死刑か無罪、判決を分けたものは 福岡妻子殺害と鹿児島夫婦強殺の裁判員裁判

By 竹田昌弘

元福岡県警巡査部長の中田充被告

 福岡県小郡市の自宅で2017年6月、妻と子ども2人を殺害したとして、殺人罪に問われた元福岡県警本部通信指令課巡査部長(懲戒免職)の中田充被告(1978年生まれ)は、裁判員裁判(裁判員6人、裁判官3人)で無罪を主張したが、12月13日の福岡地裁判決では、求刑通り死刑を宣告された。同じように被告が起訴内容を全面的に否認し、死刑を求刑されながら無罪となった事件と比較しながら、今回の判断を考察してみよう。(共同通信編集委員=竹田昌弘)

■直接証拠なく状況証拠で有罪立証

  刑事裁判の証拠には、被告の自白や被害者の供述、犯行の目撃証言など、起訴状に書かれた被告の犯罪が事実であることを示す直接証拠と、被告の犯罪を直接証明しないものの、被告の犯罪を間接的に推認(経験則に基づいて推測し、認定する)させる状況証拠がある。 

 状況証拠とは、例えば、強盗致傷事件で犯行現場から被告の指紋が採取されたことを示す鑑定結果や事件直後に被告が血の付いたシャツを洗濯していたという目撃証言、凶器と同型のナイフ購入を示すレシートを被告が所持、奪われた時計の譲渡証明書を被告宅で押収など。逆に事件当時のアリバイを示す防犯カメラの映像は、被告の犯罪ではないことを推認させる状況証拠となる。 

 検察側は直接証拠がなくても被告を起訴し、状況証拠を積み重ねて被告の犯罪(有罪)を立証しようとすることがあり、今回の福岡妻子3人殺害事件はまさにそうした事件だった。 

福岡妻子3人殺害事件の中田充被告に対し、死刑の判決が宣告された福岡地裁の法廷=12月13日(代表撮影)

 福岡県警によると、事件は17年6月6日午前9時10分すぎ、中田被告の妻由紀子さん=当時(38)=と小学4年の長男涼介君=同(9)、小学1年の長女実優さん=同(6)=が自宅で亡くなっているのを、訪れた由希子さんの姉が見つけて発覚した。由紀子さんは1階台所付近で、子ども2人は2階寝室の布団の上で倒れていた。被告は同日午前6時50分すぎ、県警本部へ出勤し、小学校から「涼介君と実優さんが登校しない」と連絡を受け、近くに住む義姉に自宅の様子を見に行ってほしいと頼んだ。

 ■「鬱憤が爆発して妻を殺害したことは合理的に推測できる」

福岡妻子3人殺害事件で福岡地裁の裁判長を務めた柴田寿宏判事

 福岡地裁(柴田寿宏裁判長)は判決で、状況証拠から、それぞれ次のように事実を認定した。

  ①法医学者による遺体の鑑定などによれば、3人が殺害されたのは、6月5日深夜から翌6日未明、遅くとも6時半頃まで。

  ②遺体に引きずられた跡がない由紀子さんも、布団の上で倒れていた子ども2人も、遺体発見場所で殺害された。

  ③現場の窓やドアにこじ開けた痕跡がなく、現場から採取した指掌紋や近隣の防犯カメラ映像からも不審者は浮上せず、台所に置かれていたバッグ内の財布には現金が入ったままだったことなどから、外部犯の可能性は否定できる。

  ④被告は5日午後7時頃、子どもたちと共に帰宅し、6日午前6時50分すぎに出勤するまで、自宅にいて危害を加えられていないことからも、外部犯の可能性が否定される。また被告のスマートフォンには、出勤前、何度も1階と2階を行き来した状況が記録されているので、通常通り出勤したのは、3人の死亡を意図的に隠したとみるほかない。

  ⑤被告の左腕には、由紀子さんが爪を立てて抵抗した跡とみられる傷があり、由紀子さんの爪から2人の混合とみて矛盾しないDNA型が検出されたことや、由紀子さんの首からも2人の混合とみて矛盾しないDNA型が検出されたことは、素手で由紀子さんの首を絞めて殺害した犯人が被告であることを裏付ける。

妻子3人が殺害された中田充被告の自宅=2017年6月7日、福岡県小郡市

  福岡地裁は動機について、夫婦関係が悪化し、由紀子さんから日常的に叱責(しっせき)されるなどして、被告は鬱憤(うっぷん)をためていたとみられることや、被告が6月5日夕、警部補昇任試験の不合格を告げられていたこと、一方、由紀子さんは被告に隠れて特定の男友だちと会って食事をするなどしていたが、被告にスマートフォンを見られて男友だちの存在がばれたかもしれないと話していたことなどから「試験不合格や男友だちを巡って口論となり、被告は鬱憤が爆発して由紀子さんを殺害したことが合理的に推測できる」としている。

■「衝動的に子どもを殺害したという想定は可能」

  さらに福岡地裁は「被告には、子ども2人を殺害する動機があったとは認められない。しかし、鬱憤が爆発して由紀子さんを殺害した被告が、冷静さを欠いた心理状態のまま、衝動的に子どもを殺害したという想定は可能である」と指摘。1階の由紀子さんから2階の涼介君と実優さんまで、3人の遺体をつなぐようにライター用のオイルをまいて火を付け、証拠隠滅を図ったのも被告とみられることは「子どもたちを殺害した犯人が被告であることを裏付ける」と断じた。

  その上で、福岡地裁は公平性の観点から、同じように3人が殺害された事件の裁判例を確認し、死刑を選択するかどうかを検討。被告は由紀子さんに対する鬱憤を何らかのきっかけで爆発させ、衝動的に犯行に及んだとみるのが自然で、3人の殺害に計画性は認められないが、「結果は誠に重大で、とりわけ子どもたちを殺害したことについて酌量の余地はなく、犯行態様が非常に悪質」として、公平性の観点からも死刑の選択を免れないと結論付けた。

  判決後の記者会見で、研究者の男性裁判員(46)は「直接証拠がない事件で、被告が犯人ではない可能性が論理的に消し去れない中、にもかかわらず重い刑を科さなければならないという、身動きできないジレンマがあった。本人が冤罪(えんざい)だと主張していることは引っかかっている」と述べ、状況証拠による有罪認定にためらいがあるようだ。最終的に宣告することになった死刑についても「頭から離れず、つらい気持ちで裁判所に通っていた」と明かした。

福岡妻子3人殺害事件の判決後、記者会見する裁判員=12月13日、福岡市中央区(代表撮影)

 会社員の男性裁判員(37)は「法令に従い、公平誠実にその職務を行うと宣誓したが、公平に判断するというのは難しい。どうしても被害者に感情が動いていってしまう」として、予断を交えずに判断することの困難さを吐露した。

■被告が犯人でない場合、合理的に説明できない事実関係が必要 

大阪母子殺害放火事件で最高裁第3小法廷の裁判長を務めた藤田宙靖判事(2010年に退官)

 裁判員裁判が始まる前、福岡妻子3人殺害事件と同様に、検察側が状況証拠を積み重ねて有罪の立証に当たり、死刑を求刑した事件の判決で、最高裁第3小法廷(藤田宙靖裁判長)は10年4月、直接証拠がないのだから、状況証拠で認められる事実の中には「被告が犯人でないとしたならば、合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要する」という判断の枠組みを示した。

  この判決は、大阪市平野区のマンションで02年4月、義理の娘=当時(28)=とその長男=同(1)=を殺害し、部屋に放火したとして、刑務官の男性被告(1957年生まれ)が殺人と現住建造物等放火の罪に問われた事件の上告審。一、二審判決では、マンションの階段踊り場の灰皿に残っていた、たばこの吸い殻72本のうち、1本に付着していた唾液が被告のDNA型と一致したことを重視し、被告が犯行時間帯に携帯電話の電源を切っていたことや事件当日の行動について被告の供述が変遷したことなども踏まえ「被告が犯人と強く推認できる」と判断。一審は無期懲役、二審では求刑通り死刑を宣告した。

母子殺害放火事件の現場マンションを調べる大阪府警の捜査員=2002年4月15日、大阪市平野区

 これに対し、最高裁は吸い殻の色から、吸い殻は事件当日ではなく、かなり以前に捨てられた可能性があり、被告が犯人でない場合、合理的に説明できない事実関係には当たらないとして、審理を差し戻した。その後、大阪府警が残る吸い殻71本を廃棄したことが判明。検察側は有力な証拠を提出できず、大阪地裁と大阪高裁はともに無罪の判決を言い渡し、2017年3月に確定している。

現場マンションの階段踊り場にあった灰皿から採取され、付着した唾液が被告のDNA型と一致した、たばこの吸い殻(弁護人の控訴趣意書から)

  吸った時期が判然としない吸い殻1本を重視し、無期懲役や死刑というのは、大阪地裁と大阪高裁が被告を犯人と決めつけていたのではないか。とりわけ死刑を選択した高裁の判断には、背筋が寒くなる。

■「本件程度の状況証拠では被告を犯人と認定できない」

 裁判員裁判がスタート後、鹿児島市の夫婦が09年6月、自宅で殺された事件で、強盗殺人などの罪に問われた男性(1939年生まれ)の公判でも、検察側は[a]犯人が侵入する際に割った窓の網戸には、被告のDNA型とほぼ一致する細胞片が付着し、窓ガラスからは被告の指紋を採取した、[b]物色された形跡がある整理たんすから、被告の指掌紋が採取された、[c]現場には、被告以外に不審な第三者の痕跡がない、[d]被告は事件当時、金に困っていた-などの状況証拠を積み重ねて有罪の立証を目指し、死刑を求刑した。 

鹿児島の夫婦強盗殺人事件で鹿児島地裁の裁判長を務めた平島正道判事(現在は福岡高裁判事)

 鹿児島地裁(平島正道裁判長)は2010年12月の判決で、大阪母子殺害放火事件の最高裁第3小法廷判決で示された「被告が犯人でないとしたならば、合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要する」という枠組みを引用し、状況証拠で認められる事実を順次検討した。

  [a]からは、被告が過去に網戸や窓ガラスに触ったことが推認できるにとどまる。[b]の整理たんすの引き出し内にあった封筒は、被告の掌紋が付いている面が下向きで、被告の指掌紋が付着していない引き出しもあった。被告の指掌紋が付いた後、別人が今回の犯行時に整理たんす周辺を物色した「偶然の一致」を否定できず、決め手にならない。

  現場に警察官の足跡や手袋痕が複数残っているなど、鑑識活動が万全だったとは言い難い上、現場で採取された指掌紋計446点のうち被告や被害者などのものと特定できたのは29点にすぎず、DNA型を鑑定できなかった細胞片もある。[c]のように被告以外の第三者の痕跡がないとは言い切れない。[d]についても被告は生活に困っておらず、厳しい借金取り立てを受けていたわけでもなく、重大犯罪を起こすほど経済的に追い詰められた状態とは認められない。

夫婦が殺害された住宅前(木の向こうに屋根瓦が見える)で警備する警察官=2009年6月19日、鹿児島市

  鹿児島地裁は状況証拠で認められる事実をこのように限定する一方、100回以上振り回したとみられる凶器のスコップには、被告の痕跡が全くなく、現場に残された足跡も小柄な被告にそぐわないなど、被告に有利な状況証拠があると指摘。状況証拠で認定される事実の中には、被告が犯人でないとしたならば、合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれておらず、「本件程度の状況証拠をもって被告を犯人と認定することは、刑事裁判の鉄則である『疑わしきは被告の利益に』という原則に照らして許されない」として、被告に無罪判決を言い渡した。

  裁判員を務めた6人と補充裁判員の2人が判決後の記者会見に応じ「(被害者の遺族には)申し訳ないが、証拠が不十分だった」「証拠に基づいて考えなければならない」「中立の立場で判断した」「疑わしきは被告の利益に、でこうなった」などと述べた。被告に死刑を求める遺族に心を動かされ、有罪であれば死刑選択という緊張感を持ちつつ、状況証拠で認められる事実を慎重に検討したとみられる。検察側は判決を不服として控訴したが、被告が2012年3月に亡くなり、裁判は打ち切られた。

■最高裁が示した判断の枠組みに当てはまるかどうか

  被告が無罪を主張し、直接証拠がなく、検察側が状況証拠を積み重ねて有罪を立証する事件は判断が難しい。福岡の妻子3人殺害事件で、検察側は最高裁が判断の枠組みとして示した「被告が犯人でないとしたならば、合理的に説明することができない事実関係」として、▽第三者が被告の出勤後に殺害した場合、被害者の死亡時刻が整合しない、▽第三者が被告の出勤前に殺害した場合、2階で子ども2人と寝ていたという被告に気付かれないことは、およそあり得ない、▽犯人は3人を殺害後、遺体をつなぐようにライター用のオイルを散布しているのに、1階と2階を行き来した被告が気付かないことは、およそあり得ない-などを挙げていた。 

 福岡の妻子殺害事件と鹿児島の夫婦強盗殺人事件が死刑と無罪に分かれたのは、最高裁が示した判断の枠組みに当てはまるか、当てはまらないかの違いだった。状況証拠だけの裁判員裁判は今後も続く。死刑という懲役刑とは全く質の異なる刑罰を存置している以上、無実を訴える被告に対する死刑判決で、福岡地裁の裁判員が言っていたように「ジレンマ」に陥り、冤罪のおそれから心に引っかかりを持ったままの裁判員はこれからも出るだろう。

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