残っていないかや、同じく被爆して倒壊した「四の鳥居」についても調べる方針。
 会合ではこのほか、市が原爆遺跡への追加指定を目指す「立山防空壕(ごう)」(立山1丁目)を委員が現地視察し、市に対して追加指定に向けた調査を実施するよう求めた。
 長崎原爆遺跡は「山王神社二の鳥居」のほか、「爆心地」「旧城山国民学校校舎」「浦上天主堂旧鐘楼」「旧長崎医科大学門柱」で構成。16年10月に国指定を受けた。

原爆投下前の1935年に撮影された山王神社「三の鳥居」の写真(ピースバトン・ナガサキ提供)

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