さかい風土記104『奥の細道』から330年

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■松尾芭蕉とその弟子は坂井市域を通ったか
松尾芭蕉(まつおばしょう)といえば江戸時代の俳人で、東北・北陸地方を巡った旅日記『おくのほそ道』(『奥細道(おくのほそみち)』)が有名です。今年は、芭蕉がその旅路に向かった年からちょうど330年で、元禄2年(1689)3月、弟子の河合曾良(かわいそら)を伴なって江戸を出発した芭蕉は、およそ150日間、東北・北陸の名所旧跡を巡りながら句を詠みました。

隣の石川県では、芭蕉が那谷寺(なたでら)を訪れたり山中温泉に泊まったりしたことがよく知られていますが、はたして芭蕉はこの坂井市域を通ったのでしょうか。『奥の細道』によると、芭蕉は加賀から越前の吉崎に入りました。その後、原文には「丸岡天竜寺の長老古き因あれば尋ぬ」とあり、「丸岡」の天竜寺を訪ねたとありますが、残念ながらこれは「松岡」を誤って書いたようです。

なお芭蕉に同行した河合曾良の日記『曾良旅日記』には、曾良が芭蕉と別れ越前に入った後、北潟から金津に至り、また「申ノ下刻、森岡ニ着、六良兵衛ト云者ニ宿ス」と書かれています。この「森岡」という地名は、前後の記述から「丸岡」か「森田」を誤って書いたと考えられ、曾良は丸岡で一泊したのかもしれません。

二人の旅日記には、市内の風景や名所が直接的な記事として出てきませんが、北陸街道が南北を貫く、現在の坂井市域を間違いなく通っていたと思われます。

なお芭蕉の旅から約90年後、丸岡藩に儒学者として仕えていた蓑笠庵梨一(さりゅうあんりいち)(高橋梨一)は、芭蕉の『奥の細道』の注釈書である『奥細道菅菰抄(おくのほそみちすがごもしょう)』を書きました。これは『奥の細道』の注釈書として最も古く、後の研究の基礎となるものです。梨一は他にも『大和めぐり』など芭蕉関連の俳書や紀行文を残し、芭蕉風の俳句の復興に努めました。芭蕉たちが通ったこの坂井市域は、後に芭蕉研究の出発の地となったのです。