昔はもっと国会議員を捕まえていた 東京地検特捜部、10年ぶり逮捕の秋元容疑者

By 竹田昌弘

 カジノを含む統合型リゾート施設(IR)事業を巡り、元内閣府副大臣でIR担当だった衆院議員(自民離党)の秋元司容疑者が12月25日、収賄の疑いで東京地検特捜部に逮捕された。東京地検特捜部が現職の国会議員を逮捕したのは、実に2010年1月の石川知裕衆院議員(民主離党)以来、約10年ぶり。それ以前の毎年のように国会議員を逮捕していた時代を知らない人も多くなったと思われるので、この機会に、東京地検特捜部が逮捕、起訴した主な国会議員と事件を振り返る。(共同通信編集委員=竹田昌弘)

■ロッキード事件の田中角栄氏、逮捕1年8カ月前まで首相

 東京地検特捜部は1949年5月、旧軍需物資の隠匿を取り締まる東京地検隠退蔵事件捜査部が改称して誕生した。これまでに逮捕、起訴した中で最も大物の国会議員は、ロッキード事件の田中角栄衆院議員(自民離党、93年死去)だろう。逮捕は、米上院外交委員会でロッキード社が航空機売り込みのため、日本政府高官に多額の献金をしたことが発覚してから5カ月余りたった76年7月27日。田中氏はその約1年8カ月前まで首相だった。

外為法違反の疑いで逮捕され、東京地検から東京拘置所に向かう田中角栄氏(中央)=1976年7月27日、東京・霞が関

 逮捕容疑は、首相在任中の73年~74年、総合商社の丸紅側から、外国企業であるロッキード社のためにする支払いとして、計5億円を受領したという外為法違反。特捜部はこの5億円を賄賂とみて捜査を進めた。76年8月16日の起訴では、田中氏は首相として運輸相を指揮監督する職務権限を持っていた72年8月、丸紅側から全日空にロッキード社の航空機トライスターを購入させるのに尽力してほしいと請託(依頼)を受け、全日空が同機の購入を決定後の73年8月~74年3月、丸紅側から報酬として計5億円の賄賂を受け取った受託収賄の罪が加わった。 

有罪判決の後、厳しい表情で東京地裁を出る佐藤孝行氏=1982年6月8日

 特捜部は田中氏起訴後の76年8月20〜21日、元運輸政務次官の佐藤孝行衆院議員(自民離党、2011年死去)と官房長官、運輸相、自民党幹事長などを歴任した橋本登美三郎衆院議員(離党、1990年死去)も受託収賄の疑いで逮捕。2人は運輸政務次官と運輸相の在任中、全日空側から同社に有利な行政指導をしてほしいなどと請託を受け、報酬として佐藤氏は現金200万円、橋本氏は現金500万円の賄賂を受け取ったとして起訴された。 

有罪判決を受け、東京地裁を出る橋本登美三郎氏=1982年6月8日

 裁判では、田中氏が一、二審で懲役4年、追徴金5億円の実刑判決を受け、上告中に亡くなった。佐藤氏は執行猶予付きの有罪が確定。橋本氏は一、二審で執行猶予付きの有罪とされ、上告中に死去した。

  ロッキード事件後、検察は無罪を主張する田中氏らの裁判に精鋭の検事を多く配置した。一方、田中氏の影響力は衰えることなく、検事に対する一般的な指揮監督権と検事総長に対する個別事件の指揮権などを持つ法相には、自民党田中派や田中氏に近い人を就任させ、にらみを利かせた。石川氏逮捕後の10年のように国会議員の立件が途絶えた。

 ■撚糸工連事件、リクルート事件と在宅起訴続く

撚糸工連汚職事件で在宅起訴され、大内啓伍民社党書記長(左)と共に記者会見する横手文雄氏=1986年5月1日、国会内
「元号法制化実現国民会議」の決議文提出に立ち会う稲村左近四郎氏。左は福田赳夫首相=1978年10月3日、国会内
官房長官当時の藤波孝生氏=1983年12月26日、首相官邸
リクルート事件に関与した政治責任を取って辞職願を衆院議長に提出、厳しい表情で記者会見する池田克也氏=1989年5月16日、国会内
共和汚職の公判に向かう阿部文男氏=1993年12月8日、東京地裁
検察捜査への不満からペンキが投げつけられた検察合同庁舎の石の表札=1992年9月28日、東京・霞が関

 東京地検特捜部が次に国会議員を立件したのは、田中氏の逮捕から約10年たった86年5月。織物用に糸をねじり合わせる業者の全国組織「日本撚糸工業組合連合会(撚糸工連)」の元理事長から、業界に有利な国会質問を依頼され、現金200万円の賄賂を受け取ったとして、横手文雄衆院議員(民社離党)が受託収賄の罪に、横手氏の国会質問を仲介するなどして現金500万円の賄賂をもらったとして、稲村左近四郎衆院議員(自民離党、90年死去)は収賄の罪にそれぞれ問われ、ともに有罪が確定した。

 憲法50条で国会議員は逮捕されないと定める国会会期中だったこともあり、2人は逮捕されず、在宅起訴となった。これは次のリクルート事件などでも同じだった。 

 リクルート事件は、就職・住宅情報会社のリクルートが政官財の要人に対し、値上がり確実な関連会社の未公開株を賄賂としてばらまいたとして、東京地検特捜部が88~89年に政界、文部省、労働省、NTTの4ルートで捜査した。

 政界ルートで在宅起訴されたのは、元官房長官の藤波孝生衆院議員(自民離党、2007年死去)と池田克也衆院議員(公明離党、議員辞職)。藤波氏はリクルート側から官庁の青田買いを防止してほしいと請託を受け、未公開株や小切手で計4270万円の賄賂を受け取ったとして、池田氏はリクルート側から公務員の青田買い防止に関する国会質問を依頼され、未公開株と小切手など計700万円の賄賂をもらったとして、ともに受託収賄の罪に問われ、有罪が確定している。

■16年ぶりの逮捕、検察批判高まる 

 東京地検特捜部がロッキード事件以来、約16年ぶりに逮捕した国会議員が元北海道・沖縄開発庁長官の阿部文男衆院議員(自民離党、2006年死去)だった。北海道開発庁長官在任中の1989年8月~90年1月、鉄骨加工会社の共和側から、北海道内で計画されている自動車道や多目的スタジアムに関する情報提供や政府系金融機関の北海道東北開発公庫への融資働き掛けなどを依頼され、報酬として現金8千万円の賄賂を受け取ったとして、92年1月に受託収賄の疑いで逮捕された。特捜部は自宅マンションの改装費名目でもらった1千万円も賄賂として起訴し、阿部氏は懲役3年、追徴金9千万円の実刑が確定した。 

 92年には、東京佐川急便から指定暴力団のフロント企業などへの不正融資事件が端緒となって、東京佐川急便の元社長による政界工作が発覚。元社長から5億円のヤミ献金をもらっていた自民党の金丸信氏(96年死去)は92年8月、党副総裁を辞任した。このヤミ献金を巡り、東京地検特捜部が翌9月、上申書だけで取り調べもせず、金丸氏を政治資金規正法違反の罪で略式起訴したことから、東京地検が入る検察合同庁舎前の「検察庁」と書かれた石の表札に黄色いペンキが投げつけられるなど、激しい批判を浴びた。

 一方、罰金20万円の略式命令が確定した金丸氏は政治活動を再開したものの、自民党内からも責任を取るよう求める声が上がり、同年10月、衆院議員を辞職した。

東京佐川急便の元社長から5億円の政治資金を受け取ったことを認め、記者会見で副総裁辞任を表明する金丸信氏=1992年8月27日、東京・永田町の自民党本部

 ■金丸氏脱税からゼネコン汚職、26年ぶり逮捕許諾請求

金丸信元自民党副総裁の事務所を家宅捜索し、押収した金庫を運び出す東京地検の係官=1993年3月6日、東京・永田町

 検察はこのとき、特捜部OBの幹部を東京に集め、名誉挽回を期した。国税当局の協力を得て、東京地検特捜部は93年3月、金丸氏を所得税法違反(脱税)の疑いで逮捕した。起訴された87~89年の脱税額は、約10億4千万円に上ったものの、金丸氏は一審公判中に亡くなった。 

 金丸氏に対する捜査からあぶり出された、ゼネコン汚職では、仙台市長や宮城県知事らに続き、94年3月、元建設相の中村喜四郎衆院議員(自民離党)が逮捕された。通常国会の会期中だったことから、26年ぶりとなる逮捕許諾請求の手続きを経ての逮捕だった。

  埼玉県内の建設業者団体「埼玉土曜会」の談合事件を巡り、鹿島の前副社長から、公正取引委員会の調査状況や告発の見通しに関する情報を入手した上で、公取委の委員長らに対し、刑事告発すべき場合でも告発を見送るよう働き掛けてほしいと依頼され、その報酬として92年1月に現金1千万円を受け取った、あっせん収賄の疑いだった。中村氏は取り調べで黙秘を貫き、公判では無罪を主張したが、懲役1年6月、追徴金1千万円が確定した。 しかし、中村氏は服役を挟んで衆院議員当選14回。今も現職で、最近は野党の結集を目指して動いている。

あっせん収賄の疑いで逮捕され、東京拘置所へ向かう車に乗り込む中村喜四郎氏=1994年3月11日、東京地検

 ゼネコン汚職は東京地検特捜部の面目躍如かに見えたが、静岡地検浜松支部から特捜部へ応援に来た男性検事が93年10月、参考人として事情聴取した宮城県の元幹部ら2人に対し、胸や腰を蹴ったり、正座させて後頭部を足で押さえ付けたりして、けがを負わせたことが分かり、法務省はこの検事を懲戒免職とした。東京地検は特別公務員暴行陵虐致傷の罪で起訴し、執行猶予付きの有罪判決が確定した。これ以外にも取り調べ中の暴行が2件相次ぎ、特捜部OBの東京地検検事正と次席検事は更迭された。

 ■逮捕許諾請求続く、新井氏と中島氏が自殺

背任の疑いで逮捕され、東京地検から東京拘置所へ向かう山口敏夫氏=1995年12月6日
新井将敬氏
中島洋次郎氏

 中村氏に続き、95年12月に逮捕許諾請求された元労相の山口敏夫衆院議員(新進離党)は、実姉らと共謀し、破綻した二つの信用組合から実姉経営のゴルフ場会社に計約27億円を不正融資させた背任の疑いで逮捕された。起訴では、米国で進めたワシントン国際大学計画は資金難で頓挫していたのに、熊本工業大に「建設に取り掛かるところ」などとうそを言い、大学運営の預託金名目で1億6900万円をだまし取った詐欺や議院証言法違反(偽証)などの罪も加わり、懲役3年6月の実刑が最高裁で確定した。 

 東京地検特捜部は98年2月17日、日興証券に株取引の利益提供を要求したとして、新井将敬衆院議員(自民)に出頭を求め、証券取引法違反の疑いで取り調べた。翌18日には、衆院への逮捕許諾請求の手続きに入ったが、19日昼すぎ、東京都内のホテルで首をつり、亡くなっている新井氏が見つかった。50歳だった。衆院議院運営委員会は逮捕許諾請求の取り消しを確認した。

  同年10月~12月に3回逮捕されたのは、中島洋次郎衆院議員(自民離党)。防衛政務次官当時、富士重工業側らから海上自衛隊の救難飛行艇開発で有利な取り計らいを依頼され、現金500万円の賄賂を受け取った受託収賄のほか、自民党本部から群馬県第3選挙区支部に交付された96年と97年の政党交付金各1千万円の一部を自分の口座などに移し替えたのを隠すため、計約1257万円の虚偽支出を記載した報告書を県選管に提出した政党助成法違反など、五つの罪で起訴された。中島氏は一、二審で実刑判決を受け、上告中の2001年1月、東京都内の自宅で首つり自殺した。41歳だった。中島氏の祖父は、富士重工業の前身の中島飛行機を一代で築き上げた中島知久平氏。 

車いすで初公判に向かう中尾栄一氏=2000年12月11日、東京地裁
判決公判に向かう山本譲司氏(中央)=2001年2月28日、東京地裁
判決公判のため東京地裁に入る小山孝雄氏=2002年9月6日

■元建設相や「参院のドン」、獄中記出した山本氏も

 建設相の在任中に若築建設側から建設省発注工事の指名業者に入れてほしいと請託を受け、現金などで計3千万円の賄賂を受け取ったとして、特捜部が衆院選で落選直後の中尾栄一氏(自民、18年死去)を受託収賄の疑いで逮捕したのは、2000年6月。同年9月には、政策秘書の登録をしていた女性を雇ったように装い、国から給与計約2360万円をだまし取ったとして、山本譲司衆院議員(民主離党)を詐欺の疑いで逮捕した。

 中尾氏は懲役1年10月、追徴金6千万円の実刑が確定したが、病気のため刑の執行は停止された。山本氏は懲役1年6月とされ、服役中は、心身に障害のある受刑者の世話係として働いた。その経験を手記「獄窓記」にまとめ、福祉の支援を受けられず罪を繰り返す累犯障害者の存在を世に問い掛けた。

 財団法人「ケーエスデー中小企業経営者福祉事業団」(KSD)元理事長の業務上横領や背任から始まった事件は、政界工作の捜査に発展。KSD側から外国人技能実習生などに関する国会質問を依頼され、現金2千万円の賄賂をもらったとして、小山孝雄参院議員(自民離党、議員辞職)が受託収賄の疑いで、01年1月に逮捕された。起訴では、KSDが肩代わりした秘書給与約1160万円も賄賂とされた。 

 小山氏は「参院のドン」と呼ばれた自民党参院議員会長、村上正邦氏の元秘書。村上氏は参院議員会長を辞任し、参院議員も辞職後の01年3月、KSDから「ものづくり大学」に関する国会代表質問を依頼され、現金など計7288万円の賄賂を受け取ったとして、受託収賄の疑いで逮捕、起訴された。 

 小山氏は懲役1年10月、追徴金約3160万円、村上氏は懲役2年2月、追徴金7288万円のいずれも実刑が確定した。

逮捕の前日、参院予算委員会で証人喚問された村上正邦氏=2001年2月28日

■鈴木宗男氏以降、今回まで17年も汚職の摘発なし

東京地検特捜部の逮捕許諾請求に対し、弁明するため、衆院議院運営委委員会の秘密会に向かう鈴木宗男氏=2002年6月18日
保釈され、報道関係者の質問に答える坂井隆憲氏=2003年12月18日、東京・小菅の東京拘置所前

 新井氏の自殺後、途絶えていた逮捕許諾請求が繰り返されたのは、02年6月の元北海道・沖縄開発庁長官、鈴木宗男衆院議員(自民離党)と03年3月の坂井隆憲衆院議員(自民除名)の事件。許諾を経た国会議員の逮捕は坂井氏で戦後16件15人目という。

 鈴木氏は国有林無断伐採事件の行政処分を巡り、製材会社から林野庁への不正な働き掛けを依頼され、現金500万円の賄賂を受け取った、あっせん収賄の疑いで逮された。それに加え、追起訴された受託収賄、政治資金規正法違反(政治資金収支報告書の虚偽記載)、議院証言法違反(偽証)の罪で、懲役2年、追徴金1100万円の実刑が10年に確定し、衆院議員を失職した。

 服役と公選法に基づく立候補禁止期間を終え、19年7月の参院選比例代表(日本維新の会)で当選、9年ぶりに国政に復帰している。

  坂井氏の逮捕容疑は、約1億2千万円の献金を政治資金収支報告書に記載せず、隠した政治資金規正法違反。坂井氏は新たなヤミ献金が判明し、政治資金収支報告書に記載しなかった献金額は1億6800万円に。公認会計士の男性を政策秘書として勤務しているように装い、国から給与名目で約2400万円をだまし取った詐欺罪も追起訴され、懲役2年8月の実刑が確定した。

  鈴木氏の事件以降、汚職事件での国会議員の摘発はなく、今回の秋元容疑者の事件が17年ぶりとなった。汚職事件に代わって、坂井氏のような政治資金規正法違反事件が相次ぐ。

■田中派の流れくむ平成研、小沢氏に照準

上告棄却の決定を受けて記者会見し「最高裁の良心にいちるの望みを持っていたが打ち砕かれた。検察と裁判所が癒着している」と語る村岡兼造氏=2008年7月15日、東京・霞が関の司法記者クラブ

 東京地検特捜部はロッキード事件の田中氏に続き、金丸氏や田中氏の秘書だった中村氏といった、田中派の流れをくむ政治家を立件してきた。

 04年9月には、日本歯科医師連盟(日歯連)から自民党旧橋本派の政治団体「平成研究会」への献金1億円を政治資金収支報告書に記載しなかったとして、同派の会長代理で元官房長官の村岡兼造衆院議員(19年死去)を政治資金規正法違反の罪で在宅起訴した。無実を訴える村岡氏は一審こそ無罪となったものの、二審で執行猶予付きの有罪とされ、最高裁で確定した。 

 自民党中心から民主党中心への政権交代が近づいていた09年3月、特捜部は民主党代表で政権交代後は首相とみられていた、小沢一郎衆院議員の公設第1秘書を務める男性を逮捕した。田中派の流れをくむ小沢氏に今度は照準を合わせたことは明らかだった。容疑は03~06年、男性が会計責任者を務める小沢氏の資金管理団体「陸山会」に西松建設から2100万円の献金があったのに、政治資金収支報告書には、二つの政治団体からの献金と虚偽を記載した政治資金規正法違反だった。

 秘書の起訴では、民主党岩手県第4区総支部への1400万円の献金元も西松建設なのに、政治資金収支報告書には、二つの政治団体と虚偽を記載したなどの罪も加わった。東京地検の佐久間達哉特捜部長は記者会見し「今回の件は西松建設の不正資金を捜査する中で浮上した。捜査の常道に従って捜査し、たまたまこの時期の立件になった。重大性、悪質性を考えると、衆院選が秋までにあることを考えても、放置することはできないと判断した」と述べた。

 小沢氏は秘書の起訴で民主党代表辞任に追い込まれ、同年8月の衆院選で実現した政権交代では、鳩山由紀夫氏が首相となった。捜査の影響は明白だった。ただ西松建設の事件で、小沢氏は立件されなかったことから、民主党幹事長として政権の中心には居続けた。

■小沢氏が影響力失い、民主党政権は迷走

判決公判のため東京地裁に入る石川知裕氏=2011年9月26日

 年が明けた10年1月、特捜部が政治資金規正法違反(政治資金収支報告書への虚偽記載)の疑いで逮捕した衆院議員の石川氏は小沢氏の元秘書。再び照準を合わせ、小沢氏に迫ろうとした。石川氏は秘書当時、陸山会の土地購入を巡り、04年の政治資金収支報告書の収入欄に、小沢氏からの借入金4億円と関連政治団体からの寄付計1億4500万円を記入せず、支出欄には土地取得費約3億5200万円を記載しなかったとして起訴され、禁錮2年、執行猶予3年の刑が確定した。

  小沢氏は「(石川氏らの)共犯として有罪判決を得るには証拠が足りなかった」(佐久間特捜部長)として、10年2月に嫌疑不十分で不起訴処分となった。検察関係者によると、在宅起訴を強く主張する特捜部を検察首脳がいさめたという。

 ただ小沢氏の幹事長辞任を求める声は党内外で強まり、鳩山首相が同年6月、米軍普天間飛行場の移設問題を巡る社民党の連立政権離脱や「政治とカネ」問題の責任を取って退陣する際、小沢氏に幹事長辞任を求めた。自民党時代に政権与党を長く経験し、選挙に精通する小沢氏の影響力は幹事長辞任で失われ、民主党政権は迷走していく。特捜部による度重なる秘書らの逮捕がなく、小沢氏が中心に居続ければ、政権運営は全く違っていたのではないだろうか。

 また小沢氏は不起訴となったものの、その当否を審査する検察審査会(検審)は、関与が強く疑われるなどとして「起訴相当」「起訴すべき」と2度にわたって議決した。2度目の起訴すべきとの議決があると、強制的に起訴される制度に基づき、小沢氏は政治資金規正法違反の罪で、11年1月に起訴された。

 検審が最初の「起訴相当」議決後、再捜査に当たった特捜部の検事が石川氏から事情聴取し、作成した捜査報告書では、石川氏が虚偽記載への小沢氏の関与を認める供述をした理由について「検事から『うそをつくようなことをしたら、選挙民を裏切ることになる』と言われたことが効いた」と述べたことになっている。

 ところが、石川氏による聴取の「隠し録音」には、こうしたやりとりはなかった。捜査報告書は検審に送付され、2度目の「起訴すべき」という議決の根拠になっていた。特捜部は小沢氏立件をあきらめず、検審に小沢氏を強制起訴させようとしたのではないかという疑惑が浮上したが、石川氏を聴取した検事が退官するなどして、真相は明らかになっていない。小沢氏はその後の裁判で無罪が確定した。それでも失ったものはあまりに大きすぎた。

無罪が確定し、記者会見に臨む小沢一郎氏=2012年11月19日、東京・永田町

■取り調べは初めて全面録画、司法取引も可能

 厚生労働省の局長だった村木厚子さんの無罪が確定した郵便不正事件を巡り、大阪地検特捜部の検事が証拠のフロッピーディスクを改ざんし、特捜部長らがそれを隠蔽(いんぺい)したことが10年9月に発覚。検察トップの大林宏検事総長が引責辞任した。

 国会議員の逮捕が石川氏以降途絶えたことには、大阪地検特捜部によるこの不祥事とその後の検察改革が影響しているとみられる。また安倍政権となり、府省庁の事務次官や局長らの人事を一元管理する内閣人事局が創設され、これまで政治家の介入がほとんどなかった法務・検察の幹部人事にも政権の意向が示されるようになったことも背景にあるのではないか。

 一方、大阪地検特捜部の不祥事を受けて創設された「検察の在り方検討会議」と法制審議会の特別部会で議論された結果、検察の独自捜査事件と裁判員裁判の対象事件(最高刑が死刑や無期懲役の罪など)では、逮捕した容疑者の取り調べは全過程録音・録画する法改正があった。また経済事件などで、容疑者や被告が共犯者らの犯罪の捜査・公判に協力する見返りに、自分の起訴を見送ってもらったり、求刑を軽くしてもらったりする司法取引も導入された。今回の秋元容疑者の事件では、これらが国会議員逮捕の事件で初めて可能となる。秋元容疑者の取り調べでの供述や司法取引の有無、取引される場合の内容に注目している。

統合型リゾート施設(IR)整備推進法案を採決した衆院内閣委員会で委員長を務めた秋元司容疑者=2016年12月2日

(共同通信の配信記事と東京地方検察庁沿革誌第二巻を参照した)

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