『トリニティ、トリニティ、トリニティ』小林エリカ著 テロ行為としての文学

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 放射能は目に見えないからこそ、恐ろしい。薄暗い首都がこの国全体の不安を象徴するように思えたあの年の春、そう心に刻みつけた人は多かったはずだ。

 小林エリカは『マダム・キュリーと朝食を』や『彼女は鏡の中を覗きこむ』など、放射能をモチーフにした小説を書いてきた作家である。本書もそう。2020年の東京五輪を絡めつつ、「見えざるもの」としての放射能の存在の意味と、真の恐怖を読者に突きつける。作品そのものがテロであるかのように。

 ときは20年夏、東京五輪開会式当日。「私」は妹と、13歳になる娘、そして認知症気味の母と暮らしている。その母がけがをして、病院に運ばれてしまう。

 そのころ、ちまたでは「トリニティ」という名の奇病がはやっていた。兆候は9年前、福島で原発事故が起きた年から見られた。

 この病にかかるのは主に老人で、初期症状は認知症に似ている。放射線量の高い物質に執着し、それを収集したり持ち歩いたりする。まるで放射能に憑かれたようである。彼らは黒光りする石を拾って耳にあて、耳を澄ます。その石は「不幸の石」と呼ばれている。

 少し前の20年春、ちょうど聖火リレーが始まったころ、ひとりの老人が放射能に汚染された1万円札をばらまく事件が起きた。1万円札は計2億3500万円分あり、その額は「ウラン235」にちなんで決められたという。事件直前、老人はフェイスブックにこう書き込んでいた。

 「もしも目に見えざるものを、その怒りや哀しみを、目に見える形で表現することをテロと呼ぶならば、これは、わたくしのテロとなるでしょう。これが、目に見えざるものたちの、逆襲の皮切りとならんことを」

 老人は危ない存在とみなされ、人々の間に見えない壁ができる。社会を覆う空気もまた、不可視であるがゆえに恐ろしい。

 「私」はサイバーセックスサイト「トリニティ」にはまっている。相手の見えないネット空間に救いを求めているのだ。

 やがて「私」は、母も「トリニティ」の病にかかっているのではないかと思い始める。そして開会式当日、母の姿が消える。「私」は必死に後を追う―。

 かつてチェコの「聖ヨアヒムの谷」にあるウラン鉱山で採掘された「ピッチブレンド」(不幸の石)から、マリ・キュリーがラジウムを取り出してノーベル化学賞を受賞した。米ニューメキシコ州の「トリニティ・サイト」での核実験、広島と長崎への原爆投下、第五福竜丸の被曝、チェルノブイリや福島での原発事故…。これらの出来事はすべてつながっている。小林エリカはこうした核の歩みを物語に組み込んでゆく。

 それだけではない。五輪の歴史も背景に置く。世界で初めての聖火リレーは、アドルフ・ヒトラーが先導するナチス・ドイツの五輪だった。ミュンヘン五輪では、パレスチナ武装組織にイスラエル選手団の11人が殺害される事件が起きた。そしていま、東京で何が起きようとしているのか。

 本書を読み、思い出した。20年東京五輪の招致の際、わが国の首相はフクシマの汚染水の状況を「アンダーコントロール」であると世界に向かって宣言してしまったことを。それがスタートだったのだ。

 すぐそばに迫っている東京五輪。「見えざるものたち」の逆襲は、もう始まっているのかもしれない。

(集英社 1700円+税)=田村文