「辞めたのにリハビリしている」理由は? ヤクルト引退の館山が語る怪我と戦った16年

インタビューに応じた楽天・館山昌平2軍投手コーチ【写真:編集部】

独占インタビュー全3回、第1回はヤクルトでの現役生活で変わっていった立ち位置

 ヤクルトで16年の現役生活を終え、2020年シーズンから楽天の2軍投手コーチとなる館山昌平氏がFull-Countのインタビューに応じた。引退決断の経緯、10度の手術、そして新天地への思い――全3回に分けて、たっぷりとお届けする。第1回はヤクルトで過ごした16年で感じた役割の変化について、語ってもらった。

――まずは現役生活、お疲れ様でした。引退発表してから、10度目の手術を受けたことには驚きました。

「9月21日に引退試合をしてもらって、9月26日に(右肘の)手術を受けました、結構、大きく開いたので、リハビリに時間がかかるとのことで……。全治4か月で終わるのかな?と。骨の形成(手術)などもやりました。(引退後の生活は)辞めたのに、リハビリしている。病院に通っているという感覚でした」

――手術を受けたのは、今後の肘の治療やトレーニングに役立てるためと聞きました。オフの過ごし方は、まるで現役中と変わりませんね……。

「ただ、投げなくていいですし、食事制限や体を大きくすることも考えないでいいので。ほとんど、トレーニングをしない生活でした。いつもだったら、一週間に4~5日、ジムに行っていたのが、一週間に一回、行けばいいかな、という感じです。本当に体と向き合う時間、というのは少なくなりました」

――体と向き合うことが少なくなった寂しさはありますか?

「あまりないですね。本当にやり切ったというか、これ以上は自分が投げること、自分が一人アウトを取ることよりも、スワローズの後輩たちが、打者と対戦する回数が増える方が、これから先は(チームにとって)良いだろうし、そういう風に心の底から思えたので、本当に後悔はないです」

――やり切ったと心の底から思えるようになったのはいつ頃ですか?

「昨年、自分の立ち位置とかを考える時間がありました。どうするかという時に、自分の成績もそうだけれど、スワローズというチームがどうやって成長していくのかを考えました。『こういうポジションだけど、やってみないか』という打診をすぐ引き受けることができましたし、そこに向かって自分も今年、一年間できました。

――どのような役割を?

「チームの成績のために先頭を走ってほしいということよりは、バックアップをしてほしいという意味合いのある役割。そういった打診も、本来であればなかなかないことだと思います。もちろんチームなので……。今までは、ある程度、成績も残せてきたし、一軍選手、ある程度、期待されている中で、これくらいの数字を残してほしいというところとの勝負でした」

――枠をひとつ使ってでも、後進を育ててほしい。

「編成側からすると外国人選手を一人増やすよりは、今までの経験とかを伝えて、バックアップしてくれた方が……というのが球団の感覚としてあったと思うんです。そういった打診を受けて、『出場機会のことを考えたら外に出ます』という考えは全くなかったです。もちろん、自分の投げるボールも色薄くなってきたというか、そういうのもあったので…」

――ご自身の年代は後進のための役割を求められる歳、という話も以前されていましたが。

「そう、5年、10年、これから(現役生活が)続くものではないし、自分の成績よりもチーム、というのを常に思ってきていました。その中で、こういう役割もあると思ったんです。そして、その時、この役割を一体、誰がこれまで引き受けてきてたんだろうと思って。そういうのは考えてみないと、自分が言われて初めて分かりました」

変わってきた立ち位置、「自分が…」よりも若手に目がいくようになった

――若い頃と、引退前の考え方の変化がはっきりと見えますね。

「やはり、選手は1年でも長く、自分の成績が良くて1軍で投げ続けることが全てですよね。だけど、そうじゃない。球団が『館山なら球団の意図したことがわかってくれた上で頑張ってくれるのではないか』という思いが、そこにはあったのではないでしょうか」

――1人の戦力としては、ご自身をどのように考えていましたか?

「もちろん、バックアップから普通の戦力になって、最後にはいなくてはならない存在になるのが一番いいけれど、自分の能力は自分が一番知っています。だから、2018年シーズンで引くべきかなとも考えました」

――新たな役割も担った2019年シーズン。どのような気持ちで戦いましたか?

「役割としては、キャンプから取り組む姿勢、自分がチームのために成績を残すということは何一つ変わらなかったですね。キャンプでも、とことん攻めるし、トレーニングに関しても“これでいいや”というのはありませんでした。今まで、やってきたものをさらにより良いものにしてベストを尽くせるように、という気持ちは変わらなかったです。けれど……」

――けれど……?

「共に競っていた若い選手が頑張っていたら、『今、1軍に上がってほしい』とか『今が旬だね』『今が一番いい状態だ』と、心から思えて……。選手の状態に関して、アドバイスするのはコーチの仕事なので、しなかったですが、相談を受けたりしたら、こうじゃないかというのはきちんと伝えたりしていました。そういった中で、自分が上がりたい、成績を残したい、チャンスが欲しい、という見方よりも、自分が選手でありながら、誰が今一番調子が良いかというのを客観的に見ることができました」

――自分のことよりも、若手、役割を全うする気持ちの方が上回る。

「若い選手が1軍に何人か行って、その子たちがダメだった時に、バックアップとして呼ばれるかな……とか、もちろん、自分の成績を残すことで呼ばれる順番というのは上の方に行くけれど、そこはそれほど考えず、冷静でした。2軍でいい成績を残すこともあったし、状態のいい時もあったりして、その時に、このタイミングで『なんで上がれないんだろう』というのではなくて、チームの状態がよければ、それでいい、と。必要とされる時というのはチームの状態が良くない時だと思っていたので……」

――ちなみに、その時に一番、旬だなと思った選手は誰ですか?

「例えば、田川(賢吾)ですね。イースタン・リーグで(2019年8月10日のDeNA戦では4安打1失点で完投、同17日の楽天イーグルス戦では4安打完封を記録した)完投、完封する前にピッチング内容がすごくよかったんです。投球に意図があるなと、捕手との意思疎通もすごく見えていました。1点をあげないピッチングが、大切なところでできていてよかったね、と。あのピッチング良かったねとか、“答え合わせ”みたいなものをアドバイスではなく言える。そういうことが(田川には)何球かありました」

開幕投手を務めたがシーズン中に手術で離脱、2013年は転機の一年に

――若手にとってみれば、経験豊富の館山さんからの助言はうれしいはず。

「でも、自分が選手だったし、どちらかというと、怪我したり、打たれたりという“失敗の歴史”というのは若い子にも言えるけど、成功したことは、自分の投げ方、身体、タイミング、対戦相手だったりする。それって時代も違うし、何の参考にもならないんですよ。本当に自分で前向きに、その中で自分の能力を少しでも高められるようにできたかなと」

――視野が広がったり、客観的に見られるようになった時期はいつ頃ですか?

「2013年にトミー・ジョンの手術を受けた後ですね」

――どのような視点、考えの変化がありましたか?

「2013年に開幕投手になって、その時、ずっと何年も開幕投手をしている各球団のエースや、石川(雅規)さんらに、ちょっとだけ、肩を並べられた瞬間というか、ほんの少しだけ、そちらに行けるのかな? っていう矢先に、怪我をしてしまったんです。やっぱり、『自分ではだめだ』という思いがありました」

――エースとしてチームを何年も引っ張ることは大変なことだと改めて実感を?

「でも、自分のやってきたことは間違いではないし、チームのエースと呼ばれる人は、遠い存在なんだなっていう認識になりました。もう、無理かも知れないって思ったんです、靭帯をやった時は。手術からの1年間のリハビリ……本当にしんどいですよ、トミー・ジョンって。怖いですし。またあれをするのかと思うと、心が折れそうになったというのが本当のところです」

――支えてくれた方もいたのではないですか?

「(チーム内の)リハビリ仲間とかと、“こういう場面だったらこうだね”と話す時間が多くなったのはあります。それまでは、自分がチームの中で任された役割を全うすることしか考えてなかった。でも、それって自分からの一方通行ではなくて、リハビリ中は、由規(現楽天)だったり、木谷(良平)だったり平井(諒)だったり村中(恭兵)だったり、アドバイスをもらうこともありました。リハビリの子がへこんでいるから『よし! 行くぞ』と言って、江村(将也)とか水野(祐希)とかも連れて行ったこともあります。逆に、僕が全然、上手くいかないときは『タテさん、今日はいいから行こう!』と誘ってくれたりもしました」

――現役でありながらバックアップをするような役割は、過去のヤクルトでは誰が担っていたと思いますか?

「日本人選手は枠の問題がないから、そこはたぶん、今まで言われた人はいないと思うんです。でも、昔、山本樹さんがどんな場面でも投げていたとかというのはそういった意味合いもあるのかもしれないですね。山部(太)さんや河端龍さんにしても、先発中継ぎどのポジションでも振られたら行く、というポジションをやっていたのかなと。そういった、大先輩たちも自分の能力も高めながらもいろんな役割を担うということなんだと思います」(新保友映 / Tomoe Shimbo)

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