これがヤラセのからくり 地元有力者が語る『24時間テレビ』とのやり取り 妄想ドキュメンタリーはこうして作られた!

タイの人々の優しさに感動する黒木瞳とワイプに映るベッキー(イラスト◎小金井)

ヤラセ・ドキュメンタリーはこうして作られた!

日本テレビが毎年8月に放映するチャリティー番組『24時間テレビ』に、重大なヤラセ疑惑があったと本サイトが報じてから一週間が経った。ふざけているかのような一行コメントを出して以降、日本テレビ側はだんまりを決めている。おそらく、このままこの事件を国民が忘れてしまうまで「やり過ごそう」という魂胆なのであろう。しかし、SNSの時代にそのような古いやり口が通用するのかどうか、見ものである。

2011年3月11日、日本人が忘れることさえできない未曾有の大災害が起こった。体験したことのない揺れ、リアルタイムで見たことのない真っ黒な津波、しっかりと想像もできていなかった原発事故、あの東日本大震災は私たちの心を鋭くえぐっていった。世界でも数回しか発生していないマグニチュード9.0という大地震は、620,802戸の家屋をなぎ倒し、15,511名という尊い命を奪ったのである。

その年の8月、「津波による死者を弔う」という名目で『24時間テレビ』は追悼ドキュメンタリーを放送した。キャスターとなった女優・黒木瞳がタイを訪れ、彼らタイ国民が日本のためにコムローイという灯籠に火を付けて夜空へ飛ばしてくれた…とリポートした。異国の人々が日本のためにボランティアで弔いの祭りを……会場で感動の涙を滲ませるタレントたちの顔がワイプで抜かれた。

ところが、この番組はタイの地元の人々にテレビ局側が金銭を支払って集まってもらったヤラセだったということが発覚した。詳細についてまだの方は下記リンクの「第一弾」をご覧になって頂きたい。

さて、我々取材班は「第二弾」で報告したように、このヤラセのドキュメンタリー番組制作において、“地元の名士”による協力があったことを掴んだ。確かに、異国でヤラセをやるのだから、力のある人間にまずお願いするのが筋である。テレビ局側が考えている道筋はある意味で正しかった。

その名士は地元でも有名な人物で、この「N」町の人々から慕われていることが聞き込みでもよく分かった。彼は番組がやってきた当時は「副町長」だったそうで、現在は老人施設でボランティアなどの活動を行っているそうだ。これだけの名士となると会うのは簡単ではないかもしれない思い、いったん宿のあるチェンマイへ引き上げ、翌日また改めて元副町長にだけ標準を合わせて再訪することにした。

翌日、再度策を練り直し、知り合った町の人たちの協力もあって、元副町長が毎日通っている老人施設を割り出し、そこで待ち続けることにした。観光客など皆無である町の施設で佇んでいると、どうやらすぐに「おかしな日本人らがたむろしている」という情報が駆け巡ったようで、誰かが元副町長を呼んでくれるというミラクルが起きた。

「ああ、来た来た、あれが先生だよ」と私たちの話を聞いてくれた女性が言う。前回にも報じたが、彼は町の人々から最高級の敬意を払われ「先生」と呼ばれているそうだ。その先生は今、道路の向こう側で車をやり過ごしてこちらに渡って来ようとしている。色黒で白髪交じりの短髪、黒いサングラスをかけ、第二ボタンまで開いた紺色のシャツからはシルバーのアクセサリーが覗いている。さすが名士である。とかくTシャツ短パンのイメージが強い暑いタイだが、きちっとした身なりをしていた。

「サワディーカップ。やあ、君たち、昨日もいたね」

彼は、まず軽いジャブを我々に食らわせてきた。

そうだ、第二弾で報じたように、ヤラセの確固たる証拠となる「日テレとN町共催のコムローイ飛ばしの参加者募集!」と書かれた垂れ幕を今現在も“日よけ”に使っていたあの家は、紛れもなくこの副町長の自宅だったのだ。彼はその様子をきっとどこかで見ていたのだろう。だから私たちが何をしにこの町に来たのかも既に知っていた。

それでも会ってくれた彼に、感謝した。

誰が航空局から許可を得たのか?

――私たちが聞いたところによると、だいたい8年くらい前に日本のテレビ局がここでコムローイの番組撮影をしましたよね。知りたいのは、ここは通常コムローイを上げるのは禁止されているんですよね? どうしてここでコムローイを上げられたんでしょうか?

「そうだね、実際ここは上げるのを禁止されているんだよ。ここでは通常上げられないんだ」

彼が普段働いているという施設内へ案内してもらい、テーブルセットへ座るように促された。元副町長は扇風機とエアコンを目一杯回してくれ、笑顔で私たちの質問を聞いてくれた。

「この町で『コムローイ作り』は、高齢者や子どもなどが収入を得られる職業のひとつなんだ。コムローイはよく売れる。イーペンの祭りやロイカトーンなどで、みんなはコムローイを上げるだろ? そのあとの時期でもタンブンなどで常にコムローイを上げる。ロイカトン以外の行事でもコムローイを上げている」

――なるほど、そういう地域へコムローイを売って生計を立てているんですね。

「そうだ。でも、ここはチェンマイ空港に離発着する飛行機の航路に当たっている。空港はコムローイを飛ばすことを禁止しているんだ。でも、上げることはできる。できるんだが、航空局に協力要請をしなければいけない。どの時間に上げるかということを申請すれば許可が降りることもある。飛行機が通らない時間帯に」

このことは我々も把握しており、写真のようにコムローイを禁止していること、それでも飛ばしたい場合はどこに連絡すれば良いかという内容も航空局に確認している。

――航空局から許可をもらうのは難しいですか?

「難しくないと思う。でも、許可をもらうに当たっては目的・いくつあげるのか・どの時間帯にやるのかを確認される。コムローイを上げる時間帯に飛行機がたくさん通過するかどうか、もしたくさん通過する時間帯で上げられなければ、他の時間でできるかどうか」

――どれくらいの時間をもらえるんですか?

「まず私たちが上げたい希望の日時を言うんだよ。それを航空局が検討して指定した時間にあげなければいけないんだ」

――日本のテレビ局が来てコムローイを上げた時には、誰が航空局から許可をもらったんですか?

「それは私たちじゃない。日本人が許可を取ったんだ」

日本のテレビ局が来て収入をもたらした

――私たち日本人も許可を取ることができるんですか?

「大丈夫大丈夫。規則で禁止されている地域だけれども、協力要請をして許可をもらうことは出来る。ただ、上げる時間帯は指定されるよ?」

これは意外だった。てっきり、元副町長が航空局に根回しをしたのかと睨んでいたが、日本語を話す日本人スタッフが現地で許可を取ったことが判明した。

少し解説が必要かもしれない。この「N」町はコムローイを制作する町としては有名なのだが、町の場所はコムローイを飛ばすことを航空局から禁じられている。それ故、町にはコムローイを毎年飛ばすというような風習はなく、町役場でもそれを確認した。つまり、過去ここで大々的にコムローイを上げたのは日本のテレビ局だけ。だから町の人々ほぼ全員がそのことを鮮明に記憶していたのだ。

――その時は雨季だった思うのですが、やるべき季節ではないですよね?

「そうなんだ。本当は乾季の寒い時期の終わりの頃にしたほうがいいね。それか、寒い時期に入る前が良い。この2つの時期がいいね。8年前のように雨が降ってる時にやるのは、問題あるね」

――ところで、日本のテレビ局が来た時は人を沢山集めたと思うんですけれども…

「そう、とてもたくさんだよ! この町には14の集落がある。そこからかき集めたんだ。日本のテレビが来た2回とも、“集落の高齢者や子どもに収入をもたらすこと”ができた。その金を集落の維持に使ったんだ。その時には日本のスタッフは、私たちにコムローイを何個と指定したんだっけな……」

――8,000個ではないですか?

「そうだそうだ。8,000個と言ったのは、値段交渉で一個あたりいくらと決めたからなんだ。例えば、一個10バーツだとしたら8,000個上げるんだったら、80,000バーツだろ? そんな感じで決めていったんだ」

――8,000個上げるなら、人は8,000人集めたのですか?

「コムローイの数が8,000個でも、4,000人で十分だ。だって一人2つ上げればいいだろ? 交通費をその人達に出さなければならない。でも、それが集落の人々に収入をもたらすんだから素晴らしいことだ」

元副町長はニヤリと笑って、そう言った。

――では、単刀直入にききますが、日本のテレビが来た時、彼らはいくら払って行ったんでしょうか?

「その時、私はお金については関与していなかった。詳しい金額は知らない。コムローイを上げることを手伝った、ただそれだけなんだ。彼らが一回目に来た時は、その段取りは、コムローイを作るところから始まったんだ。例えば段取りに10の段取りがあるとするだろ? 1から順にやっていってコムローイを上げるところまで撮ったんだ」

さすがに名士であり策士でもある。肝心なところはのらりくらりとはぐらかしてくる。しかし、次の質問をした時、彼はこう言った。

――町民はみんな100バーツもらったと言っています。名簿も作って当日チェックもしていたと。これについては十分な金額だったとお考えですか?

「例えば……コムローイを上げる雇い代が100バーツだったら、運動場に人がいっぱい集まるよ。ただ、コムローイを上げるだけで100バーツの収入が入ったんだから(笑)。しかし、それはいいことだよね。だって、住民に収入をもたらしたんだから。仮に5,000人集めたいんだったら、僕はまず金額を出す。ここには14の集落がある。まずは各集落に何人出せるかきいて、それで金額を決めるんだ。それが私の仕事だ」

――それだけの人々を集める力があるんですね。当時は大変でしたか?

「それほど時間はかからなかった。当然の話だが、人を集めるんだから、参加する人たちに時間を費やす費用を渡さなければならない。私が最重要に考えるのは“集落の人に収入をもたらすこと”だけだよ。そして現在(コムローイを作る)事業をやっている人に話を持っていって繋ぐことかな」

――しかし、なぜ、日本のテレビはこの場所を選んだのでしょう?

「私も知らない」

――もともと知り合いがいたとかなんですか?

「いや、知らない」

善意の人たちを利用したテレビ局

――日本でも放送されたんですよ、これ……(『24時間テレビ』のプリントアウトを見せる)

「この横断幕は僕の家にあるよ。昨日見なかった?(笑)」

――見ました、見ました(笑)。写真撮りましたよ!

一同(笑)。

「あのままにしてあるんだ(笑)」

――例えばまた日本のテレビ局がやってきて、コムローイを上げたいと言ってきたらどうします?

「大丈夫。できるよ。この町では、前の2回で集落の人たちに収入をもたらしただろ? それにはコムローイを作る手順がある。撮影をする段取りがある。参加者には収入がある。例えば、10万個のコムローイを上げるとしたら、14の集落で会議を持って、それぞれの集落では何個上げられるか、それを考えてからコムローイを1個あたりいくらかの答えが出るんだ。つまり、どれくらいの人が欲しいか、ケースバイケースだな。その人数の目標数次第だ」

インタビューが終わり、外へ出ると、心配していたのだろうか元副町長の家族が待っていた。彼はそれに気づくと、

「おうい、日本人だぞ、珍しいだろ。さあ、一緒に写真を撮ろう!」

と言って家族を招き寄せた。その中には彼の奥さんもいて、彼女は「昨日も会いましたよね」と私たちに言った。まさか、重要なキーマンの奥様とはつゆ知らず、我々は不躾に質問攻めしてしまっていたようだ。

その側に停めてあった元副町長の車はスズキの軽トラで、車体には日本語が書かれていた。私たちがなぜ日本語なんですか? と聞くと元副町長は「なんて書いてるの?」と聞いてきた。そこで教えてあげると、なぜか彼ら家族は盛り上がり、私たちも共にとても楽しい時間を過ごしたのだった。彼らが日本に対して良い印象を抱いていることが分かった。

名誉のために書いておくが、彼らには何の落ち度もない。いきなりやって来た日本のテレビ局の無理難題に見事に応えてくれたのだから、非難するところなど何一つ無い。それどころか、4,000人もの人を集めるのだから、無償でなんて無理に決まっている。せめて交通費程度は出してくださいよ? というのは真っ当な意見だと思うし、我々もそこに何の疑問もなかった。

問題があるのは全て日本テレビ側である。

彼らはタイの人々が「東日本大震災での被災者のためにコムローイを上げた」という妄想を映像にしようとして現地を荒らしたのだ。実際、町人は誰もが「津波での死者のために」なんてことは知らなかったし、メインとなって動いた元副町長からもそのような話は一切出てこなかった。

日本テレビは妄想をドキュメンタリーとして放送しただけではなく、震災被災者とタイ国民を愚弄したのである。

そして、『24間テレビ』がこの町で妄想のコムローイ映像を撮った前年、実は日本テレビのバラエティ番組『イッテQ』がまさにこの同じ場所で「カレンダープロジェクト2011年8月編 ~灯篭流しコムローイ~」(2010年8月15日OA)という企画を収録していたという事実を、写真などの証拠とともに次回お伝えしたいと思う。(取材・文◎編集部)

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