大晦日の家族麻雀とサザンオールスターズ年越しライブ「いっちゃえ!'89サザンde'90」 1989年 12月31日 サザンオールスターズが「いっちゃえ!'89 サザンde'90(年越しコンサート)」を横浜アリーナで開催した日

時代はバブル最盛期、盛んに行われた年越しイベント

僕がまだ実家暮らしだった10代の頃、我が家では大晦日に家族揃って麻雀をするのが習わしだった。両親、兄、妹、そして僕の5人。母は台所仕事で席を立つことがあるので、滞りなく麻雀を続けるためには、誰一人欠けるわけにはいかない。たかが麻雀されど麻雀。多かれ少なかれ、習わしとはそういうものである。

時は1989年12月31日、80年代も残すところ1日のみ。午前0時を過ぎれば90年代が幕を開ける。そんな記念すべき年でも、我が家では、夕刻から麻雀牌がジャラジャラと当たる音が鳴り響いていた。

この日、東京ドームでは、とあるカウントダウンライヴが開催されていた。出演者はヒューイ・ルイス&ザ・ニュース、ブライアン・アダムス、ドン・ヘンリー、マイケル・モンロー等々。時代はバブル最盛期で、こうした年越しイベントが盛んに行われるようになっていた。

しかし、僕は2浪の身。それに大晦日といえば麻雀だ。ライヴを観に行くなど、到底許されるはずがない。僕はすんなりと諦め、夕刻から麻雀牌を握り、相手の捨て筋を読みながら、ポンやチーを繰り返していた。

TBS 系列で生放送!サザンオールスターズの年越しコンサート

ところが、80年代最後の年はやはり特別だったのだろうか。兄が友達と近所の神社へ初詣に行くと言いだしたのだ。「おいおい、麻雀はどうするんだよ」という僕の気持ちをよそに、兄は迎えに来た友達の車に乗って出かけてしまった。母が何事もなかったように兄の席に座ったことで麻雀は続行されたが、一族の習わしを簡単に破った兄を僕は解せなかった。

「あぁ、今頃ヒューイ・ルイスは何を歌ってるのかなぁ」。そんなことをぼんやり考えながら、なんとなくテレビのスイッチを入れると、ちょうどサザンオールスターズのライヴが始まったところだった。この年以降恒例となっていく横浜アリーナでの年越しライヴの第1回目を、TBS が生放送をしていたのだ(注:これ以前にも、1983年に渋谷のライヴハウス、1984年に新宿コマ劇場で年越しライヴは行われている)。

僕の胸は躍った。「この際、サザンでもいいや。古ぼけた神社なんかに初詣へ行くよりずっとましだぜ」。そんな罰当たりなことを思いながら、僕は麻雀も上の空でテレビの画面に釘付けとなった。親父はそんな僕に明らかに不機嫌だったが、「こいつの歌い方はわざとらしいから嫌いだ」と不満を言いつつも、テレビを消せとは言わなかった。

プレスリーからビートルズまで、アーリーロックンロールのカヴァーを11曲連続!

こうして僕の90年代は、サザンオールスターズで幕を開けることとなった。年越しナンバーの「フリフリ’65」で会場が大い盛り上がると、バンドはそこから怒涛のロックンロールセットに突入。「ブルー・スェード・シューズ」「監獄ロック(Jail House Rock)」「マネー」「ロール・オーバー・ベートーベン」など、アーリーロックンロールの名曲カヴァーを、11曲連続で演奏したのにはびっくりした。新年早々、会場のサザンファンはついていけてるのか? と心配になるほどだった。そして、ビートルズファンの桑田佳祐らしく「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」でロックンロールセットは終了。僕はすっかり満足し、あとは親父にテレビを消させない程度に麻雀に集中しつつ、最後までサザンの年越しライヴを堪能したのだった。

その夜以来、僕はサザンオールスターズのファンになり、サザンの年越しライヴは大晦日の麻雀とセットで、我が家の習わしに加わることとなった。翌年からは親父も不機嫌になることなく、「桑田ってのはたいしたもんだな」と呟くなど、めでたしめでたしである。

ただ後日、同じ夜にヒューイ・ルイスがシン・リジィの「ヤツらは町へ(The Boys Are Back in Town)」を演奏したと知り、「どうせなら東京ドームに行きたかったなぁ」と思ったことは、まぁ、しょうがないのだ。

カタリベ: 宮井章裕

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