東京都市大学(旧武蔵工業大学)の浸水被害と復旧

地域貢献と教育・研究に活かす取り組みへの展開

2019年10月12日、首都圏を直撃した台風19号は、関東、東北南部を中心に記録的な大雨による河川の氾濫など、各地に甚大な被害をもたらした。多摩川に近い東京都市大学世田谷キャンパスは、多摩川の溢水、越水※による被害は免れたものの、付近を流れる2本の支川等による内水氾濫によって大きな浸水被害に見舞われた。その様子を紹介するとともに、わずか2週間で授業再開に至った復旧活動と、周辺地域の被災状況調査の活動など、被災の経験を教育・研究に活かして新たな地域貢献を目指す取り組みについてレポートした。

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2019年10月12日土曜日、観測史上最強クラスの台風19号が首都圏に上陸した。首都圏の鉄道各社はその前日から計画運休を発表しており、これにあわせて関東地方の多くの学校ではあらかじめ休校とすることを決定している。また、この日は多くの大学で入試が予定されていた日でもあり、東京都市大学でも受験生の安全確保を優先して、予定していたAO入試を翌週10月19日に延期することを発表していた。午後7時前に静岡県伊豆半島に上陸した台風19号は、大型のまま勢力を衰えさせることなく首都圏から福島県を縦断した。13日正午には東北沖で温帯低気圧になったが、この間の大量の記録的降雨は、各地に甚大な洪水被害をもたらした。福島県での阿武隈川の氾濫は特に甚大であったが、首都圏各所にも爪痕を残しており、東京の大河川である多摩川の周辺でも想定外の被害を被った地域がある。そのひとつが東京都市大学世田谷キャンパスのある世田谷区玉堤地区であった。世田谷区は南西の川崎市との区境に多摩川が流れており、都市と自然が融合した美しい景観を持つ。東京都市大学世田谷キャンパスは、かつて多摩川が削った平地に立地し、閑静な住宅が並ぶ世田谷区を象徴するエリアに位置する。一方で、行政が発行するハザードマップでは、多摩川の堤防が決壊した場合には3m程度の浸水が予想されている地域でもある。ただし、首都圏を流れ、都市機能としても重要な生活インフラとなっている多摩川は十分な川幅と堤防が整備されており、壊滅的な災害は想定しにくい。今回においても、上流で記録的な大量降雨があったものの、二子玉川付近の堤防未整備エリアで一時的な越水氾濫はあったが、堤防決壊のような甚大な事態には至っていない。にもかかわらず、12日夕刻から、キャンパスのある玉堤地区では異変が起き始めた。広大なキャンパスのほぼ中央を横切る公道が冠水し、その水位がみるみる上がっていったのだ。午後8時くらいには推定約80㎝の高さに到達した。付近を流れる二本の支川である谷沢川と丸子川を中心とする水が、増水した多摩川に合流できなくなってあふれ出た結果、この地区の中でも低位にあるキャンパスの公道付近へ集まったと考えられる。内水氾濫という現象で、総量で50万トンとも推定される水が、玉堤、田園調布4・5丁目を覆い、そのうちの約3万トンがキャンパス内に流れ込んだ。複数の建物で1階の床上まで浸水するとともに、地下階を持つ棟は水を受け溜めるスペースとなり、図書館の地下階書庫やラーニングコモンズ、教室棟の地下階教室やEnglish ラウンジ、事務局フロア、研究棟の施設設備などがダメージを受けた。吹奏楽団の地下階倉庫の管楽器・打楽器の被害も数百万円に及んだ。同キャンパスの区域は、1970年に風致地区に指定され、自然や景観美を維持保存するための条例で、建築物の高さは15m以下とする制限がある。この基準を満たしながら教育・研究の空間を確保するために多くの棟が地下階を持っていたのだが、キャンパスのこれら地下階が受け溜めた水量は、近隣の被害拡大を緩和したとも言われる。図書館(地上4階・地下1階建/29万冊所蔵)の地下階では、採光・防湿・通風を目的としたドライエリアが主な浸水経路となった。近年の学びの変化に対応した新しいコンセプトを持つ同大の図書館は、個人スペースとともにグループ学習のスペースが拡充されている。そのため、貸出しや閲覧頻度の低い書籍を地下に保管するようにしていたが、高さ5mの天井まで満水状態となった水圧は収蔵庫のガラスを破って、約8万3000冊が水中に没した。また、地下階に受電設備や機械設備を設置していた棟では、浸水のない上層階を含めた建物全体の機能停止をもたらし、キャンパスの停電は1 週間以上続いた。河川敷のグラウンドも冠水し、近隣の国際学生寮も浸水被害を受けた。

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10月12日は、台風が通り過ぎるのを待つための休校日であったが、キャンパス内では少人数のスタッフにより応急措置が進められた。事前に講じていた浸水対策の土嚢をさらに増やすなどして対応に当たったが、増水の勢いには追い付かず、復旧作業は結局、翌朝を待つことになった。同大を運営する学校法人五島育英会は、東急グループ創業者の五島慶太翁の名に由来するもので、東京都市大学は東急グループの一員でもある。武蔵工業大学から名称変更したのは2009年で、同一学校法人内にあった東横学園女子短期大学を統合したことに起因する。いまでは保育系の学科も擁した大学であるが、現在でも理工系が屋台骨になっている。同大と東急グループ各社は、教育・研究面でも普段から協力関係にあるが、翌日には東急建設による手配でポンプ車が3台駆けつけ、一斉に排水を開始した。復旧作業のためのクレーン車や停電時のための自家発電機、仮設照明器具もいち早く届けられた。こうした初動対応の速さは企業グループという特性ならではとも言えるだろう。また、被害の状況から判断して、当面の休校と、安全面からの立入禁止を決定するが、同大の等々力キャンパスと横浜キャンパスでは通常どおりの授業を行うこととし、これらはホームページ等を通じて学生に周知された。13日日曜日は初期対応とともに復旧計画の組み立てを行い、祝日だった14日月曜日には教職員総出の復旧作業が始まった。ポンプ車では対応できない床下に残る水は、床板をはずし手作業で吸い取る。近年のオフィスや教室はOAフロアになっているのが一般的であるが、底上げされた床下に溜まった水を抜くのは人海戦術でないと難しい作業でもある。教職員は何日もこの作業にあたり、水が完全に引いた後も什器備品の洗浄、消毒などが続いた。並行して学ぶ機会の確保も検討が進んだ。通常授業の行われている他キャンパスの活用もさることながら、近隣の大学からの申し出や、協定を結んでいる世田谷区内の6大学間連携により、通学圏内で複数の図書館利用が可能になった。給水車や発電機などを貸し出してくれた企業もあり、こうした学外からの支援も大きな力となり、約2週間後の28日には、世田谷キャンパスでの授業が再開されるに至る。授業再開の直前の頃には危険な作業もなくなってきたことから学生団体である体育会からのボランティア参加希望を受け入れ、自らの大学の復旧に加勢したいという若いパワーも大きな応援になった。この間、10月19日には延期したAO入試を、被害のなかった棟で予定通り実施したが、同日に予定していた創立90周年記念式典は中止としている。また、17日には、キャンパスや周辺地区の浸水災害に立ち向かうべく、三木千壽学長の命を受けた都市工学科を中心とする教員と学生が動き出した。「都市研究を全学の共通テーマに掲げる大学である以上、地域との連携・貢献も含めてわれわれが対応する必要がある」と考えた大学と都市工学科は、まず「浸水の形跡、記憶が消える前に」と被害調査と情報収集をスタートさせる。19日のテレビのニュース番組で取材を受けた女子学生は、「大学周辺の聞き取りをした。中には浸水が1m以上のところもあった」とヘルメット姿で緊張の面持ちで答えた。男子学生の一人は「こんな災害が身近に起こるとは想像もしていなかった。今後、これを機に対策を練りたい」と気を引き締めた。同学科主任教授の末政直晃教授は、「今回起きた大学の被害は残念なことだが、温暖化を考えると、これは決して最後ではなく、〈始まり〉なのかもしれない。大学を含め、あたり一帯の防災について対策を練ることは急務。そのためのデータ収集に、学生を巻き込んで学科全体で取り組みたい」と答えた。

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あれから2か月が経った現在、図書館地下等の復旧活動はまだ続いているものの、大学にはいつものキャンパスライフが戻ってきている。そして、大学では今回の経験を活かした新たな展開がはじまった。前出の都市工学科においては、末政主任教授以下、全教員で“都市工学”の知見を活かして災害の原因究明、今後の対策について考えることを目的にしたプロジェクトが立案された。≪台風19号による玉堤・田園調布地区の内水氾濫による被害状況を詳細に調査し、収集した客観的な事実からその発生原因を明らかにし、(同地区の氾濫に対する)効果的な対策を実施する上での資料とするとともに、有効な被害低減方法を提案する≫のが目的だ。具体的には、達成すべき内容と実施期間を考慮して、大きく3つのフェーズが設定されている。フェーズ1は、すでに実施した被害調査と情報収集、および次のフェーズへつなげるための導入研究からなる。被害状況調査は12班に分かれ、各班には教員一名がつき、約100名の学生が参加して10月中に実施された。収集した情報の整理は2019年内の完了を目指して進められている。3年次の第3クォーターに置かれた「事例研究」は、卒業研究のための準備も兼ねた科目であるが、各研究室のテーマを今回の災害に切り替えた。2020年1月には、その発表も予定されている。建物分野の被災との関連から、同じ工学部の建築学科の担当分を加えて10テーマの内容が報告される予定だ。フェーズ2・フェーズ3は主に教員の取り組みが中心となる。フェーズ2は、社会的、学術的に重要で、期間が1年以上必要なものとなる。具体的には、玉堤、田園調布4・5丁目の浸水状況のシミュレーションとハード対策の提言や、玉堤、田園調布4・5丁目の浸水に際しての住民の避難行動の調査と提言をまとめる予定だ。フェーズ3は、内水氾濫に関する調査や対策の研究で、期間も数年間を要するものとなる。シミュレーションやモデリングを使った災害予測や、土嚢・ブロック塀などの改良、高品質化の研究など、大学を超えた地域全体の防災対策も視野に入れる。今回の想定外ともいうべき被災は、教職員、学生に大きな試練を与えたが、一方で≪都市研究の都市大≫として、都市が抱える課題の研究を大学全体が取り組むべきテーマに掲げる東京都市大学にとって、それを教育・研究に活かし、地域貢献につなげていくための契機ともなったようだ。災害の原因究明やそれを受けての防災計画では、各レベルの公共団体や市区町村の住民の利害、思惑が入り乱れ複雑化しやすく、大学の中立性に寄せられる期待は少なくない。そして何よりも今回の被災は、豊かな社会の中で、安全・安心が当たり前という環境のなかで育ってきた学生にとって、貴重な「当事者としての体験」となるに違いない。

※リード文他脚注 国交省HPより溢水(いっすい)・越水(えっすい):川などの水があふれ出ること。堤防がないところでは「溢水」、堤防のあるところでは「越水」を使う。浸水・冠水:洪水による氾濫によって住宅や田畑が水につかること。住宅などが水に浸かることを「浸水」、田畑や道路などが水に浸ることを「冠水」という。外水氾濫:河川の堤防から水が溢れ又は破堤して家屋や田畑が浸水すること。内水氾濫:堤防から水が溢れなくても、河川へ排水する川や下水路の排水能力の不足などが原因で、降った雨を排水処理できなくて引き起こされる氾濫。

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