長野市中越のアパートで生活を送る畑山潤一郎さん(78)。行政が民間の賃貸住宅を借り上げるいわゆる「みなし仮設」で生活しています。
畑山潤一郎さん:
「まだ落ち着かないのは事実。ここでの生活は1ヵ月だから」
浅川の内水氾濫も重なり、深刻な浸水被害が出た豊野町。
畑山潤一郎さん:
「水が増えてガラス窓の3分の2くらいまで」
畑山さんの自宅は高さ4メートルほどまで水に浸かりました。65年前に父親が建て、15年前から1人で守ってきた家でしたが、取り壊すことを決めました。
畑山潤一郎さん:
「ここからスタートしていますからね。私の人生。ましてや建物もなくなる。住んでいた形跡がなくなる。またさみしくなる」
被災後、畑山さんは、区が開設した自主避難所に身を寄せました。指定避難所と違い、食事や寝具はそれぞれが用意しなければならず当初は、苦労の連続でした。ただ、ほとんどが顔見知りということもあり互いに支えあい、1ヵ月半に及んだ避難所生活を乗り切りました。
(お別れ会)畑山潤一郎さん:
「同じ釜の飯を食べて家族みたいに過ごし、励まし優しい言葉、ありがとうございました」
そして、畑山さんは自宅から7キロほど離れた長野市中越のアパートで再スタートを切りました。
25日、畑山さんの姿は豊野町にありました。近所の大日方欣二さんを訪ねるためです。大日方さんも自主避難所で避難生活を送った1人。畑山さんの一番の相談相手でした。
畑山潤一郎さん:
「困った時はなんでも大日方さんと頭に浮かぶから」
大日方さんも豊野町を離れましたが、この日は片付けを行うため自宅を訪れていて、畑山さんが会いにきたのです。以前に比べ会う機会は減りましたが、互いに今も心の支えになっています。
大日方欣二さん:
「顔を見れば安心する。普通の話しが出来るもんね。また来てね」
畑山潤一郎さん:
「ありがとうございます」
畑山さんが住んでいた地区は、仮設住宅などに移った人が多く災害前のおよそ3割しか残っていません。
畑山潤一郎さん:
「(住民が)表に見えない。どうしてるんかなと。なんと言えないさみしさ」
自宅を離れ初めて迎える年の瀬。畑山さんは、さみしさを感じながらも「来年こそいい年にしなければ」と自らに誓っています。
畑山潤一郎さん:
「みんなに親切にしてもらって、良かった、ありがたかったという気持ちを持って、来年は、いい年に自分からしないといけない。いいことを見つけて楽しみますよ」