佐藤琢磨を追い続ける松本カメラマンが思い出の写真と共に振り返る琢磨のインディカー10年

 2019年、佐藤琢磨はインディカー・シリーズで10年目のシーズンを終えた。2008年スーパーアグリがF1から去り、次のシートを模索していた琢磨は、いくつかのチームとコンタクトを取った。トロロッソのテストドライブにこぎつけるも、レギュラーシートの獲得はならず、アメリカに新天地を求める。

「もう待っている時間はありませんでした」

インディカー参戦を決めた琢磨は、記者会見でそう語った。レーシングドライバーとしての活路をインディカーに定め、「F1に未練がないと言ったら嘘になる」とは言うものの、もう前に進むしかなかった。

 琢磨を受け入れたのはKVレーシング。ジミー・バッサーとケビン・カルコーベンのチームだった。琢磨のインディカーデビューレースは、サンパウロのストリートコースだったが、オープニングラップでスピン、クラッシュというホロ苦いデビューとなった。

 F1とインディカーの違いは予想以上に大きく、マシンはもとより、バリエーションに富んだコース、レギュレーションの違い、そしてドライバーの考え方の違いにも、馴染むのには時間を要した。それでもシーズン終盤にはツインリンクもてぎに凱旋。琢磨は久しぶりに日本でレースをしてファンを喜ばせた。

2010年インディジャパンに集まった観客に応える佐藤琢磨

 2011年のKVレーシング2年目には、表彰台こそなかったものの、雨中の第4戦サンパウロでは一時レースをリードし、優勝まであと一歩と迫った。さらに第8戦のアイオワで日本人初のポールポジションを獲得するなど、徐々に頭角を表す。

 琢磨がインディカーで初めて表彰台に上がったのは、レイホール・レターマン・ラニガンに移籍した2012年の第4戦ブラジルだった。サンパウロのストリートレースを得意にしていた琢磨は、見事に攻略して初めて表彰台でシャンパンを開けた。

 このほか、第11戦のエドモントンでは、最後の最後までトップのエリオ・カストロネベスを追いかけて2位表彰台も獲得。いつ勝ってもおかしくないパフォーマンスを見せたシーズンだった。

 その顕著例がインディ500だ。最終ラップ、2番手でホワイトフラッグを受け、ターン1でトップのダリオ・フランキッティのインに飛び込んだ。しかし、しばらく併走した後にスピン。大金星を逃した。今でも鮮明に残るシーンだ。しかし、アメリカンファンの琢磨の評判はこれで落ちるどころか急浮上するという皮肉な結果になった。

フランキッティと争う琢磨。2012年のインディ500で“No Attack, No Chance”という琢磨の信念がアメリカに伝わる

 このシーンを見たインディ500を4度制したレジェンド、AJ・フォイトは、琢磨を気に入って、翌年のシートをオファー。琢磨は2013年からAJ.フォイト・エンタープライゼスのエースとなる。

 琢磨はAJフォイトに移籍した1年目。第3戦のロングビーチで日本人として初優勝を挙げ、周囲を驚かせた。続く第4戦でも2位となり、ついにランキングトップでインディ500を迎えた。

 AJフォイトの選択眼は、正しかった。しばらく優勝から遠ざかっていたこのチームで、まさか優勝するとは誰が予想していただろうか? この優勝でインディカードライバーとして確固たるポジションを築いたのは間違いなかった。

2013年のロングビーチ戦でインディカー初優勝を遂げた琢磨。国旗を掲げるポーズは今も変わらない

 AJフォイトには2016年まで4年間在籍するが、この初年度のリザルトがベストとなった。2015年には参戦100レースを越え、インディカーにおいてもベテランの域に入っていく。

 2017年を迎えるにあたって、AJフォイトはエンジンをホンダからシボレーに変えることになり、琢磨はやむなくチームを離れた。

 行き着いた先はアンドレッティ・オートスポート。琢磨はようやくインディカーでビッグチームのシートを得ることになった。そしてエンジニアもKVレーシング時代に組んでいギャレット・マザーシード。琢磨はまさに水を得た魚となって2017年を戦った。

 そしてあのインディ500の優勝を達成するのである。フェルナンド・アロンソがF1のモナコGPを欠席してまで出場したインディ500で琢磨は、すべてを計算したようなレース展開でインディ500を制し、大金字塔を打ち立てたのである。この年はシーズンランキングを8位で終えた。

レース史に刻まれたインディ500日本人初制覇。この勝利でアメリカでの人気も確立する

 当然周囲は翌年もアンドレッティにとどまると思われたが、琢磨は電撃移籍し、古巣レイホールに戻った。

 しかし、エアロパッケージの変わった2018年。琢磨とレイホールのチームは苦戦した。

 それでも第16戦のポートランドでは予選20番手から戦略をうまく立てて優勝。レース巧者であるところを見せた。

 レイホールに戻って2年目の2019年は、序盤から好調。第3戦アラバマではインディカーで初のポール・トゥ・ウインを達成。インディ500では2周遅れからの3位。テキサスでは初のポールポジション。そして第16戦のポートランドでは序盤後方に沈むものの戦略を変えてシーズン2勝目をさらった。

 2019年、インディカー10年目の成績はダブルポイントシステムでの取りこぼしが響き、ランキングは9位となったが、シーズンの内容は充実した結果だった。もちろんテキサスのピットミスや、ポコノでのアクシデントなど、憂慮すべきレースもあったが、シーズンベストだったと言っても良いだろう。

 2020年はトニー・カナーンがレギュラー出場しなければ琢磨が最年長ドライバーとなる。若いドライバーに負けるどころか、ますますベテランらしさに磨きをかけてタイトル奪取を狙う琢磨に期待したい。

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