「サッカーコラム」J1神戸、GK飯倉が導いた初の天皇杯決勝 その特徴は、最悪を予測する力

神戸―清水 前半、清水・ドウグラスのシュートを阻む神戸のGK飯倉=ノエスタ

 国内サッカーの今季を締めくくる天皇杯の準決勝が12月21日に行われた。決勝は2020年の元日開催なので、男子選手にとっては19年最後の公式戦となる2試合の結果は次の通りとなった。J1神戸がJ1清水を3―1で破り、初の決勝進出を果たした。もう一試合は、J1鹿島がJ2長崎に3―2で競り勝った。両試合ともに積極的にゴールを狙いに行く、令和元年を振り返る際の手掛かりに成り得る面白い試合だった。

 中でも、印象に残ったのは神戸の試合だ。スコア上は2点差だが、それはあくまでも結果だけを見た場合。内容から試合を見直すと、清水の勝利に終わっていたとしても疑問を挟む人はまずいないだろう。

 「毎試合、1点を決める」。そんなストライカーは―メッシやロナウドという例外はいるものの―世界中を見渡してもなかなかいない。しかし、「毎試合、1点を防ぐ」。そんなGKは少なからず存在する。これは持論だが、1点の持つ価値が同等であると理解できているのなら、手持ちの資金は優秀なGKにつぎ込んだ方がいい。なぜなら、ストライカーが活躍できるか否かはチーム戦術に影響されるところが大きい。何より、多額な資金が必要となるからだ。

 高額な外国籍のフィールドプレーヤーに押し出される形で出場機会を失う形となった正GKの金承奎。神戸が韓国代表のGKを韓国の蔚山現代に放出するというニュースを目にしたときには、「分かってないな」と思ったものだ。しかし、横浜Mから飯倉大樹を獲得すると、チームは安定感を増した。どんなに攻撃的なチームでも、守備に不安を抱えていれば好成績を残すのはかなり難しい。サッカーの「常識」から見ても、シーズン途中ながらとてもいい補強となった。

 チーム史上初めてとなる天皇杯決勝進出を決めた清水戦でも、この「ゴール前の門番」が存在感を発揮した。得点を挙げたイニエスタと田中順也、古橋亨梧の3人は、もちろん素晴らしい。だが、勝利という結果を得る上での貢献度では、ビッグセーブで2点を防いでみせた飯倉がピカイチだった。

 最初のピンチは自チームのミスから始まった。前半30分、飯倉の縦パスを受けたサンペールが不用意なプレーをしでかす。清水のMF竹内涼のプレスを受けると、簡単に失いボールは清水FWドウグラスの元へ。GKからすれば1対1の「絶望的」状態だ。それでも、飯倉は左腕にボールを当てて防いだ。

 後半24分に訪れた2度目のピンチの起点も、同じサンペールによる不用意なパスミスからだった。バックパスが短くなったところをドウグラスに奪われ、再び1対1に追い込まれた。ところが、飯倉はこのシュートも左手でたたき落としてみせた。

 二つの場面に共通していることがある。それは、常に最悪の事態が起こることを前提にプレーを組み立てる飯倉の守り方だ。サンペールは、イニエスタもその才能を認める優秀な選手だ。よもや、あの場面でボールを失うとは普通は思わないだろう。飯倉は違う。ミスがあり得ることを織り込んで、次のプレーを考えているのだ。だから、ドウグラスと1対1になった瞬間に迷うことなく前に飛び出すことができた。しかも、安易に倒れ込むようなこともせず、自身の体をシューターに正対させることでボールの当たる面積をより大きくしてみせた。この絶妙な間合いの詰め方によってシュートコースを狭めたことが、絶望的ピンチを無失点で切り抜ける結果につながった。

 ピンチの後にチャンスあり―。良く耳にする言葉は本当だった。神戸の2点目と3点目は、飯倉による好セーブの直後に生まれた。そう。あの好守がなければ、新しい国立競技場の「こけら落とし」となる記念すべき一戦に立つチームは神戸でなかった可能性がある。それゆえ、このゲームの流れを作ったのは間違いなく飯倉だった。

 今季のJ1では、多くのチームでGKに韓国籍の選手がレギュラー格となっていた。金に加えて日本で生まれ育った横浜Mの朴一圭も韓国籍なので18チームで計9人が所属したことになる。さらにポーランド籍が2人。180センチの朴を除く、彼らの共通しているのは190センチ近くの長身ということだ。日本人にはこのサイズで運動能力に優れた選手は限られる。結果、日本人のGKのプレー機会が少なくなった。

 だが、朴や181センチの飯倉を起用した横浜Mのプレースタイルならば、サイズにこだわる必要はなくなる。もちろん、長身であることに越したことはない。とはいえ、横浜Mのようにラインを高く保つ戦術を採用するチームでは日本人でも適合する選手は多い。そう考えてみると、日本人に合ったGK像というものを一度見直しても無駄ではないだろう。日本代表のGKの底上げは、日本人GKがJリーグで経験を積むことのみで可能なのだ。

 来年は東京五輪イヤー。サッカーに限らず、様々な競技で「記憶の手掛かり」を刻める1年になるだろう。その全てが、笑顔になれるものであればいいのだが。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で7大会目。

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