ビッグクラブ移籍を「結果」で勝ち取った9名の日本人

今や欧州でプレーする日本人は珍しくなくなり、世界を代表するようなビッグクラブに所属する選手たちもいる。

かつては将来性を買われてのものや日本のマーケットを意識しての獲得もあったが、最近では現地で確かな結果を残し、実力で移籍を勝ち取る選手たちも増えてきた。

今回はそんな日本人選手たちをご紹介しよう

南野 拓実(リヴァプール)

レッドブル・ザルツブルク→リヴァプール

「94世代」と呼ばれたU-17日本代表のエースストライカーは、セレッソ大阪でのデビューからほどなくオーストリアのレッドブル・ザルツブルクへ。

ここで過ごしたおよそ5年の歳月は、おそらく本人にとって想定外の長さであっただろう。 しかし2019-20シーズン、念願だったCLに初出場すると、王者リヴァプール相手にゴールを記録するなど鮮烈な働きを見せ、そのリヴァプールへの移籍を勝ち取った。

堂安 律(PSV)

フローニンゲン→PSV

堂安は2017年のU-20ワールドカップで活躍したことが評価され、大会後、オランダ1部のフローニンゲンと契約。1年目から結果を残し、クラブのレジェンドであるアリエン・ロッベンやルイス・スアレスとも比較された。

2シーズンを過ごした後、今夏、かつて欧州王者に輝いたこともあるオランダ3強の一角PSVアイントホーフェンと契約を結んでいる。

中島 翔哉(ポルト)

ポルティモネンセ→アル・ドゥハイル→ポルト

リオ五輪で10番を背負った“天才”は、Jリーグでは燻っていたものの海外に出たことでその才能を爆発させる。

ポルトガルの小クラブに過ぎないポルティモネンセでの活躍によりW杯後に日本代表の10番に上り詰めると、今年2月、日本人史上最高額でカタールのアル・ドゥハイルへ。 そのわずか半年後、ポルトガル3強の一角であるFCポルトと契約を結びここでも10番を与えられた。

酒井 宏樹(マルセイユ)

ハノーファー→マルセイユ

柏レイソルから2012年夏にハノーファーへ加入。ドイツでの4シーズン中、清武弘嗣や山口蛍ともプレーしたもののチームは常に残留争いを強いられる苦しい時を過ごした。

ただそれでも酒井個人の能力は評価されていたようだ。2015年の夏にかつての欧州王者でフランス屈指の人気を誇るマルセイユと契約。寡黙なプレーがファンから愛されている。

本田 圭佑(ミラン)

VVV→CSKAモスクワ→ミラン

オランダのVVVでは加入したシーズンに2部降格を味わったが、そこから持ち前の反骨精神を発揮。16ゴールの活躍で2部のMVPと昇格を達成すると、翌シーズン途中にはCSKAモスクワへ引き抜かれた。

ロシアでは3シーズン半を過ごすことになったが、2014年にミランへ。フリーでの加入だったが栄光の10番を付けた。

香川 真司(マンチェスター・ユナイテッド)

ドルトムント→マンチェスター・ユナイテッド

セレッソ大阪時代、乾貴士との“黄金コンビ”で大暴れし、2010年ワールドカップへの選出を期待された香川真司。23名には選ばれず失意を味わったが、その悔しさをドイツで爆発させた。

ユルゲン・クロップ監督が率いた当時のドルトムントでは、1年目からトップ下としてチームの連覇に貢献すると、2012年6月、アレックス・ファーガソン監督のマンチェスター・ユナイテッドへ引き抜かれている。

長友 佑都(インテル)

チェゼーナ→インテル

明治大時代の途中まで太鼓を叩いていたという小柄なDFは、サクセスストーリーの代表的な選手であろう。

FC東京で「フッキを抑えた選手」として話題になると、日本代表としてワールドカップで活躍するまでに成長し、大会後にチェゼーナへ。わずか半年の間に目覚ましい活躍を見せ、インテルに買い取られた。

中村 俊輔(セルティック)

レッジーナ→セルティック

2002年ワールドカップの落選の失意からイタリアへ。“東洋のバッジョ”と呼ばれた才能を発揮すると、スコットランドの名門セルティックへ。

以降はレンジャーズやCL・マンチェスター・ユナイテッド戦での伝説のゴールなど活躍し、クラブのレジェンドとして現在でも語り継がれている。

中田 英寿(ローマ)

ペルージャ→ローマ

1998年ワールドカップで活躍し、セリエAのペルージャと契約。開幕戦でユヴェントスから2ゴールを奪うという衝撃的なデビューを飾り、世界のサッカーファンを驚かせた。

そして2シーズン目の冬、“王子”フランチェスコ・トッティがいたローマに1600万ドルという高額な移籍金で移籍した。

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