シーボルト事件 発覚過程 記す新史料見つかる 江戸露見説を裏付ける

見つかったシーボルト事件に関する新史料(長崎学研究所提供)

 オランダ商館医シーボルトが国禁の日本地図などの海外持ち出しを図ったシーボルト事件(1828年)に関する古文書が、新たに見つかった。同事件は、禁制品を積んだ船の座礁から発覚したという旧来の見方が約20年前に覆され、江戸で事件が露見したとの説がオランダ商館長の日記から有力とされている。これを裏付ける日本側の初めての史料で、本格的な捜査や審理が長崎で進められていく過程も明らかになった。
 新史料は、呉服商三井越後屋の長崎代理店をしていた中野用助が1828年11月29日、江戸の本店に送った同事件の報告書を本店で書き写したもの。和紙(縦15センチ、横43.5センチ)3枚の両面に長崎での取り調べの様子、押収品一覧などを約1300字で記している。
 同事件を巡っては、同年8月9日の暴風で座礁したオランダ船の積み荷から日本地図などが見つかり発覚したという説が広く知られ、その暴風は「シーボルト台風」とも呼ばれる。一方、1996年、オランダ商館長の日記に基づき、座礁船に荷物は無かったなどとする論文が発表され、確かな日本側史料による事実究明が課題となっていた。
 新史料は、▽シーボルトに日本地図などがひそかに受け渡されたことが江戸で露見し、高速の飛脚便で長崎に通報▽11月9日に書状が届くと長崎奉行所が出島でシーボルトを取り調べ、さまざまな禁制品が見つかった-など、発覚のプロセスや日程を記載。オランダ側の史料とも一致する。
 また「長崎入口図 壱巻」「古銭 七包」「琉球国地図 壱枚」といった押収した品々の一覧なども詳細に記録。三井本店の関心事である同事件によってオランダ貿易が禁止される懸念についても、「紅毛方(こうもうかた)ニハ抱(かかわ)り不申(もうさず)」とその心配がないことを伝えている。
 96年の論文を執筆した梶輝行横浜薬科大教授は「シーボルト事件の発覚については、私が蘭船積み荷発覚説を否定した後で関心が高まり、現在も引き続き注目されている。(新史料は)江戸と長崎の間の情報の流れが理解でき、第1級史料と推察される」と話す。
 新史料は、長崎学研究所(長崎市)が情報提供を受け、11月に県内の古書店を通じ購入。同研究所の藤本健太郎学芸員は「国家に関わる機密情報が書かれ、長崎の商人の情報網が強固なものであったことも分かる。シーボルト関係の研究者に活用してもらいたい」と話している。

シーボルトの肖像画(長崎歴史文化博物館蔵)

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