髙田延彦が語る「大みそかは格闘技」の所以と、「ブームを超える」RIZIN新時代の仕掛け

今年も年の瀬の風物詩、格闘技の季節がやってくる。いつの頃からか日本人の大みそかの過ごし方の定番の一つになった「格闘技を見て過ごす」習慣は、どう生まれたのか? 2000年代に始まったこの新たな“文化”は、少しの停滞期を経たものの再びお茶の間に定着しようとしている。今年もRIZIN FIGHTING FEDERATION が、12月31日の大みそかに「RIZIN.20」の興行を予定している。「PRIDE」時代から大みそか興行を牽引し、「RIZIN」でも団体の顔としてスポークスマンを務める髙田延彦氏に総合格闘技の歴史、そして未来について聞いた。

(インタビュー・構成=大塚一樹[REAL SPORTS編集部]、撮影=大木雄介)

「大みそかに家族そろって格闘技」は日本の新しい文化

――今年も12月31日、RIZIN.20が全国放送されるわけですが、大みそかに格闘技をお茶の間で見る、家族そろって見るというのは日本独特の文化だと思います。髙田さんなりに、日本人の格闘技熱、大みそかに格闘技を見るという文化についてはどう考えてらっしゃいますか?

髙田:一つはテレビ局の思惑というのもあるでしょうね。各種格闘技団体が「大みそか興行」を打つようになって、2000年代初めにはそれが高視聴率を稼ぎ出した。それが定着していったのにはいろいろな要因があると思いますけど、やっぱり「PRIDE」が、ぶち抜きで5、6時間中継していた。そのイメージがすごく強いんじゃないですかね。それがずっと続いてきたっていう。

――歴史をひもとくと、2000年に、アントニオ猪木さんが主宰した「INOKI BOM-BA-YE」が年明けに録画放送され、翌年から大みそかに放送されるようになった。2003年には「PRIDE」が参戦し、ここにK-1の「Dynamite!!」が加わって、三大格闘技祭りと呼ばれるようになりました。

髙田:一番多い時で3局ですかね? まぁ、でも一番の象徴と言えばメインに曙対ボブ・サップというカードを持ってきた「K-1プレミアム2003人類史上最強王決定戦Dynamaite!!」ですよね。お茶の間にも親しみがあるようなメジャーファイターのマッチメークで、紅白歌合戦を食った。あそこから「日本の大みそかは格闘技」という空気が生まれたと思いますし、「大みそかは格闘技」のイメージはやっぱりあの時代からですよね。

――髙田さんもプロレス時代も含めて、世界中いろんなところで格闘技を見てきたと思うのですが、例えばタイのムエタイとか、メキシコのプロレス、アメリカの総合格闘技とか、世界にも国民的人気の格闘技はたくさんありますよね。日本のように家族みんなで格闘技を見るような雰囲気は、他の国にもあったりするものなんですか?

髙田:ありますよ。格闘技が国民的な人気になっている国は結構あります。でも、大みそかに家族そろってお茶の間でとなると日本独特かもしれないですね。大みそかからお正月にかけては、初詣に行くこと以外は家でのんびりテレビというのが日本のトラディショナルな過ごし方じゃないですか。そのメインプログラムに紅白があったり、バラエティー番組があったりする中で、格闘技が入ってきた。格闘技も、今年話題になったラグビーなんかもそうなんだけど、コンタクトのあるスポーツは、ぶつかり合いの激しさとか、骨のきしむ音が聞こえてくるような、肉が砕けるような音が響いてくる迫力は有無を言わさない説得力がありますよね。それだけ画面に、映像に力がある。ルールを知ってる、知らないかとかじゃなくて、すべてを超越したところに老若男女が、引き寄せられるものはあります。

特に日本人は大相撲を昔から見ているし、ボクシングなんかも当たり前にテレビで観て育ってきていますからね。大みそかに家族で見る番組の選択肢に格闘技が入ってきて、徐々に徐々に、回を重ねるごとに「これ、面白いじゃないか」と認知されてきた。

――視聴率も取って、総合格闘技自体の認知度も上がる結果につながりました。

髙田:そう。イベント自体は年に1回じゃないわけです。興味を持った人は大みそか以外のイベントにも注目して、そのシリーズを見るようになる。そうするとイベント自体のストーリーやドラマ、選手の個性や物語もだんだんわかってくるわけですよ。大みそかを入り口にして、また1年経つと、いろいろなストーリーを経て、集大成がまた大みそかにやってくる。家族でそばを食べるのか、お酒を酌み交わすかはわかりませんけど、そこで格闘技をみんなで見ようというね。本当に新しい日本の文化だね。

2000年代に巻き起こった空前の格闘技ブーム

――「大みそかは格闘技」というのを印象づけた2000年代初頭、髙田さんはまさにそのまっただ中にいらっしゃったわけですが、いろいろな経験をされていますよね?

髙田:最初は「INOKI BOM-BA-YE」ですかね。大阪ドームでやった(編集部注:2000年開催のMillennium Fighting Arts INOKI BOM-BA-YE/猪木氏と「PRIDE」を運営するドリームステージエンターテインメントが協力して開催された)。なんで「INOKI BOM-BA-YE」なのかなあと思った。今まで「PRIDE」でやってきたから、なぜ大みそかだけ「INOKI BOM-BA-YE」なんだと、ちょっと、疑問に感じたことあったな。

――ノリノリという感じではなかった?

髙田:うん。まあちょっとこう、プリプリしながら大阪まで行って武藤(敬司)と組んで、ドン・フライ、ケン・シャムロックとやりましたね。「PRIDE」と猪木さんが組んだからこそできたこともあったと思いますけど、これは俺の中では中途半端に終わった。「一体何がやりてえの?」って。だったらもう完全に「PRIDE」の“祭り”、要は集大成だよね。年間の集大成にした方がはるかにわかりやすい。1年間頑張ってきたMMAのファイターも生きるしね。1年間培ってきたストーリーやドラマも大みそかで一つの集大成を迎えるわけだから、それで「PRIDE男祭り」でという風になっていきましたね。

――たしかに髙田さんは1997年には、すでにヒクソン・グレイシーとやってるわけですからね。当時はプロレスと総合格闘技の違いについても今ほどの認識されていなかったとは思うんですが。

髙田:「プロレスじゃないんだよ」っていうのはなかったね。もう、見りゃわかるから。そこに言葉は必要なかったですね。一発目のヒクソン戦でもう、そのリアリティーを私の惨敗で。全てのメッセージを言葉なしで、あの闘いでみなさんにたたきつけているんでね。何も「これはプロレスじゃない」っていう必要は、まったくないでしょ?

――はい。見ればわかる。

髙田:何より他のファイターたちが、素晴らしい勝負を見せてくれたしね。だから、そこにあえてプロレスという4文字を「じゃないよ」とか、組み込む必要、そういう発想自体がなかったよね。

――「PRIDE」もそうですが、当時は日本人選手以外にも、グレイシー一族も含め、みんなが知ってるようなスター選手がたくさんいました。現在もたくさんの選手が活躍していますが、お茶の間の浸透度、知名度でいうと当時の方が上かなと思うのですが。

髙田:それはそうですね、はい。あの頃はやっぱり、K-1もそうだけど、ヘビーウェイトがメインだったんですよ。だから一般の方からしたら到底ね、もう人間の領域を超えたケタ違いの選手がたくさんいた。われわれから見ても重量級の選手が、まるで中軽量級のようなスピード、動きで、スキルもあるし器用さも含めて。(アントニオ・)ノゲイラにしたって、(エメリヤーエンコ・)ヒョードルにしてもそうですし、ミルコ(・クロコップ)も、ヴァンダレイ・シウバも(クイントン・)“ランペイジ”(・ジャクソン)もそうだよね。もう、名前を挙げたら切りがないけど、超ハイレベルな、そして大きな選手たちが戦うというね。K-1もそうじゃないですか。ジェロム・レ・バンナ、ピーター・アーツ、マイク・ベルナルド、マーク・ハント。マーク・ハントとレイ・セフォーの殴り合いとかもすごかったじゃない。本当にとてつもない、ヘビー級のキャラも強いモンスタークラスが、素人が観てもダイナミズムがビンビン伝わってくる闘いを見せていたっていうことが人気にもつながっていたんだと思いますね。

戦いの舞台を盛り上げる「ストーリー」と「勝負論」

――共同記者会見で、髙田さんが「ラグビー日本代表の活躍は選手の活躍と周囲の環境整備があって初めてなし得たことだ」とおっしゃっていましたが、この頃の総合格闘技も同じですね。見に行きたい何かがあって、行けば必ず面白い。演出もすごかった。

髙田:あそこで多分、思いっ切りはじけたと思うんですよ。非日常的な空間だから。強くてキャラクターがはっきりしている。オリジナリティーがあって、で、試合も面白い。あとは演出ですよね。佐藤大輔(編集部注:PRIDEなどの選手紹介映像を手がけた映像作家)たちが作った映像もね。試合の前にあれを見るだけで、赤コーナー、青コーナーの選手の人となりがわかる。初めて連れてこられたお客さんも、どっちかに感情移入できちゃうっていうあのリアルマジックも、大きく貢献したと思います。

――そこにストーリーが出てくるわけですね。

髙田:ストーリーと勝負論。そこに至る経緯やそれぞれの物語が情報として語られて、感情移入できている。だからこそみんなが注目する。ナチュラルストーリーから生まれるドラマと勝負論。

――勝負論というのは単に勝ち負けだけじゃなく?

髙田:今回のRIZIN.20での究極の例を出せば、やっぱり大みそかの朝倉海ですよ。もともとのカードだった堀口恭司(編集部注:RIZIN.20では8月のRIZIN.18の堀口恭司とのリターンマッチが組まれていたが、堀口が負傷により欠場)との勝負論があるから、みんなが震えながら見るわけじゃないですか。8月のRIZIN.18で堀口に勝利して、そのあとワンクッション、あの、(佐々木)憂流迦選手との一戦があるわけですよ。堀口との激闘から1カ月しか経ってないのに、あえて憂流迦との試合を、ノーを言わずに選んだっていう。その試合で憂流迦を食ったことでまた、朝倉海は太ったわけですよ。

これらはすべてナチュラルな出来事なんだけど、そのすべてが当事者の心を揺さぶり、当事者の心に火を付け、不安を覚えさせる。だから本当に、人間の機微じゃないけど、すごく複雑にいろんなことが絡み合ったドラマがあるんですよ。そのすべてをひっくるめて、最後は究極の勝負論になっていく。これが格闘技の一つの面白さなんじゃないかな。この前のラグビーワールドカップもそうだし、オリンピックもそうですけど、そこで何かが決まるとか、その勝ちや負けにどんな意味があるかを発信して、それを理解した上で見るのが、勝負論なんですよ。勝負論があるから見る人が熱くなって、一つの勝利や敗北に涙するわけでしょう?

「出てこいや」も「お前、男だ」も無意識 コピーライターとしての髙田延彦

――発信力、演出の面でも髙田さんは「PRIDE」の統括本部長、「RIZIN」でも引き続きコピーライティングじゃないですけど、すごく特徴的なフレーズを作られています。その辺っていうのは、ご自身で意識されてそのフレーズを考えたりするもんなんですか?

髙田:用意して? サインの練習はしたことあるけど、「出てこいや」の練習したことないなぁ。名言っていうのか“迷”言っていうのかわかりませんが、本当にあれですよ、自然ですね。考えてやるんだったらもうちょっと格好いい言葉を選んでいると思います(笑)。

――「出てこいや」もそうですし。田村潔司選手への「お前、男だ」っていうのも、ナチュラルに体から出た言葉だから後世に残っているというか。

髙田:その時はもう、本当に何も考えてないんだよね。体なのか心なのか脳なのか、その時に感じたことを、記憶なくて、言ってるケースもありますから。田村に「お前、男だ」って言ったのも、覚えてないですから。だからそういうフレーズが、パッと瞬間的に浮かぶんでしょうね。この試合を決めて実現するまでのエピソードが強烈に心の芯に残っているからこそ、会場の空気とか自分のその時の精神状態とか、高揚感とかね。でもまぁ、そろそろみんなも飽きてきたでしょ。だって、本人が飽きてきたんだもん。

――ではそろそろ新たな。

髙田:それは、なかなか出てこないんだよねえ。考えてないから。

――今年のRIZINの話もお聞きしたいなと思います。髙田さんの肩書も「PRIDE」時代から慣れ親しんだ「統括本部長」ではなくなって、変化もあるのかなとは思います。でも、やっぱり「RIZIN」といえば髙田さんでファンは髙田さんからいろいろ聞きたいという思いもあると思います。

髙田:2019年の年明けから、肩書はいらない、もう何もなくていいって言ったの。ウソというか、名前だけの肩書は嫌だから。いろんな人にいろんなこと聞かれてもノンインフォメーションだから。せめて、50%くらい情報が入っていれば答えることもできるんだけど、そうじゃない。だから、僕は「イメージキャラクター」なんですよ。統括本部長、ご意見番なんて名前がついていると、髙田に聞けば答えてくれるという誤解を生んでしまう。ある時点からそれがすごく居心地が悪くなって、もっとフリーな立場にしてほしいと言ったんです。こちらから言ったのにもかかわらず、ネットには相変わらず「髙田は本部長を首になった」とかって書いてあるみたいですけどね。「ふざけんな」って(笑)。

――自分から辞めたんだぞと。

髙田:そういうことです。まぁ、わざわざ本人が説明するのもおかしな話だよね。

新たなスター選手は“新たな勝負論”から。オリンピックイヤーに新たな仕掛けも?

――では、イメージキャラクターとして、29日のBELLATOR JAPAN、31日のRIZIN.20については、どんなことを期待していますか?

髙田:マッチメークに関しては、決まったものに関してはもう全面的に信頼してるし、異論はないですよ。大みそかのRIZIN.20に関して言えば、日本人選手のいないライト級トーナメントもイベントの大きな柱の一つだと声をMAXにして言いたいですね。

――ジョニー・ケース、トフィック・ムサエフ、ルイス・グスタボ、パトリッキー・“ピットブル”・フレイレの4選手で行われるライト級のトーナメントですね。なぜこの試合が大切なのでしょう?

髙田:この4人の試合をちゃんと頑張ってフジテレビさんと交渉して、オンエアに乗せていかないと外国人が育たないよってことなんです。いつまでも、5年前と同じ人に頼ってたらダメでしょう。この4人がしょっぱいファイターなら別ですよ。でも、この前の1回戦を見たでしょと。みんながみんな、前へ出てつぶし合う。怖いくらいの試合をしたわけですよ。MMAの醍醐味を見せてくれるファイターなんです。

――先ほどお話に出た朝倉海選手も兄の未来選手、那須川天心選手ら日本人のスター選手もいます。その中でも、ライト級のトーナメントを大切にしていこうと。

髙田:2000年代の盛り上がりじゃないけど、ヴァンダレイ・シウバだって最初は誰も知らなかった。ヒョードル? ノゲイラ? 誰も知らなかったですよ。天心だって数年前までは誰も知らなかった。RENAも誰も知らなかった。最初は誰も知らないわけですよ。だけどテレビで中継される試合で、みんなが注目している中でいい試合をすれば知名度が上がって、体にペタペタ、スポンサーを貼ってもらえるようになって、ギャラだって上がる。結果を残せたのは自分の努力ですけど、どうやって周りが環境を整えてあげるかというのも大切なんです。日本人だから、外国人だからじゃなくて、いいファイターがいるんだから、いい舞台で見たい。ライト級のセミファイナルはケガが怖いけど、セミファイナル、ファイナルで計3試合はあるわけです。この3試合でどんな勝負論が展開されるのかは、絶対に面白い。

――最後に今後の「RIZIN」、さらに日本の格闘技界全体については、これからどうなる、どうなっていったらいいなっていうのはありますか?

髙田:「RIZIN」はこのまま、この状態で、例え緩やかでも右肩上がりで大きくなっていく、力を付けていくことが大切ですよね。経済的にももっと大きくなっていってほしいし、選手の層もさらに厚くなっていってほしい。で、ポイントになってくるのは、オリンピックアスリートの参加じゃないかと思っているんですよね。これは非常に大事なことだと思うね。来年あたりに来てもおかしくないんじゃないかなあと思いますよ。オリンピックイヤーにメダルを首から掛けて、出て来てくれる選手がいてほしいよね。

――それは具体的な名前とか挙がっているんですか?

髙田:それはいないわけないでしょう(笑)。でも、東京オリンピックに限らずオリンピックアスリートが参戦となれば、大きな起爆剤になるのは間違いないよね。バルセロナオリンピックの金メダリスト、吉田秀彦さんが出場した後にオリンピアンの参戦が続いたように、誰かがアクションを起こしてくれると踏み出しやすくなるよね。そのためにもステージの、クオリティーを上げなきゃダメですよ。「RIZIN」が今以上に、他の競技のアスリートが憧れるような存在にならないと。オリンピックのメダリストがセカンドステージとして選ぶようなね。そのためには、絶頂時の「PRIDE」のまねじゃなくて、あれ以上のものをこれから作っていく努力をしていかなければいけないなと思ってます。

<了>

PROFILE
髙田延彦(たかだ・のぶひこ)
1962年生まれ、神奈川県出身。1980年に新日本プロレスに入団、プロレスラーとしての道を歩み始める。UWFインターナショナルなどを経て、「PRIDE」に参戦。日本における総合格闘技のパイオニアとしてブームの一翼を担った。2002年に現役を退いた後は、PRIDE統括本部長として格闘界を支えた。2019年1月までRIZIN統括本部長、現在も「RIZINのイメージキャラクター」として、試合の解説などを担当。タレントとして活躍する一方、髙田道場代表として子どもから大人まで分け隔てなく身体を動かす場として道場を開放している。また、06年からDKC(ダイヤモンド・キッズ・カレッジ)を主宰して、幼稚園児、小学生に“身体を動かすことの楽しさ”を教えるために、マット運動を中心にアマチュアレスリングの要素を取り入れた体育教室を、全国各地で展開している。

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